第152話

 呼び出しからわずか5分でディアスは通用口前の警備室までやってきた。幸いにして取り込み中ではなく、電話線を引っこ抜いたりもしていなかったようだ。


 マスタードの変わり果てた姿を見ても特に何も聞かず、


「行くぞ」


 とだけ言ってさっさと歩き出した。根掘り葉掘り聞かれずに済むのはマスタードにとってありがたいことだが、こうまで無関心だと逆に居心地が悪い。


 ディアスにしてみれば何があったか気にならないわけではないが、いずれにせよマルコの下へ案内すればそこで説明はされるだろうから今聞いたところで二度手間だという極めて合理的、あるいは適当な理由で聞かなかったのだ。


 ディアスの持つIDカードで所長執務室まではフリーパスだが、さすがに最後の一枚は向こうから電子ロックを解除してもらわねば入れない。たとえ鍵がかかっていなくとも、ディアスならば勝手に入ることはしないだろうが。


 ノックして、名乗る。どうぞと聞こえて鍵が外れる。礼儀とも儀式ともいえる一連の動作を終えて2人のハンターが入ると、丸眼鏡をかけた男が眠たそうに顔を上げた。


「やあいらっしゃい。マスタードくん、だったかな。のんびりお茶でもと言いたいが、それどころじゃないんだろう?」


 マルコはバインダーに挟まれた書類をめくりながらいった。恐らくは顧客リストか何かだろう。最近は来ていないということも知っており、諸手もろてを挙げて大歓迎とはいかないようだ。


 マスタードはアウェイの雰囲気に怯まず、薄汚い日よけマントのポケットに手を突っ込んで、数枚の写真をデスクの上に撒いた。


「これは?」


「俺とペドロ、そして大勢のハンターが襲われた、新型です」


 マルコは写真を一枚摘み上げて考えていた。


 写真を撮った、そこまではいい。ここへ来る前にわざわざ現像してきたのか、そんな余裕があったのかと疑問が湧いてくる。


 援軍を求めるにしても説得の材料は必要だ。また、敵の情報がなくてはまともに戦えはしない。少しくらい遠回りになったとしても、写真屋に寄ってプレゼンの資料を集めるべきだと考えたか。


 問題はない。何も問題はない。だがその如才じょさいなさが逆に引っかかる。あわてて転がり込んできた割にはどこか冷めた部分というべきか、計画性のようなものを感じるのだ。


(いかんな、これじゃあ疑いというよりただの言いがかりだ……)


 受話器越しに聞いたクラリッサの言葉が頭の中で何度も反射する。あいつは嘘をついていると。


 何に対して、そして何のための嘘だろうか?


 マルコはクラリッサの言葉を疑ってはいない。人の違和感を見抜く、それは闇の中で生きてきた少女が色と温度の世界を手に入れて、必死に身につけた能力だ。彼女がマスタードを怪しいというのであれば、きっとそこには何かがある。


 目の前の男は新型ミュータントの巣から命からがら逃げ出して友の身を案じる青年にしか見えないが、警戒は怠るべきではない。


(考えてわからないということは、情報が足りないということだ。今はこの話に乗ってやるしかないか……)


 マルコは思考を中断し、手元の写真に目を落とした。そこに写るものをなんと表現すればよいだろうか。おぞましい化け物か、あるいは美しい彫刻か。


 蜘蛛の胴体に女性の上半身が組み合わさったミュータント。目玉は本来の位置の二つに加え、ほおひたいあごの下などにもミュータントの特徴である赤々と光る瞳が合計八個開かれている。


「とりあえずこいつをアラクネ、機織蜘蛛はたおりぐも呼称こしょうする」


 言いながら次の写真に目を移した。網目状に張られた巣に、みの虫のように幾人もの人間がぶら下げられている。顔だけを出して首から下は透明感のある純白の糸でぐるぐる巻きにされている。誰もが虚ろな目をして生きているのか死んでいるのか、それすら定かではない。


「ふぅん。奴らはこうやって餌を保存しているらしいね」


「はい……俺だけ命からがら逃げ出して、助けを求めに来ました」


 マルコの無遠慮な物言いに、マスタードは目を逸らして答えた。その身が震えるのは機織蜘蛛への恐怖か、相棒を置いて逃げ出したという恥辱か、それとも無礼なマルコヘの怒りか。


 丸眼鏡の奥から放たれる視線が、スキャンするようにマスタードの全身を舐め回す。


「この写真から、わかったことがひとつだけある」


「なんでしょうか?」


「奴らは冷蔵庫を持っていない」


 マルコの悪趣味な冗談に、マスタードが笑うことなど当然なかった。外したな、と肩をすくめながら今度はディアスに向けて言った。


「こんな危なっかしい奴を放置しておくわけにはいかないでしょ。特に今の時期は」


「はい」


「そんなわけで、調査に行ってきてくれない?」


「わかりました。明朝、出発します」


「うん、23号を仕上げとけって僕のほうから班長に言っておくから」


 目の前でトントン拍子に話が決まっていく。マスタードはディアスに掴みかかろうかという勢いで口を挟んだ。


「ちょっと待ってくれよ。明朝? 明日の朝? それじゃあ遅すぎる! 今も大勢のハンターが助けを求めているんだぞ!」


 捕らわれたハンターたちの写真を突きつける。しかしディアスの鉄面皮はピクリとも動かなかった。


「そうか、大変だな」


「何を他人事みたいに……」


「他人事だ。ついでに言わせてもらうが、俺たちが行うのは討伐じゃない、調査だ。新型と戦うとか、ハンターを助けるとかは、実際に見てやれそうだったらやる、程度のスタンスだな」


 今から慌てて向かえば到着する頃には深夜になるだろう。ミュータントが最も凶暴化する刻限、夢魔の世界だ。二重遭難するのがオチだとディアスは冷静かつ、冷酷に考えていた。


 彼の言わんとするところはわかる、正論といえば正論だ。いきなり転がり込んできた怪しげな男の話を聞いてくれるだけでも親切というべきかも知れない。だがその一方で、捕らわれたハンターたちの命の火が消えつつあるのもまた事実だ。


 正論と、人命との間に挟まれ何もできない苛立ちがマスタードの唇から愚痴のような形で漏れ出した。


「カーディルが捕らえられても同じことが言えるのかあんたは……」


 流れる奇妙な沈黙。ディアスとマルコから向けられる視線の意味がマスタードにはわからない。結局、彼らはそのことについて一言も語ることはなかった。まあいいよ、で流されてしまった。


「明日、7時に出発する。案内するつもりがあるなら来てくれ。そうでなければ大体の座標だけ教えてくれ」


「行くさ、行くとも、行くに決まっているだろう!? クソみてぇな地獄にバッチリ案内してやらぁ!」


 慌しく打ち合わせを終えて、ディアスはマルコに一礼し部屋を出た。マスタードもその仕草を真似をしてから続いて消えた。


 一人残された執務室でマルコは再度、写真に目を落とした。


「奴にライフル一丁担いで巣に乗り込むような根性はない。いや、普通はないか。それにしても……」


 写真はどれもよく撮れている。きれい過ぎるくらいだ。よほど近づかなければこうは撮れない。


 立ちこめる暗雲。雷に打たれるのはハンター魔物ミュータントか。

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