第150話

 2枚のトランプが描かれた戦車、23号から出てきたのは間違いなく、あの日荒野で出会った男であった。


 平凡と思っていたが、よく見ればその身のこなしや足さばきに隙がない。たとえばマスタードが銃を向けたら引き金に指をかける間もなく撃ち殺されるだろう。それが不安定な砲塔の上からでもだ。


 続いて上部ハッチから出てきた女の姿に、マスタードは目を見張った。薄暗い格納庫の中でぼんやりと光る白い肌。輝くような瞳と唇。腰まで伸びる黒髪は満月の夜を連想させる美しさだ。荒野の女王、その二つ名に誇張や偽りは一片たりともないことを知った。


 男が微笑んで手を差し出し、女がその手を柔らかく握る。


 あれほど焦がれたディアスとの再会だというのに、マスタードは声をかけることを躊躇っていた。


 狩りから帰ってきたばかりで忙しいだろうという遠慮だけではない。この2人の時間を邪魔してよいものだろうかという芸術家めいた疑問が彼の口を縫い止めた。


 ただし、そうした感傷はあくまでマスタード個人のものであり、がに股で隣に寄ってきた男には何ら関係ないようだ。


「おおい、ディアス! この兄ちゃん、お前に話があるってよ!」


 工場内にベンジャミンの無遠慮なだみ声が響き渡る。


(この野郎、なんてことしやがる……ッ)


 文句を言いたいが、言う筋合いはない。これこそマスタードの本来の望みであったはずなのだから。


 ディアスはカーディルの耳元で、


「また後で」


 と囁き、砲塔部分から軽快に飛び降りた。


「話、とは?」


「別に変な話でも長い話でもない。ただちょっと、この前助けられた礼を言いたくてな」


「礼? ……ああ、白猿の時の。律儀なことだな。だが、礼など必要のないことだ」


 マスタードは少しばかり不愉快であった。わざわざお礼を言いに来た相手を邪険に振り払うような態度はどうなのだと。何を考えているかは知らないが、一言どういたしましてといえば済む話ではないか。


「……あんたがどう思うかは知らんが、こっちは言うべきだと思ったから来たんだよ」


 恩人に対して棘のある言い方をしてしまった。舌の奥に苦い後悔が残る。しかしマスタードに対し、ディアスから帰ってきたのは文句をでも拳でもなく謝罪であった。


「すまない、言い方が悪かった。より正確に言えば、俺に礼の言葉を受け取る資格はないということだ」


「……どういうことだ?」


 マスタードは首を捻った。人助けをしておきながら礼を言われると困る状況とはどのようなものであろうか?


「白猿に空いた穴、綺麗なものだろう?」


「ん? ああ。ぽっかり空いた穴、実に見事なものだった」


「そうなるようにタイミングを見計らって撃ったのだ。敵が高速徹甲弾の射程に入ったとき、装甲車は持ち上げられる寸前だった」


「……え?」


「そこで撃っていれば装甲車が破損することもなかっただろう。だが、敵を一撃で倒すことも出来なかったはずだ。だから俺は一呼吸置いてから撃った。重いものを頭上に持ち上げるとき、胸ががら空きになると判断したからだ」


 淡々と語るディアスに対して、マスタードは彼が持つ英雄トップハンターの肩書きがひどく薄汚いもののように感じた。利用されたのか、と。


 ……それも、すぐに思い直した。


 ディアスとマスタードは仲間でも友達でもない。そもそも助ける義務も義理もなど無いのだ。謝罪の意味を込めてミュータントの頭を半分にする必要もない。ディアスがもう少し悪辣あくらつな人間であれば、マスタードとペドロに止めを刺してしまえば後腐れも無かったはずだ。


 誇りはしない。悪びれもしない。やるべきと思ったことをやった、それだけなのだ。少なくとも、あの時ディアスたちが来てくれなければマスタードは潰れて死んでいた。それだけは揺るぎ無い事実だ。


 彼は聖人君子などではない。英雄というのも少し違う。最初に感じた、無口で変でちょっとばかり親切な兄ちゃんというのが一番正しい評価なのではないか。そう思うと、マスタードはたまらなくおかしくなってきた。


 英雄に対する憧れは消えて、一人の人間としてこの男が好きになった。


「事情はわかった。でもやっぱりお礼は言いたいな。来てくれてありがとう、本当に助かった」


「そうか? ……うん、わかった。どういたしまして」


 ディアスの口許がピクリと動く。微笑んだのだと気付いたのはしばらく後になってのことだ。


 これで話は終わりだとディアスが背を向けて戦車に向かおうとするのを、マスタードが慌てて声をかけた。


「待ってくれ! ひとつ、聞きたいことがある」


「……何だろうか?」


「あんたみたいに、その、強くなるにはどうすればいい?」


 慌てていたとはいえ、馬鹿な質問をしてしまった。あまりにも抽象的すぎる。何でもないから忘れてくれと言おうとした矢先、ディアスがマスタードをしっかりと見据えながらいった。


「愛すべきひとを持て」


「……はい?」


「恋人、友人、家族、なんでもいい。この人のために頑張れるという相手がいれば、きっと励みになる」


 質問の仕方が悪かったことは認めるが、その答えはあまりにもぼんやりとしすぎで、ハッキリと言えば何の役にも立たない。


「なんだ不満か? 聞くだけで強くなれるような魔法の言葉を期待していたわけではあるまい」


「当たり前だ」


 マスタードは不満げに答えたが、本当にそうだろうか?


 ディアスと同じ空気を吸っただけで強くなれるような、そんな浮わついた気分が無かったと言えるだろうか。


 自分に問いかけている間にディアスはどこかに消えてしまった。ベンジャミンも他の仕事をしている。


 もうここでやるべきことは全て終えた。マスタードはペドロを見つけて声をかける。相変わらずカタログを眺めたままであった。


「よう、ペドロ。次に買う武器は決まったか?」


「ようやく候補を13個に絞ったところだ……」


「うん、そうか、全然駄目じゃねえか。持ち帰ってゆっくり考えろ。どうせ装甲車の修理が終わるまで何もできないんだから」




 丸子製作所を出ると既に日が傾いており、マスタードはオレンジ色に照らされた相棒の顔を横目で見ながらディアスの言葉を思い出していた。


「愛すべき友を持て、か……」


「なんだそりゃあ?」


「なんでもないよ。俺たちがトップハンターになる日はまだまだ遠そうだって話だ」


「そういうのはな、化け物みてえな戦車を乗り回している奴に任せりゃいいんだ。俺たちはこつこつ順位を上げていこうぜ」


 ペドロはにいっと笑いながら、真新しいカタログを叩いて見せる。


「そのためにも、武器を新しくしないとな。白猿の胸板をブチ抜けるくらいに」


「いやぁ……白猿はもういいよ。出会ったら逃げようぜ」


 笑いながら帰路につく。こいつと一緒ならばどこまででも行ける……とまではいかないが、うまくやっていけそうだ。




 装甲車と新型機関銃を受け取った2人は、立て続けに3体の中型ミュータントを討ち取る目覚ましい功績こうせきを上げた。


 このままいけば今期のランキングで30位台、うまくすれば20位台も夢ではない。まさに今、注目の的となった熱いハンターチームだ。


 それから1か月後、彼らは行方知れずとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る