第142話 ノーマンの長い1日 6

 腰の引けたハンターたちを戦力として数えることは早々に諦めた。


 逃げ出したとは思われたくない。だから他の者が先に逃げ出して、戦線を維持できなくなったから仕方なく……と、いった理由が欲しい。誰もがそう考えながらり足で後退し、近場に飛んできたハエだけをちろちろと弱火であぶっている。


 自らの命を第一に考えるハンターの行動としては正しい。正しいが、あまりにも惨めではないか。


 アイザックの心は憤怒に支配された。何人か撃ち殺して督戦とくせんしてやりたいくらいだ。今、バイクの先端は換装かんそうして火炎放射機が備え付けられている。いつもの対物ライフルであったら本当にやりそうだった。


 臆病者どもに構っている暇はない。説得などと無駄な時間をかけるよりはさっさと気持ちを切り替えて、蝿の王という名を冠するミュータントをいかに倒すかを考えたほうがよほど建設的だ。


 スマートな戦いであったとはいえないが、一度は勝利した相手だ。しかし、あのときとは何かと異なる部分が多い。


 まず肉食蝿と蝿蛙はえがえるが連携して戦っているという点だ。


 大群の中から舌を出して攻撃し、飛び出してのし掛かり、また飛び上がって蝿の中に消える。これが厄介極まりない。


 ひょっとしたらこれが蝿蛙の本来の戦いかたなのだろうか。この中型ミュータントのことをまだ何も知らなかった。若手のハンターたちへ蠅蛙の生態と攻略法について得意気に語っていたことが、今になって恥ずかしくなってきた。


 他には対物ライフルを持っていない、防護服を着込んでいる、ディアスたちが居ないという点が挙げられる。


 右腕に仕込まれたショットガンを使えば当然、防護服にも大穴が空く。つまりこれも封じられて、遠距離攻撃手段は火炎放射しかないということだ。


 敵戦力のかなめと判断したか、あるいは単にちょろちょろ走り回って目障りだったか、蝿蛙はアイザックを標的としたようだ。


 機動力のある相手が姿を隠している。ならばこちらが動くしかない。アイザックは走り回りながら蝿を焼き払い、相手の出方を待った。


 バイクのガソリンにも、火炎放射機の燃料にも限界はある。沸き上がる焦りを心の奥に押さえ込み、そしてようやくチャンスがめぐってきた。


 崩れ落ちた黒壁の中から王の姿を捉えた。


(出力、全開……ッ!)


 大型バイクの先端から再び火竜が放たれた。それは蝿蛙を包み込み、天を焦がす火柱となる。


 火炎放射機は火の点いた科学燃料を浴びせる兵器だ。極端な話、池の表面だって燃える。ミュータントの表面がどれだけ粘液に覆われて燃えにくかろうが、そんなことは関係ない。


 また、炎でダメージを与えづらくとも周囲の酸素を燃焼させ酸欠に追い込むことだってできる。業火に焼かれて死なない生物など存在しないのだ。


 効果範囲こそ短いが、凶悪という点で火炎放射機は相当なものだ。


 アイザックは会心の笑みを浮かべた。蝿蛙の中にぎっしり詰まった肉食蝿どもも一緒に燃えてしまえばこれほど楽なことはない。


 ……その表情が、すぐに凍りついた。


 蝿蛙が勢いよく跳び上がる。このミュータントの特徴ともいえる驚異の跳躍力だ。

跳ぶと同時に体表を覆っていた粘膜をまるで脱皮するようにずるりと脱ぎ捨てた。盛大に燃え盛っていた燃料も一緒に捨てられて、大地を虚しく焦がす。


「なんだそりゃあ!?」


 ふざけるな、そう言ってやりたい気分だった。勝利確定からイカサマでひっくり返されたようなものだ。


 抗議に何の意味もなく、そんな暇もない。


 頭上から降ってくる蝿蛙の巨体をターンで避け、鋭く繰り出される舌を急発進で躱す。防護服を着ていれば肉食蝿の攻撃は通用しないが、集まって視界を塞がれるのは大問題だ。


 周囲にたかる数千匹の羽音は聞いているだけで頭がおかしくなりそうだ。


 悪条件ばかりが積み重なっていく。焦りは禁物だとわかってはいる。だが、どうすればいい。


 逃げ出そうにもこのタイミングで蝿蛙に背を見せることは自殺に等しい。




 一方そのころ、TD号の中でしばし目をつぶっていたノーマンが固い声でいった。


「ルールー、前進だ」


 ルールーは少しの間を置いてから、この場にそぐわぬ明るい声で答えた。


「了解ッ」


 何故、とも聞かなかった。やるべきことは決まっている。いつまでも傍観者ぼうかんしゃではいられない。いや、そうであってたまるものか。


 履帯がゆっくりと、力強く回り始めた。


「ちょっと待てぇ! 何でお前ら覚悟ガン決まりしちゃってんのぉ!?」


 ホルストが今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。


「俺たちは防護服なんか着てないし、この戦車も完全密閉ってわけじゃない! せっかく助かった命なんだから、大事にしようぜ!?」


「ホルストくん。助かったんじゃないの。助けられたのよ」


 ルールーは子供に語りかける母のように、優しげな声でさとした。


「だから今度は私たちが助ける、OK?」


「よくなぁい!」


 ホルストがいくら嫌がろうとも、戦車は真っ直ぐ突き進む。


「早く終わらせたかったらさっさと倒せ! 蝿蛙さえぶち殺せばすぐにまた後退してやる!」


「うぅ……。エリナ、お兄ちゃん帰れないかもしれないよ……」


 妹を学校に行かせてやりたい。そんなささやかな願いさえ叶えるには命懸けだ。


 蝿の大群が肉眼でもはっきり見えるようになった。その中にちらちらと、跳び回る巨大な影が見える。


「砲撃準備ッ!」


「畜生、やってやらあ!」


 車長ノーマンの号令でホルストは発射装置を握りしめた。目標、不本意ながら蝿蛙。

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