瞳の烙印

第151話

 丸子製作所、社員食堂にて。


 ディアスとアイザックは無言でテーブルを挟んでいた。ディアスはオレンジジュースの入ったプラスチックグラスを見据え、アイザックは湯気立ち上るコーヒーをゆっくりとすする。


 席について10分ほどになるが、2人は一言たりとも発してはいない。


 気まずくはない、不快なわけでもない。戦友と囲む穏やかな時間を楽しんでいた。ディアスがカーディル以外の人間にこうまで心を許すというのも珍しいことだ。


(何も変わっていないようで、変わったな俺も……)


 ディアスは薄く笑いながらグラスを傾ける。


 アイザックがふと、思い出したようにいった。


「最近、ハンターの失踪事件が多い、らしくてな……」


 歯切れが悪い。そして内容にも疑問が残る。


「失踪? 死亡ではなくてか?」


 ハンターの行方知れずなど、荒野では死亡とほぼ同意である。それをわざわざ失踪と言い換える真意は何であろうか。


「ここ一ヶ月で未帰還のハンターは60名近い。それに対して回収された認識票ドッグタグはわずかに7枚。ついでに市場に出回る遺品も品薄だ。偶然と言われりゃそれまでかもしれんが、何か引っかかってな」


「それで、失踪かもしれないと……?」


 死体からドッグタグを回収してハンターオフィスへ届ければ小額ながらも礼金が出る。死体から引っぺがせば武器や防具が簡単に手に入る。同業者の死体は最も確実な宝の山なのだ。特に、徒歩で狩りをしている新人ハンターたちにとっては貴重な収入源である。


 未帰還者と回収されたドッグタグの数にこうまで開きがあるのも珍しい。今まではどれだけ少なくとも半分は回収されたはずだ。市場に死臭漂う武器が並ばないという話と合わさると、確かに奇妙である。


 ディアスは口許を手で覆い思案した。その眼に浮かぶものは不快感と、恥と罪。


「巣に持ち帰るタイプの、新型か?」


 かつて、カーディルが犬蜘蛛に連れ去られたことを思い浮かべた。あれがまさに餌を巣に持ち帰るタイプのミュータントであった。


 だがディアスはすぐにその考えを打ち消した。犬蜘蛛はずっと昔からこの近辺に住み着いている。最近になって未帰還者が増えたという話とは一致しない。この事件の裏にはもっと強大な、おぞましい影が潜んでいるように思えてならないのだ。


 故に、新型である。


「新型の可能性は高いな。だが、ハンターオフィスに新型の情報が上がってきてねぇんだ。そいつと出会って生き延びた奴がいないのか、あるいは……」


 そこでアイザックは言葉を区切った。ディアスもあえてその先を聞こうとはしなかった。情報を独占している奴がいるのではないか、そうした疑問があるのだろう。


 ハンターの中には未だに、情報は飯の種であり独占すべきものという考えの者が多い。そうした者らは、情報を開示してハンター全体のレベルアップに繋げようという丸子製作所に連なる者たちの考えに反発しており、意図的に情報を絞っていることも予想される。若手のハンターに慕われているアイザックなど、目の敵にされているだろう。


 再度、流れる沈黙。沈黙の中で2人は確かに会話をしていた。頭にカビの生えたようなハンターたちに対する苛立ちはあるが、それをわざわざ口にすることもない。お互いがわかっていればそれでいい。理解者がいる、それだけで救われる。


 これで話は終わりだとアイザックがカップを片付けようとしたところで、ディアスが呼び止めた。


「マスタードという名のハンターを知っているか?」


「ん? ああ、確か最近ランキングを上げてきている2人組みだったか。装甲車でよくやるもんだよな」


 基本的にバイクでソロの男が他人事のようにいった。


「お前さんが他のハンターを気にするとは珍しいな。何かあったか?」


「何か、というほどのことでもないが……」


 マスタードとディアスの再会。一週間後に修理を終えた装甲車を取りに来たときも軽く挨拶をした。それ以降、彼らは修理と補給を丸子製作所で行うようになり何度か顔を合わせることもあったのだが、それが前触れなくぷつりと途絶えた。


 単に時間が合わなくなっただけか、あるいは車を任せる工場を代えたのか。よくあることだと気にもしなかったが、それが失踪という発想と絡めば途端に不穏な空気が漂ってくる。


 片手間でもいいから情報を集めてほしいと頼むと、アイザックは静かに頷いた。


「やってみるが……あまり、期待はするなよ」


 アイザックが立ち去った後も、ディアスはしばらく動けないでいた。砂糖水と香料、着色料の混合液が、ひどく苦いものに感じられた。




 日が落ちて正面玄関のシャッターが下ろされた時間、裏の通用口に転がり込んできた男がいた。ヒゲは伸び放題、体は汗と垢とほこりでべとべとしている。乾いた血が服のあちこちにこびりついていた。浮浪者と見紛うばかりの風体だが、ぎらぎらと妖しく光る双眸そうぼうが何よりも雄弁に、彼がハンターであることを証明していた。


「ディアスか、整備班長を呼んでほしい……」


 男がかすれた声でいった。警備室に詰めていたクラリッサが眉をひそめたのは悪臭のためだけではない、以前も同じような会話に付き合わされたからだ。


「装甲車の整備というわけでもないようですし、特別な用事でもなければお通しできませんよ?」


「火急の用件だ! 新型に襲われて、なんとか逃げ出してきたんだ! 一刻も早く、話のわかる奴に伝えないと……ッ」


 サーモグラフの義眼に、マスタードの見た目の変化はよくわからない。ただ、心拍数や体温の上昇からただ事ではないことを悟った。


 数秒の思案の後、


「所長にうかがいますので少々お待ちください」


 そういって、小窓のガラス戸を閉めた。これでマルコとの会話をマスタードに聞かれることもない。


「ええ……はい、わかりました。ディアスさんを呼んで、執務室まで案内させます。あ、それと……」


 何の証拠もない恥ずべき告げ口をしようとしているのではないか。そんな思いがクラリッサに逡巡しゅんじゅんさせる。


 息を呑み、すぐに覚悟を決めた。この能力は自分だけのものだ、それを活かさずにどうするのか。言わずに何か起きた場合、絶対に後悔するだろう。


 受話器を握りながら横目で見るガラス戸の向こう。男の体温、息遣い、汗のかきかたからひとつの特徴を見出した。


「何についてかはわかりませんが、彼は嘘をついている可能性があります」

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