第136話

 ディアスはひまを持て余していた。

 新型戦車ができあがるまでの一ヶ月間、何もやることがない。


 今さら徒歩でライフルを担いで小型ミュータントを狩りに行くような気にもなれず、戦車をレンタルしてまで戦おうとは思わない。激しい戦いの後でどこか気が抜けてしまったようなところもある。


(まあ、こういう生活も悪くないよな……)


 朝はカーディルと共に起き、昼になったらのんびりと射撃訓練場に向かい、夜はまた恋人と過ごす。ある意味、理想の生活と言えなくもない。


 ミュータント討伐から長いこと離れてしまうことに不安を感じないわけではないが、こればかりは焦っても仕方がない。戦車ができあがり、慣らし運転が終わればどうせ嫌でも隣街への遠征に付き合わねばならないのだ。


 中型、大型ミュータントを倒しても大した贅沢はせず、かなり額の貯金があったがそれでも義肢と新型戦車を一括で買えるほどではなかった。マルコ博士に分割返済を申し込み、その条件として遠征への同行を命じられた次第である。


 いつものように手提げ袋を持って射撃訓練場へ着くと、そこで意外な人物に出会った。その男もディアスがここによく出入りしていることを知らなかったようで、口をぼんやりと開けてディアスの方を向いている。特に用事があるわけではないが、無視するような間柄でもない。


「どうも会長、お久しぶりです」


「もと、ね。元会長」


 苦笑いして答えた男はハンター協会、前会長のスティーブンだ。彼の足下には十数個の空薬莢が落ちており、さらに隅っこの木箱にはチリトリで大ざっぱに集めて捨てたと思われる大量の空薬莢が見えた。たまたま通りかかっただけ、というわけではないらしい。


 ディアスの視線が空薬莢に向けられていることに気づいて、スティーブンは恥ずかしげに目をそらした。彼の正面10メートルに位置する人型マンターゲットははしが多少かけている程度で綺麗なものである。銃に関しては素人なのだから仕方がないが、トップハンターであり名スナイパーと呼ばれる男にこんなところを見られるのは居心地の悪いものであった。


 ディアスはスティーブンの腕について言及することなく、軽く首を傾げていった。


「まさか、ハンターに転職するおつもりで……?」


「へ? いや、いやいやいや違うって。冗談じゃない、もうあんな目に遭うのは御免被る。謝罪する、済まなかった。興味本位で行くようなところじゃない」


 少々大袈裟にも思える反応だが、本人は至って真面目である。ミュータントが見たいとは言ったが、史上最悪のミュータントに襲われたいなどとは言っていない。初体験としてはあまりにも強烈すぎた。


「そうでしたか。失礼ながら会長職を下ろされたとのことで、その後どうなされてるのかと、気になったもので」


 普段あまり他人のことなど考えもしないディアスであったが、スティーブンが地位を追われた責任が自分にもあるとすればどうしても気になる。


 一時的に撤退したとき、ハンターたちに呼びかけず大人しくしていれば街の損害は甚大なものになっていただろうが、スティーブンの椅子は守られていたかもしれないのだ。


 仇には仇、恩には恩をもって返すのがディアスという男の行動理念である。他者の生活に踏みいることを無礼と知りつつも、金銭的な援助も視野に入れて聞かないわけにはいかなかった。


「会長ではなくなったがね、とりあえず屋根と飯には困っていないよ。というのも、ロベルトさんが生活の面倒をみると申し出てくれてね、ロベルト商会の敷地内に部屋をもらって暮らしているんだ。ロベルト商会と丸子製作所でちょっとした事務なんかもやりながらね」


「そうでしたか、それはよかった」


 今のご時世、文字が読めてパソコンが扱えて、それなりに人脈がある人材は貴重だろう。案外、ハンター協会の会長などというヤクザの元締めよりはずっと彼に向いているかもしれない。


 ディアスはわずかに微笑み、頷いた。スティーブンはディアスの石膏で固めたような表情しか知らなかったので内心、少々意外に感じていた。青年らしい顔を初めて見た気がした。こんな顔ができる男なのだな、と。


「私の生活環境もずいぶんと変わったよ。女房子供も出て行ってしまったし……」


 顔を伏せ、身を震わせるスティーブンにディアスは何と声をかけてよいかわからなかった。それは大変でしたね、などと気軽に言える話でもないように思う。臓物戦車戦では死力を尽くしたつもりだ。それでも己のふがいなさが家族を引き裂いてしまったのか――……。


「ぷっ……」


「え?」


 スティーブンは自分の膝をばしばしと叩いた。勢いよくあげたその顔は、爽やかさすら感じる笑顔であった。


「自由! なんと素晴らしい言葉か! あのクソ女、自分から出て行ってくれたんだぞ、こんなに嬉しいことはない! 慰謝料の請求もなしに無料ただで出て行ってくれたんだ! 何の仕事も勉強もせずに会長職を継げると思いこんでいたクソガキが口汚く罵ってくれたが、負け犬の遠吠えとは天上の音楽のように美しく聞こえるものだな!」


 強がりでそんなことを言っている、わけではなさそうだ。家族と別れて喜ぶ心理というものがディアスにはまったく理解できない。本人は狂喜と呼べるほどに喜んでいるが、おめでとうございますと言うのも何かズレているような気がして、ディアスは黙って見ているしかできなかった。


「嫁、いや元嫁が『会長職を失ったあんたに何の価値もない』などと抜かしてくれたが現実はどうだ、多くの人が私を気にかけてくれて、好意と尊敬の眼を向けてくれる。現役時代よりも会長っぽい扱いなのは喜ぶべきかどうか……」


 そう呟きながらスティーブンはターゲットに向けて銃を構える。二度、三度と乾いた破裂音が響く。弾丸はターゲットの脇をすり抜け土壁にめり込んだ。空薬莢が落ちる金属音がへたくそな射手をいらだたせる。せっかくいい気分なのだから、ここは素直に当たって欲しい。


「それでなぜ射撃訓練などを? 無理に、とは言いませんが……」


「構わないよ、別に言いたくない訳じゃない。どう表現すればいいか迷っているだけさ」


 空薬莢を足で払い、しばし悩んでから重い口を開いた。


「うん、そのぅ……なんだ。あれは最悪の体験だった。その一方で、こうした世界に生きているのだということを忘れたくないというか……。済まない、やっぱり訳が分からないよな」


「いえ、ありがとうございます」


 ディアスは礼をいい、深々と頭を下げた。まとまってはいなくとも、本音で答えてもらえた。それで十分ありがたい。


 この反応にスティーブンは戸惑い、話題を変えるようにいった。


「そうだ、もしよければ銃の扱いをレクチャーしてくれないか?トップハンターに指導してもらえる機会なんてそうはないからな」


「指導、ですか……」


 嫌なわけではない。ただ、他人ひとに物を教えるというのがとにかく苦手であった。かといって、嫌です苦手です知りませんと立ち去るのもどうだろうか。


 ここへ来る前に教本を読み込んできたのか、構えそのものは悪くない。それではなぜ狙いが大きくズレるのか。


「では僭越せんえつながらひとつだけ気になった点があります」


「お、なんだい。改めてそういわれると怖いな」


「発射の瞬間に体がブレていますね。つまりはバランスが悪い」


「ふむ、どうすれば直るのかね」


「鍛えてください」


「あ、そういうフィジカルな問題なのね……」


 アドバイスひとつで格段に上手くなる、期待していたがそんなウマい話はなかった。スティーブンの唇から、甘い夢に対する失望の吐息が漏れる。


「その銃は会長の体格に合っていないかもしれませんね」


 ディアスが手提げ袋から銃を取り出した。1丁、もう1丁と次々に。目を丸くするスティーブンの前に、ずらりと10丁の拳銃が並んだ。


「ひとりで戦争でもするつもりだったのかね?」


「分解整備を終えての、動作確認をするつもりで持ってきたものですよ」


 コレクションのうちのひとつ、手の中にすっぽりと収まりそうな小さな拳銃を差し出して、


「これなんかどうですか。反動も少なく、狙いやすい銃ですよ」


「使いやすいのは結構だが、威力の方はどうなんだ……?」


 ど素人なんだからこっちを使っておけ。そんな風に言われた気がしてスティーブンはなんとなく逆らってしまった。


 ディアスは黙って銃口をターゲットに向けて放った。魔法でも使ったのかと錯覚するほど鮮やかに、ターゲットの眉間部分に穴が空いた。


 人間ではない、ただの板である。それでも確かに『死』を感じさせるものがあった。あの人型ターゲットは今、一瞬で殺されたのだ。


「人を殺すのに大口径である必要はありません。当たれば死にます」


「ミュータント相手なら?」


「ミュータントに拳銃で立ち向かうことがそもそも間違いです」


「……そりゃそうだ」


 ディアスは拳銃をテーブルに置き、スッと前に押し出した。


「この銃は差し上げます。もしよろしければ、使ってください」


「いいのかい?」


「お礼、のようなもので」


 援軍を率いて戻ってきたことだろうか。お互いにやるべきことをやっただけで、むしろ街を守ってくれてありがとうと、こちらから言うべき立場ではないのか。


 様々な思いが交錯するがうまく言葉にできなかった。


 何よりもこの男の真っ直ぐな好意が嬉しくて、素直に受け取ることにした。じんと胸が熱くなるような想いで拳銃を引き寄せる。


「ありがとう、大事にするよ」


「今日は話ができてよかった。では、失礼します」


 それだけいうとディアスは残った銃をさっさと手提げ袋に詰めて、一礼して去っていった。引き留める間もない、来るのも去るのもとにかく素早い男である。


 スティーブンはもらった拳銃を両手で包み込むように握り、ターゲットに向けた。


 パン、と拍子抜けするほど地味な音が響いてターゲットの肩が弾けた。顔面を狙ったつもりだが、まずはこんなところだろう。


「それにしても……」


 スティーブンは呟きながら鉄製のドアへと目を向ける。


「あいつ、何をしに来たんだ?」




 訓練場を出て数分後、ようやくディアスも気がついた。射撃訓練も動作確認もやっていない。スティーブンと落ち着いて話ができたことで満足し、用事が済んだような気になってしまったのだ。


 かといって今さら訓練場に戻りへらへらと笑いながら、


『すいませぇん、となりいいッスか?』


 などといいながら射撃を始めるのもなんだか間が抜けている。どうしたものかとしばし考え、結局諦めることにした。


「ま、いいか……」


 それだけ中身のある話し合いだった。そう思うことにしよう。

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