第138話 ノーマンの長い一日 2

「俺の戦車もずいぶん色ものじみてきたな……」


 荒野を疾走するTD号。上部ハッチから身を乗り出したノーマンが暗い声を吐き出した。


 映像記録用の外部カメラが4台車体に取り付けられており、写真撮影用の超望遠カメラが機銃のふりをして居座っている。戦車をパワーアップさせたいとは思っていたが、こういうことではない。


『情報を持ち帰ったのは結構なことだが、あまりにも質が悪すぎる』


 臓物戦車戦の映像を提出した後でロベルトにそんなことを言われてしまい、さらに翌日にはこんな改造がされてしまっていたのだ。


 さすがに左右に配備していた機銃のうち一丁を取り除くのはやりすぎだとは思ったが、この戦車自体ロベルトに買い与えてもらったものなので文句の言いようもない。


 通信機を通してルールーの能天気な声が聞こえてきた。


「いいじゃない。こんな戦車、他にないよ。オンリーワンだよぉ?」


「何でオンリーワンかってえと、こんな戦車誰も乗りたくないからだ!」


 地味な仕事を確実にこなすことが信用を積み重ねることになる、ホルストがそう語りノーマンも一時は納得したのだが、こうまで撮影機材を本格的に積み込んだのでは、その手の依頼しか入って来なくなるのではないかと不安になってくる。撮影、情報収集専門のハンターというイメージが付いたら後戻りができなさそうだ。


(俺が目指しているのは、大型ミュータントですらばったばったとなぎ倒す最強のハンターだ……)


 そんなことを口にすれば街のハンターたちは身の程知らずと笑うだろう。仲間であるはずのルールーやホルストたちでさえそうだ。


 だが彼はハンターの大半が諦めている、白けて情熱を失っている『女王機兵越え』、トップハンターへの道を諦めてはいなかった。


 ディアスとカーディルのことが嫌いなわけではない。むしろ、今は尊敬の念すら抱いている。


 臓物戦車戦の映像を独りで見返して、その華麗な動きに感動し、じわりと涙が浮かんだことに気付いてあわてて拭き取ったものだ。


 壁に向かって話していた方がまだマシだと思えるほど苦手であったディアスだが、最近はあいつにも感情があるのだということがわかってきた。ただ、表情に出ないだけなのだ。


 専門外のことを聞けば『知らん』と一蹴されてしまうが、戦車や狙撃について質問すると親切に教えてくれる。ひょっとしたら良い奴なのではないかと思い始めたが、これについてはまだ確信は持てない。


 そんなディアスたちも最初から最強の戦車乗りであったわけではない。直接聞いたわけではないが、噂の断片から察するにスタート地点はむしろどん底であったようだ。


 ノーマンは父親から戦車を買い与えられ、多くの権力者とのコネクションがあるという点で、どのハンターたちよりも恵まれているのだという自覚があった。なればこそ、より高みを目指す義務があるのだとも。


 今すぐには無理だ。5年、10年先を見据えて行動しなければ――……。


「おいノーマン、ちょいと危険なウェザーじゃあないか!?」


 ホルストの声で思考が中断された。頭がひどく重くなったような気がする。ゆっくりと顔をあげると、目標地点のちょうど真上あたりにどす黒い、巨大な雲が出ているのが見えた。


「おいおい、雨とか勘弁してくれよ……」


「サンダーフォールも警戒しないとな」


「問題は濃度だよねぇ」


 雨とは基本的に酸性雨である。酷いときは耐酸性の雨具を着なければ外に出られないくらいだ。一応、車内に一着だけ用意はある。


「面倒なことになったな……」


 ぴしり、とノーマンの頬に何かが当たる。小石が風で巻き上げられたか、履帯で跳ねあげたのだろうか。


 何かがおかしい。真っ白な紙にインクを落としたように、じわりと違和感が胸のうちに広がっていく。


 ルールーとホルストの談笑が、ひどく遠いもののように聞こえた。


「あぁ、なんだか耳鳴りまでしてきたわ」


「低気圧のせいだな」


「首から上の体調不良はとりあえず低気圧って言っておきゃいいと思ってない?」


「目の前にあんなでかいクラウドがあるんだ。頭痛や耳鳴りくらい起こるだろ」


 低気圧、果たしてそうだろうか。ノーマンも耳鳴りを感じている。だが頭痛や悪寒はない。何かを見落としていないだろうか。見えているのに見えていはいような、訳のわからぬもどかしさだけが残る。


 上部ハッチの縁を掴んでいた右手に鋭い痛みが走った。見ると、肉食蝿が噛みついている。


 忌々しげに振り払い、そして理解した。


 息が詰まりそうだ。ずっと前から悪魔に心臓を掴まれていたことにようやく気がついたような気分だ。


「ルールー! 急速反転、街へ撤退だ!」


「ふぇっ?」


 よくわからないが車長の指示である。コンパスを回すようにくるりと反転し、履帯の跡を追うように走り出した。


「ノーマンくん? ちょいと天気が崩れたから帰るって、あんたどこのお嬢様よ!」


「写真を撮るだけなんだから、ちゃっちゃとやっちまった方が早いだろ?」


 2人の疑問には答えず、ノーマンは車内に滑り込んで上部ハッチを乱暴に閉じた。何度もモニターを確認して後方を気にしている。


「あれがただの雨雲なら俺だってそうするさ!」


 雨雲、そう思っていたものがぐにゃりと歪んでTD号へと向かってきた。耳鳴りがさらに酷くなる。いや、これは羽音だ。


 ルールーとホルストの顔からすっと血の気が引いた。


 よくよく考えれば当然のことだ。あそこには山のように積まれた腐肉がある。その量に応じた肉食蝿が集まったのだろう。


「これからどうすんのぉ!? まさか街まで引っ張って行くの!?」


 ミュータントや害虫のむれを街へと引き連れることは重罪である。なればこそハンターたちはミュータントから逃げるときは追っ手を撒いてから街へ入ることが義務付けられていた。


 災害レベルの肉食蝿を街まで案内すれば、3人揃って首を斬られるくらいでは済まないだろう。


「無線が使える距離まで近づいてから応援を頼む! 今はとにかく全速で走れ!」


 追われる者は3人。追う者は数十万匹。あれだけの数の肉食蠅にたかられれば、3人揃って白骨化するまで5分とかかるまい。


 戦車内は閉鎖された空間である。だが水中に突っ込んでも平気なほど密閉されたわけではない。所々に隙間はある。


「全速だ、全速力で逃げろ!」


 無線機の『圏外』という表示が、死刑宣告のように見えた。

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