第140話 ノーマンの長い一日 4

「はい、こちら丸子製作所」


 繋がった。整備班長、ベンジャミンのだみ声が今は天使のさえずりのように聞こえる。この世に不精ひげの天使がいればの話だが。


「こちらTD号! 応援を、援軍を頼むッ!」


「あ? 何だ? お前ノーマンか? こっちで蝿の大群を観測したんだけど、まさかお前ら追われてんのか?」


「そのまさかだ、クソッタレ! こんなもん街に引き連れるわけにはいかないだろう? 早く誰かなんとかしてくれ、助けてくれ!」


「まあ、落ち着けよ坊や」


「落ち着いていられるか!? こっちはうん十万の肉食蝿に追われているんだぞ!」


「それでも落ち着け、でなけりゃ死ぬぞ!」


「ぬ……」


 ベンジャミンの一喝いっかつにノーマンたちは気圧けおされた。腕は良いが性格はいい加減なおっさんというイメージしかなかったので、こんな鋭い声が出せようとは少々意外であった。


「いいかお前ら、よく聞け。俺たち丸子製作所の面子めんつは蝿の大群との交戦経験がある。その経験を活かして対応策も用意してある。だから安心しろ、いいな?」


「お、おぅ……わかった」


「援軍を出すから詳しい場所を教えてくれ。今どこにいる?」


「えぇと……」


 位置情報はどうやって出すのだったか、ノーマンはコンソールの前で指をうろうろと迷わせていた。人間、極度の緊張状態に置かれると二桁の足し算すらできなくなる。ちょうどそんな状況だ。


「ポイント、NE556ですッ!」


 ルールーが半ば自棄やけになったように叫んだ。


 直後、無線機がガリガリと不快な雑音をたて始めた。まるで自分の頭蓋骨が削られているような音だ。


「なんてこった……。また、磁気嵐が強くなったようだな」


 ホルストの呟きに、ノーマンの顔からさっと血の気が引いた。顔面蒼白、目をつぶれば死人と変わらぬ顔色だ。


 ルールーの叫びは届いただろうか?


 いや、たとえ届かなかったにせよ丸子製作所の方で肉食蝿の大群を観測したと言っていた。ならばある程度の方角はわかるはずだ。


 街から北東、55.6キロメートル。全速力で飛ばせば1時間前後という距離だ。たったそれだけの距離が、あまりにも遠い。


「進路このまま、街へ向けて突っ走れ!」


「伝えた場所から動いちゃっていいの!?」


「援軍は街から出てくるんだ。真っ直ぐ向かえば途中で合流できる!」


 本当に助けが来るのであればな、という言葉は飲み込んだ。信じられるか信じられないかという問題ではない。信じて動く他に道はないのだ。


 懸念材料けねんざいりょうは他にもある。ひとつはずっと緊張状態で運転を続けるルールーの体調だ。集中力がいつまでも続く訳がない。先の臓物戦車戦では、あのカーディルでさえ疲労の蓄積によって穴にはまり21号を放棄することになったのだ。いつ緊張の糸がぷっつり切れてもおかしくはない。


 もうひとつは燃料だ。戦車はリッター500メートルとか600メートルという、こと燃費に関しては頭が悪いとしか言い様のない兵器である。エンジン全開で走れば消費速度はさらに倍増だ。


 出るときはなんの心配もいらないほどに燃料を入れてきたはずだが、今は街にたどり着けるかどうかも疑わしい。


 燃料切れで止まってしまえば蝿の大群に入り込まれ、戦車は無傷で中には3つの白骨死体という怪異の出来上がりだ。冗談ではない。


 もしも援軍が来るのが遅くなったら?

 あるいはどこかですれ違ったら?


 そう思えば恐怖で泣きたくも叫び出したくもあった。


 だが、それはできない。ルールーの集中力を乱すだけだ。この極限状態で、出来ることは何もないということに耐えねばならなかった。


 いざとなれば仲間ふたりを殺して自分も死ぬべきだろうか。生きたまま蝿に食われるよりは、よほどマシなはずだ。


(……できるのか、俺に?)


 ルールーの後頭部、銀のくせ毛へかすんだ視線を向ける。自分がこの手で撃ち抜かねばならないのか。何も気付かぬままに死なせてやるのが情けというものだ。


 ……わかってはいる。だが、やれるのか。


 胸ポケットの上から触れた拳銃が、ひどく恐ろしいもののように感じられた。まるで火の点いた爆薬を胸に抱えているような気分だ。


(何を考えているんだ俺は。あくまで最悪の場合の話だ。無理にやらなきゃいけないことじゃない……)


 思考が悪い方へ、悪い方へと向かっている。切り替えなければ、待っているものは確実な破滅だ。わかってはいるが、どうにもならない。


 突如、車内にぽぉんと場違いなほど軽快な電子音が響き渡り、ノーマンは驚き肩を震わせた。


「なん……なんだぁ!?」


 見ると、レーダーが金属反応を拾ったようだ。戦車よりも小さな反応が猛スピードで疾走している。


(まさか……ッ)


 光学カメラを操作して、拡大。モニターには防護服を着込み、ボンベのようなものを二本背負い、大型のバイクにまたがった姿が映し出された。


「なんだあの変質者は!?」


「なに失礼なこといってんの!? アイザックさんに決まっているじゃない!」


 ルールーにたしなめられ、ようやく気が付いた。あのバイク、あの巨体。確かにアイザックだ。


 納得はしたが、見た目が怪しいことに変わりはない。夜道で出会えば確実に道を譲ってしまうだろう。


「よう、お疲れさん。後は任せて離れてな」


 通信機から流れる力強い声。あの豪傑に抱かれてもいいとまで考えたのはさすがに気の迷いだろう。


 大型バイクはTD号の脇をすり抜け、蝿の大群に突っ込んで行った。防護服で蝿の侵入を防ごうという考えはわかるが、それがどこまで通用するのか。TD号の3人は数百メートル離れた地点で、固唾かたずを飲んでモニターを凝視していた。


 蝿の先頭とアイザックの距離が10メートルまで近づくと、大型バイクから閃光が放たれた。


 極度に発展した科学は魔法と区別がつかない。そんな言葉をノーマンたちが意識したわけではないが、それは火竜を召喚したかのような幻想的な光景であった。


 20メートルほど伸びた炎の柱が大群を凪ぎ払う。数千匹の肉食蝿がその死骸、この世に生きた証さえ残さずに一瞬にして消え去った。


 アイザックはバイクを急発進させ、位置を変えて再度の発射体勢に入る。


「さぁて、いつぞやの借りを返させてもらおうかい」


 アイザックは以前、肉食蝿を相手に酷い目にあったことがある。本人は無様な姿をさらしたとすら感じていた。


 また、先日の臓物戦車戦ではサポートに回ってばかりでいまいち活躍したという気がしない。ディアスをはじめ多くの人間がたたえてくれたが、とても満足できる内容ではなかった。


 ここで肉食蝿どもを燃やし、燃やし尽くして全ての精算としよう。


 防護服のなかで、アイザックの表情は暗い笑みに歪んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る