第141話 ノーマンの長い1日 5
アイザックが肉食蝿を次々と焼却していく。
若者たちはモニターに頭突きでもしそうな勢いで観戦していた。自分たちを死の恐怖に
特にホルストなどはテンションが下限から上限へと振り切れ、見るからにおかしなことになっていた。
「すげえ、アイザックさんすげえ! もうワンダフルでビューティフルでマーベラスだよ! わかるか、ノーマンッ!?」
「わかんねぇよ」
「なんだと、ワビサビのわからん奴め!」
興奮する気持ちはわかるが正直なところ、うるさい。
ノーマンはアイザックとは顔見知りであり、助けに来てくれてありがたいとは思うが、ぼくらのピンチにヒーローがやって来た、などといった感覚ではない。
(あれ、そういえば……)
ふと気が付いた。こうしたときに一番騒ぎそうなルールーが静かだ。普段の彼女なら実況でも始めておかしくはない。
助けが来たことで、緊張の糸が切れて気絶しているのだろうか?
「おいルールー、起きてるか?」
「え? ああ、大丈夫。ちょっと考え事していてね……」
そういって癖のある銀髪をくしゃくしゃとかきむしると、
「ほら、火炎放射機って稼働時間が短いじゃない?」
「じゃない? って言われてもな。知らねえよ」
「何いってんの!? 常識でしょう?」
「ハンターは普通、火炎放射機なんか使わない……」
「短いって、どれくらいなんだ?」
少し落ち着きを取り戻したホルストも会話に加わった。ルールーはモニターを見て少し考えた後で、
「あのサイズのボンベなら、放射できる時間は5分かそこらかな……」
「そんなに短いのか、ボンベが2つもあるのに!?」
不思議そうに首を傾げるホルスト。ルールーは路地裏でぶちまけられた吐瀉物を見つけてしまったような顔をしている。
「ボンベの片方は液体燃料だけど、もう片方は燃料を押し出すための圧搾ガスなどだって……一般教養でしょう!?」
「一般人は火炎放射機なんか使わない……」
ルールーは火炎放射機についての講義を始めたいところであったが、今はそんなことをしている場合ではないと気付いて、ゆっくりと首を振った。
「つまり今一番の問題は、アイザックさんの火炎放射機で肉食蝿を全部倒すのは無理ってことよ」
「は? それじゃあ俺たちゃどうすりゃいいんだ!?」
ノーマンはまだ危機が去っていないことを思い知らされた。
燃料、つまりは攻撃手段が切れれば立ち往生するしかない。どうせ自分たちはここにいてもやることがないのでアイザックを置いて帰る、という考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。
自分たちを助けるためにやって来た相手を見捨てるというのはどこをどう考えても人としてまずい。臓物戦車戦で会長を送り届けるために戻ったのとは訳が違うのだ。
また、丸子製作所に所属するエースクラスのハンターを裏切ったとなれば当然、信用を失うことになる。
俺はロベルト商会所属だからどうでもいいや、などという問題ではない。ロベルト商会と丸子製作所はミュータント討伐において深い協力関係にある。その関係を壊した張本人がおとがめなしということは絶対にないだろう。
ノーマンは通信用ヘッドセットのマイクを摘まんで、アイザックに語りかけた。
「アイザック、撤退するときは言ってくれ。機銃で援護するから……ッ」
蝿を引き連れたままどこへ逃げるのか。今はただ、この男を死なせてはならないという考えしかなかった。
そんなノーマンの覚悟に対して返ってきたのは『へぇ?』という間の抜けた声であった。
「ああ、なんだ。蝿を全滅はさせられねぇだろって気にしてんのか。俺は先行して来ただけであって、本隊は後から来る。心配すんな」
と、どこか気楽な調子でいった。
言葉通り、10分ほどすると丸子製作所の大型トラックが2台、砂煙を巻き上げてやって来た。荷台の扉が勢いよく開くと防護服を着込んでボンベを背負ったハンターたちが飛び出してきた。その数、20名。
一斉に火炎放射機を構え、放つ。太陽が地上に落ちてきたのかと見紛うばかりの炎に、死の黒雲が浄化されていく。
アイザックはトラックへ向かい予備のボンベに交換し、再度出撃した。
バイクの機動力を活かして肉食蝿をできるだけ1ヶ所にまとめるように炎の壁を作って立ち回る。
「すっげぇ……」
そんな感想しか出てこなかった。ノーマンとしてはもう少しくらい気のきいた台詞を吐きたかったところだが、疲弊した頭にはこれが限界であった。すごい光景だ、そうとしか言いようがない。
ぐずぐずと鼻をすするような音が聞こえる。見ると、ホルストがなぜか泣き出していた。
「いやお前、何で泣いてんの……?」
「だってよ、泣いちゃうだろこんなの。蝿の大群を見たとき、これは人間にはどうしようもない災害だと思ったよ。ただ耐えることしかできない、理不尽な天災だって。それを今、人間の手で消滅させようとしているんだ。奇跡だよ、歴史の分岐点に俺たちは立ち会っているんだよ。お前も泣け!」
確かに凄い光景だとは思うが、そこまで言われると逆に気分が冷めていく。ホルストの目には、人間が地震や竜巻を止めているのと同じように見えているのだろうか。
「ノーマンくん、ちゃんと撮影してる?」
いきなり話を変えて、ルールーがいった。
「おう、街を出たときからずっと録画しっぱなしだ」
「撮影っていうのは、ズームしてワイドして、こっちのカメラはこのひとを追っかけようとか、そこまでやって撮影なの! ノーマンくんはただカメラを固定してほったらかしているだけでしょ!?」
「むぅ……」
「むぅ、じゃない! やれ!」
どうして俺はこんなところで、ハンターマニアの女にダメ出しされているのだろうか。そう感じながらも黙って従うしかないノーマンであった。
文句があるならお前がやれよ、と口にしなかった自分を誉めてやりたいくらいだ。カメラの操作は車長の席からしか出来ない。こんな下らないことで配置交換することになったらたまったものではない。ルールーほど上手く操縦はできないし、ルールーに車長を任せて安心はできない。
「カメラ1番と3番でアイザックさんを追って、2番は広角モードで肉食蝿全体を!4番で適当なハンターを映して、ほら! ほらほらほら!」
途中でホルストとも目があったが、彼は苦笑いを浮かべるだけでとくに助け船を出そうというつもりはなさそうだった。
畜生、仲間のなかに味方がいない。
アイザックはともかく、ボンベを背負ったハンターたちを見ていると、
(ガラが悪いな……)
と、感じざるを得ない。
品性が著しく欠ける軽口を叩く者、蝿に向かって中指を立てる者、あらぬ方向に火炎を放って燃料を無駄遣いする者。
災害に立ち向かう英雄というよりは、安全な位置から敵を殺していきがっているチンピラ集団にしか見えない。
(助けに来てもらっておいて、こう考えるのも失礼だとは思うけどさ……)
暗い気持ちでカメラを動かしていると、突如としてそれは起きた。
影のなかから赤い、ぬらぬらと濡れ光る触手のようなものが飛び出し、ひとりのハンターの腰に巻き付いた。そして、影のなかに引きずり込まれた。
「え?」
遠くから見ているノーマンたちにすら、何が起こったのか理解できなかった。
近くに居たハンターたちには、人がひとり突然消えたとしか思えなかっただろう。大半の者は人が消えたことにすら気付いていない。
数人が顔を見合せ、首を傾げながら人が居なくなった先に火を放つ。肉食蝿が散り、そこに現れたものは打ち捨てられたボンベと火炎放射機、そして血と臓物を垂れ流す人間の下半身であった。上半身は見当たらない。
「うわああああああ!」
全員の通信機に、正気を失った叫びが響く。
無惨な死体を直視してしまった者のひとりが火炎放射機を振り回して無茶苦茶に火を放つ。そんな彼の頭上に何か巨大な物が落ちてきた。
それは男を踏み潰し、一瞬でまた飛び上がって蝿の中にに消えた。
潰された男は全身の骨が内蔵に突き刺さり、密閉された防護服の中は自らの血で満たされた。
姿は見えないが、何かが潜んでいる。ハンターたちに動揺が走り、じりじりと後退し始めた。逃げ出す者が現れるのも時間の問題だろう。
「おい、そっちから見て何かわかったか?」
アイザックからTD号へ通信が入る。その口調に今までのような余裕はない。
「いや、こっちからは何も……」
助けてもらってばかりで肝心なときに何もできないのか。唇を噛み締めていたノーマンが、ふと思い付いたようにいった。
「そうだ、カメラだ!」
「カメラぁ?」
「人が消えるところも、潰されるところもカメラで撮っていた! 巻き戻してコマ送りにすれば何かわかるかもしれない!」
「なるほど……。いいぞ、やってくれ! できれば俺がくたばる前にな!」
本当に何が役に立つかわかったものではない。まったく気乗りしなかった映像記録が、今は敵の正体を暴く鍵となった。人が潰されるところなど見たくはないが、そうも言っていられない。
震える手でコンソールを操作し、踏み潰される瞬間を捉えた。そこに映っていたのは全身に苔が生え粘液で濡れ光る、まるっこい生き物だ。
「これは蛙、か……? 背中に薄い羽のようなものがある」
ノーマンの不安げな説明に、アイザックは舌打ちで返す。不快感という物質を注射器に詰めて、一気に身体中へ流し込まれたような気分だ。
「ベル、ゼブル……ッ」
油断はしていないつもりだった。だが、心のどこかで勝負は決まったと思い込んでいなかっただろうか。アイザックは己の甘さを呪った。
ここはミュータントの
過去の因縁は、最悪のタイミングでやってくる。
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