第143話 ノーマンの長い1日 7

「よぉしストップ、ルールーストップだ。ホルスト、ここから蝿蛙はえがえるを狙え」


 仲間に指示を出しながらノーマンは適度な緊張と、適度なリラックスを感じていた。戦いにのぞむコンディションとしては悪くない。


「ホワッツ!? こんな所から撃っても当てる自信はねぇぞ?」


「ああ、わかっている。あの間抜けヅラの注意を引ければそれでいい。アイザックに撤退する隙を作ってやろうじゃないか」


「注意を引く、それが一番やりたくないんだよなぁ……」


 ぼやきながらも発射準備に取りかかるホルスト。こうしている間にアイザックがなんとか倒してくれないだろうか、などと未練がましく考えるが、どうやらそれも叶いそうにない。


「誰も彼もが下がってくれたからな。アイザックにさえ気を付ければ誤射の心配はないぞ」


「素晴らしい、最低だ」


 彼は臆病であり、怠惰でもある。だがスコープのなかに標的をとらえたとき、そのゆるみきった表情が引き締まる。


 ここからでは当たらないといった。だが、それはもし外れたときの言い訳を用意しただけであって、蝿蛙を貫く自信はあった。


 戦車砲が放たれ、反動を逃がすために体が少しだけ後ろに引きずられた。


 死の螺旋らせんは蝿蛙に向けて一直線に突き進む。ホルストの脳裏に、血肉をぶちまけて倒れる蝿蛙のイメージが湧いた。そして幸福なイメージは、霧のごとく消えた。


 命中する直前に蝿蛙の姿が肉食蝿のなかに紛れ消えてしまった。砲弾は虚しく飛びすぎ、どこかの岩壁に刺さるか、地面に転げ落ちるだろう。


「よし、いいぞ! アイザックがこっちに気付いて向かってきた!」


 ノーマンの声がどこか遠くから聞こえる。


 見た目が気持ち悪いという意味で不気味な相手とは何度も戦ってきた。だが、ここまで得体が知れない気味の悪さは初めてだ。避けられたのではなく、消えた。砲手としてこれほど嫌な感覚は無い。


(今ここで奴を倒せなければ、粘りつくような不快感は一生付きまとうな……)


 ルールーが緊張をほぐす目的でいった。


「ホルストくん、来るよ! 準備はいい?」


「ぶっ殺す!」


「あ、はい……」


 気負いすぎではないかとも考えたが、腰が引けるよりはまだマシだろうと思い直した。なにより、あれこれ討論している暇はない。


 アイザックが向かってきた。肉食蝿が追ってきた。蝿蛙もどこかにいるだろう。


 蝿蛙を見つける前に戦車が肉食蝿の大群に包まれそうになる。


「ぬぅん!」


 炎が舞い、戦車と肉食蝿の間に空間ができた。アイザックの火炎放射だ。燃料が尽きたか、彼はそのままボンベを投げ捨てた。


 開けた視界に蝿蛙の姿を捉える。


 今まさに上空から飛びかからんとするところであった。


 蝿に紛れて突撃されれば砲塔部分が潰されていたことだろう。位置的に、ノーマンとホルストは内臓破裂させ死んでいたはずだ。


 だが、見えている奇襲など何も怖くはない。むしろいい的だ。


 空中で方向転換できない分、敵の前でジャンプするというのは危険な行為である。


所詮しょせんは頭空っぽのミュータントだ!)


 ここでホルストは主砲ではなくガトリングガンを選んだ。


 深い意味はない。何故、と聞かれても返答に困るような些細ささいな理由だ。先ほど主砲を放って避けられたからである。


 あの時とは距離が違う、条件が違う、こだわる必要などない。だから本当になんとなく、である。それがその後の命運を分けた。


 今度こそ、と放ったガトリングガンだが、蝿蛙は薄い羽を広げてスイッ……と、空中で横滑りした。


「なにぃッ!?」


 あんなデカい生物が薄い羽で飛べるはずはない、そう思い込んでいた。確かに飛ぶことはできないが滑空は可能だったのだ。奇しくも、過去にアイザックが犯したのとまったく同じミスである。


 あの時とは違う点がひとつ。弾丸は一発限りではなく、ガトリングガンでばら蒔いているのだ。一発の弾丸が薄羽を貫き、蝿蛙は失速してふらふらと落下していく。


 アイザックのバイクが全速力で飛び出した。


「あいつ、何をするつもりだ!?」


「まさか……自爆?」


 3人が固唾を飲んで見守るなか、アイザックは疾走しながらバイクの部品を引き抜いた。いや、それは部品ではない。白銀に光輝く美しいサムライソードだ。


「うおおおおッ!」


 咆哮ほうこう、そして蝿蛙とすれ違いざまに一閃。


 大地に激突すると同時に、蝿蛙の腹がぱっくりと裂けた。


 意外に少い血が流れ落ち、数万匹の肉食蝿が裂け目から沸いて出る。蝿蛙は何故自分がこんなところにいるのかわからないといった顔をしている……ように、思えた。


「げぇ……」


 アイザックはこの光景を見るのは二度目だが、何度見ようが慣れる気がしない。


 通信機を操作してトラックに向けて語りかけた。


「よう班長、俺だアイザックだ。イレギュラーは片付けたから、あの馬鹿ども呼び戻してくれ。安全な位置から火を吐くくらい、どんな無能でもできるだろ」


 2台のトラックのうちの片方、その運転手は丸子製作所の整備班長であるベンジャミンだ。


「なんだアイザック、随分ずいぶんと言葉に刺があるな」


「むしろよくこの程度で済ませているものだと、我ながら聖人君子ぶりに感心しているくらいだ」


「自分で聖人君子とか言うかね」


「他人が言ってくれないんだから、自分で言うしかないだろう?」


 アイザックは周囲に集まる肉食蝿を手で払いながら、笑っていった。


「若い連中に対して希望と失望、両方味わうことになったぜ。なんて1日だ」


「そうだな、あいつらはよくやってくれた。おかげでお前も食われずに済んだなぁ?」


「あんたも、蒸し焼きにならずになによりだ」


 そういって2人はゲラゲラと笑いあった。最悪の思い出も、共有できれば笑い話だ。


 仲間とはいいものだ、そう言いかけてアイザックは口をつぐんだ。


 さすがにそれはちょっと気恥ずかしい。

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