第139話 ノーマンの長い一日 3

「こちらTD号! 丸子製作所、応答願います!」


 圏外と表示された無線機に向かってノーマンは語りかけ続ける。何かのはずみで繋がったりはしないか、そんな淡い望みをかけての行動だが、無線機が返すのはガリガリという雑音のみであった。


 仲間2人も、無駄なことはやめろとは言わなかった。この蝿地獄はえじごくから抜け出せるのであれば神にも奇跡にもすがりたいところだ。


 荒野に巻き起こる磁気嵐、自然の通信妨害は彼らの夢を無情にくじく。


 TD号と肉食蝿の先頭、その距離は約500メートル。全速力で走って縮まりも離れもしない。


「野郎、ぶっ殺してやる!」


 苛立ったホルストが砲塔を旋回させる。その意図に気づいたノーマンが鋭くいった。


「主砲は使うな、まだ何が起こるかわからん! 機銃も使いきらず残しておけよ!」


「……了解ッ!」


 恐怖を振り払う咆哮、9ミリ機関銃が死の黒雲に向けて放たれた。直撃を受けた蝿は跡形もなく消し飛び、衝撃に巻き込まれた蝿はバランスを失って回りながら落下する。


 黒雲は大きく穿うがたれ、また集まって塞がれた。


「くそ、虫けらのこういうところが不気味で嫌いなんだ!殺されるから逃げようとか、そういった感情がまるでないのかよ!」


 半狂乱になって次はガトリングガンを放った。鋼の一閃が通った跡に、肉食蝿が大雨のようにぼたぼたと落ちる。


 ただ、それだけだった。砂漠から一握りの砂を取り除いたようなもので、何も変わってはいない。


 さらに追撃しようとするホルストであったが、ノーマンが手元のコンソールを操作してガトリングガンをロックした。かちり、かちりとホルストの手元で虚しく音がする。


「おい、ノーマン!」


「もういいだろう? 耐えろ」


「何を偉そうに……ッ!」


「偉いんだよ、車長だ。少なくとも弾の無駄遣いを許すわけにはいかない」


 ホルストはノーマンを睨み付け拳を固めたが、やがて何も言わずに引っ込めた。

道理はわかる。酒場ではダチでも、いざ戦車に乗れば絶対の上下関係、指揮系統がある。それは車長のためではなく、全員が生き残るためだ。こんなところで殴りあいをして蝿に追い付かれて食われました、では話にならない。


 その後しばらく追われる恐怖の中、重苦しい沈黙を抱えて走り続けた。


 気が狂いそうになる。叫び出したい。だがそれをやれば何もかもが破綻してしまいそうだ。


 ルールーの悲鳴に似た叫びが、沈黙を破った。


「前方に人影が!」


 ノーマンも急いでカメラを操作し、モニターを確認する。4人、徒歩で小型ミュータントを狩りに来たハンターのようだ。


「どうする!?」


「どうするって……」


 考える。いや違う、自分が善人でいたいから考えるふりをしているだけだ。出来る限りのことはしようと思った、と。


 激しい自己嫌悪を抱えながらノーマンは言葉を絞り出した。


「どうしようもねぇよ、突っ走れ!」


 ハンターたちも異変に気が付いたようだ。叫び、武器を捨て走り出す。だが肉食蝿のスピードに比べれば遅々たるものであった。


 TD号が彼らの脇をすり抜ける。その時モニターに映った顔は、ノーマンらと同じくらいの若いハンターたちであった。


 逃走も虚しく、彼らは黒い影に飲み込まれた。隙間なく肉食蝿が群がり肉を貪り噛みちぎる。苦痛にあえぐ口からも侵入し、内蔵を食い破った。悲鳴も、呪詛じゅそも、全て羽音にかき消された。


「あ、あぁ……」


 ルールーのハンドルを持つ手が震え出した。彼らは自分たちが殺したようなものだ、と。ただ見殺しにしただけではない、ここまで蝿の大群を引き連れて来なければ彼らが死ぬこともなかったはずだ――……。


「気にするな」


 ノーマンが冷たく言い放った。彼が今どんな顔をしているのか、運転に集中するルールーは振り返るわけにもいかず、黙って聞いているしかできなかった。


「勘違いするなよ。操縦手も、砲手も、車長の指示に従っていればいいんだ。それ以外、余計なことを考えるな」


 彼らしからぬ傲慢ごうまんな物言い。街で言われたらぶん殴っていたかもしれない。


「……全て、俺の指示でやったことだ」


(震え声で言われてもねぇ……)


 気持ちの整理が追い付かず、死んでしまえるならばそれでいいという破滅願望すらあった。今は、この不器用な仲間を死なせたくないという想いであった。


(ひとを巻き込んでおいて、自分の仲間だけは大事だっていうのは身勝手かもしれないけど……)


 ルールーはぶら下げていたタオルを握るようにして汗を拭い、ハンドルを握り直した。


 より速く、より正確にTD号は荒野を疾走する。


 薄氷の上に立つ自信とはいえ、とりあえず己を取り戻したルールーに対し、ノーマンは自己崩壊寸前なまでに嫌悪感を抱えていた。


 彼らが蝿どもに食われたおかげで時間を稼ぐことができた。ハンターとして冷酷で現実的な部分がそんなことを考えてしまう。


 事実だ、そして生き残るためには最大限利用しなければならない。


 こんなものが、ハンターとしての成長なのか。


 気を抜けば激しく嘔吐してしまいそうだ。口を押さえじっと耐えているところに、ホルストが遠慮がちに声をかけた。


「なぁノーマン。徒歩で来たハンターがいるってことは、街に近づいたってことじゃないか?」


「あ……」


 そこまで頭が回らなかった。無線機の表示を見ると、アンテナが1本だけ立っている。雑音混じりで会話など成り立たないだろうが、危機を伝えることくらいはできるかもしれない。


 ここで無線機を使い助けを呼ぶことは死んでいった者たち、ある意味で自分たちが殺した者たちへの裏切りではないのか。そう悩んだのはほんの一瞬であった。


「戦場に、英雄などいない……」


 憔悴しょうすいした声で呟いて、ノーマンは無線機のマイクを握りしめた。

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