第144話 ノーマンの長い1日 8

「何が起こったの……?」


「か、格好いい……」


 TD号のなかでルールーはほうけていた。ホルストは感動していた。そして、ノーマンは考え込んでいた。


 あのサムライソードには心当たりがある。恐らく、遺跡で遭遇したミュータントからもぎ取ったものだろう。


 ただの武骨な刃物であったミュータントの腕を加工し、つばも取り付けて立派なサムライソードとしたのだ。


 あれは前からノーマンも欲しがっていた。今は諦めたというより、アイザックが持つことに納得していた。


 ミュータントの腕に生えていたような巨大なソードだ、アイザックの鉄腕でなければ自由自在に振り回すことなどできないだろう。ましてや、ミュータントの腹を一撃で切り裂くなどと。


 仲間への誇らしさとほんの少しの寂しさに浸っていると、突如として首すじに鋭い痛みが走った。反射的に首を叩くが手応えはない。手のひらにぬるりとした液体が付いただけだ。


 代わりに耳元で聞こえる不穏な羽音。


「肉食蝿だ!中に入り込んだぞ!」


 半狂乱になって全身を叩くがやはり手応えはない。そして、狭く薄暗い空間で狂気は容易たやすく伝染するものだ。


「え、ちょ、何それ!? どうすりゃいいのよ!?」


「後退だ、とにかく後退だ! 安全な位置まで行って外に出て、それから蝿を探そう!」


 蝿に食われたハンターたちを見ていたおかげで、その恐怖も倍増していた。


 雑な運転で旋回するルールー。ノーマンは残った理性で通信機を掴んでアイザックに語りかけた。


「すまん、後を頼む!」


 脱兎のごとく逃げ出すTD号を、アイザックとベンジャミンは複雑な気分で見送った。つい先程さきほどまで頼れる若者が育ったと感傷に浸っていたのはなんだったのかと。


 結局、当初の目的であった臓物戦車の装甲を確認するのはアイザックたちがやることになった。ちなみに、ノーマンの肉を食らって満腹になった蝿はとっくにエンジンの隙間から出ていっていた。




 数日後、ロベルト商会。


 総帥執務室にて、重厚なデスクを挟んでノーマンとロベルトは相対あいたいしていた。


 ノーマンは黙ったまま手元の資料に素早く目を通す。あの後、蝿を焼き尽くしたアイザックたちが臓物戦車の残骸へとたどり着き、装甲から血と砂が混ざった塊を削ぎ落とすと、確かにロゴマークのようなものが出てきた。


 持ち帰った写真をロベルト、マルコ、スティーブンらが確かめた結果、それは北に1000キロ離れた街にある兵器工場のものだとわかった。


 そこが持ち主なのか、あるいは生産だけ請け負ったのかはわからないが、凶悪なミュータントの発生に何か関わっていることだけは事実だ。


 がしゃん、と重そうな革袋がデスクの上に雑に放り投げられた。


「なかなか楽しめたぞ」


 何のことかは考えるまでもない。肉食蝿に追われた際の一連の映像のことだ。


 指先でちょいと摘まんで中身を確かめる。中には大量のクレジットが入っていた。中型ミュータント一体の賞金くらいありそうだ。


 蝿蛙の賞金はアイザックと山分けした。それに加え記録映像を高値で買い取ってもらえるとなれば大儲けである。大家族を養うホルストなどは狂喜することだろう。


 だがノーマンの表情は晴れない。自分が恵まれた環境にいるのだと自覚するほど憂鬱ゆううつになっていく。


 3人のハンターを巻き込んでしまった。蝿蛙に殺された2人もそれぞれの思惑があっただろうが、形としてはノーマンたちの援軍として来た結果として死んでしまったのだ。自分だけが生き残った。


 無論、報酬を辞退するつもりなどない。生き残った人間は生き続けねばならないのだ。ただ、どうしても引きずってしまう。


 クレジットが怖いなどと感じたのは初めてだ。


「ロベルトさん、あの映像を一般に公開するおつもりですか?」


「ん? そりゃするさ、当たり前だ。なんだ気になることでもあるのか?」


「できれば、大した動きのない前半部分は削っていただけたら、と……」


 ノーマンが目をらしながら答えると、ロベルトはつまらなさそうにフンと鼻を鳴らした。


「なんだお前、最初に巻き込んだ連中のことを気にしているのか? 君たちは悪くないよ、とでも言って欲しいのかよ」


 ロベルトの座る革張りのチェアがぎしり、と音を立てる。まるで彼の苛立ちを代弁するかのように。


「お望み通りいくらでも言ってやる。あいつらが間抜けなだけだ。蝿と戦車が迫っているのに間近に来るまで他人事。救いがたいまでに想像力が欠如しているとしか言いようがないな。馬鹿が勝手に死ぬ度にそうやってうじうじ悩むつもりかよ、馬鹿馬鹿しい」


 容赦ようしゃのない罵倒ばとうである。ノーマンは俯いてそれを聞いているしかできなかった。


 こんな話がしたかったわけではない。そもそも、何故映像を削除してくれなどと言い出したのか。自分の後ろめたさを隠すためだ。


 開き直ることと、隠蔽いんぺいすること。どちらがより卑劣ひれつであろうか?


 若者が抱えるにはあまりにも重く、そして乗り越えねばならぬ問題であった。


「いっそのこと蝿に食われる場面をじっくり撮っていりゃあ面白かったのになぁ?」


 ロベルトの言葉に耳を疑った。こいつは何を言っているのか。彼らにも迂闊うかつな面はあっただろう、だがそこまで尊厳そんげんおとしめられるいわれは無いはずだ。


 ノーマンは反射的に拳を固めた。目の前にいる男が街の有力者であることも、支援者であることも、父親であることも全て忘れた。


 無意識にデスクに身を乗り出してロベルトを殴りつけていた。ロベルトは革張りのチェアにしがみついてなんとか転倒を免れる。


「……あの間抜けどもに随分と入れあげたものだな」


「まだ言うか貴様!」


 この場で、この男を殴れるのは自分しかいない。ノーマンは憤怒ふんぬ形相ぎょうそうで再度拳を繰り出そうとするが、立ち上がったロベルトの右ストレートがカウンターでノーマンのあごを貫いた。


「ぐへッ」


 身を乗り出す不安定な格好のノーマンと、その場に真っ直ぐ立ったロベルトではもとよりパンチの威力が違う。ノーマンは仰向けに倒れ、毛足の長い絨毯じゅうたんに包まれて気絶した。


「一度は殴られてやったが、二度はちょっとな」


 ロベルトは頬をさすりながら、行儀悪くデスクに腰かけた。


「お前たちハンターは……いや、この街の人間全てが、情報の拡散と共有についてあまりにも軽く見すぎていたな」


 無様にのびているノーマンに語りかける。厳しさと優しさを兼ね備えた、初めて見せる父親としての表情であった。


「頭の固いハンターなんぞは、いまだにミュータントの情報は飯のタネで秘匿ひとくすべきものと考えている。そんなことで日々進化しているミュータントに対抗できるものか。時勢がまるで見えていない。馬鹿馬鹿しいを通り越してただの馬鹿だ」


 馬鹿息子が聞いているのかいないのか、そんなことはお構いなしにロベルトは語りかけ続ける。


「お前には不本意だろうが、こいつは大々的に公開させてもらうぞ。肉食蝿と蝿蛙の脅威と対処法を伝えることで、死ぬはずだった奴が生き延びることもあるだろう。生きて成長すれば街を守る戦力も増える。情報を持ち帰った、それをつまらない仕事などと考えるな」


 言いながらロベルトはノートパソコンからデータチップを取り出し、コートを掴んだ。丸子製作所に行き、このデータの公開方法について相談せねばならない。


 ノーマンをまたいでドアノブに手をかけ、そして振り返る。


「若い連中に惜しげもなくミュータントの情報をくれてやっているアイザックは古参のハンターどもからは恨まれている。お前が力になってやれ。できる範囲でな」


 ばたん、とドアが閉まる音と振動が伝わる。一人残されたノーマンはしばらく、ぼんやりと白い天井を眺めていた。

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