第115話

 体の中から無尽蔵むじんぞうに沸き上がる、最強の力を手にいれたはずだった。あれだけ恐れた犬蜘蛛でさえも、文字通り足元を這い回る虫ケラでしかなかった。


 脳内に万能感と高揚感こうようかんが垂れ流され、ハンターもミュータントも目につくもの全て殺し尽くした。


 8年前、ディアスに殴り倒された後、仲間たちは誰も助けてはくれなかった。アルダが近づいて来てようやく気付いてくれたかと期待したが、あいつは頭の傷など目もくれず荷物をあさり始めた。


(助けてくれ……)


 すがるように、足首を掴んだ。するとアルダは激昂げっこうし、罵倒ばとうしながら脇腹に蹴りを入れてきた。二度、三度、四度。衝撃を受ける度に視界と思考が歪み出す。


 『愛している』、そんな言葉がただの社交辞令であったことはわかっていた。だが、倒れ伏した男に微かなあわれみすら持たず、むしろ汚らわしいとすら感じているような態度に、バルドーは絶望の底へと叩き堕とされた。


 色を失った視界の中で、アルダ、ケリン、ボリスの3人は背を向けて立ち去った。やはり気がとがめて戻ってくる、そんな展開を願っていたが、奴らは振り返ることすらなかった。


 戻って応急措置をして、担いで街まで連れていってくれる。そんなことがあるはずはない。そう知っていながら、願わずにはいられなかった。


(助けて……俺たち、仲間だろう……?)


 出血によって気を失うまで、バルドーはありもしない希望にすがっていた。




 気が付くと、ダチョウだった。


 何を言っているのかわからないだろうが、実際にそうなっているのだからそうだとしか言いようがない。


 これもミュータント化の影響か、特に錯乱さくらんなどはしなかった。思考停止し、ぼんやりとした頭の中に現実を受け止めるよりも先に力に溺れる快楽で満たされた。


 夜、岩壁の上で眠るときにふと、自分が人間でなくなったことや惨めな姿になったことに虚しさを感じることもあった。心の空虚を埋めるためにも、暴れまわるしかなかった。


 ミュータントを踏み潰すほどに、ハンターを蹴散らすほどに不安は塗りつぶされていった。


 潰した戦車をから這い出たハンターのなかに、ケリンの姿を見たときは絶頂のあまり、風呂桶をひっくり返したような量の精子が飛び出たものだ。


 そのケリンを取り込み、朦朧もうろうとする頭から聞き出したところ、ディアスたちが生きていると知ったその喜びは何と表現すればよいだろうか。


 これこそ、自分がミュータントに転生した意味だと理解した。


 復讐こそ快楽、何物にも勝るエクスタシーであると。腹の底から笑いが涌き出て止まらない。ゲェ、ゲェェッ、という人間なのかダチョウのものかわからぬ笑いが荒野に響き渡った。


 脇腹からだらりと垂れ下がったケリンが、なにやらボソボソと呟いている。


「ディアスたちに、手を出さないでやってくれ……。あいつらは今、幸せに暮らしているのだから、お願いだ。お願いします……」


 何を勝手なことを。バルドーは強烈な不快感を覚えケリンの頭を握り潰そうとしたが、次に最高の復讐を思い付いてニタリと笑い手を離した。


 これからはハンターを皆殺しにするのではなく、ひとりふたりは逃がしてやろうか。ディアス、ディアスと名を呼んで、街に伝えてやれば奴らのことだ、たまらず出て来ることだろう。


 ディアスたちの目の前でケリンを殺してやろう。ディアスとケリンの間に何があったかは知らないが、最期に会わせてやろうだなんて、俺はなんて慈悲深いのだろうか。


 バルドーは笑い、勃起し、糞を垂れ流しながら荒野を無茶苦茶に走り回った。


 楽しくて、楽しくて仕方がなかった。


 カーディルはどのように成長しているだろうか。人間の女にこのイチモツは入るのだろうかと、ふと疑問に思った。


(まあいい。体が裂けたら裂けたで、それは面白い……)


 邪悪な笑いは、いつまでも止まらなかった。




 ……どうして、こんなことになったのか。


 最強の力を手に入れた。戦車を取り込んだ。情報も得た。速度だって奴らよりもずっと勝っていた。それが今、体を穴だらけにされて動けないでいる。


「俺は、神に……運命に選ばれたのではなかったのか……」


 その呟きは、独り言のつもりだった。体内からガリガリという雑音に続き、聞きたくもない声が聞こえた。


「違うな。選ばれたのではない、おとしいれられたのだ」


 漆黒の戦車が近づいてくる。低い唸りをあげてガトリングガンが向けられた。距離、20メートル。必殺必中の射程内だ。


「降って湧いた力に溺れた男の末路など、こんなものだ」


 通信機からこぼれる声は、侮蔑ぶべつと、憐れみに満ちていた。


 何故だ。己こそが、あらゆる生物に無慈悲な死をもたらす死神ではなかったのか。どうしてこんなことになったのだ。


 ミュータント化してから無縁であった感情にバルドーは戸惑った。これは恐怖だ。恐怖という名の見えない鎖がバルドーの心を縛り付けた。


「聞かせてもらおうか。お前がミュータントになったあたりの話を、詳しく」


「し、知らない、わからないんだ! 気が付いたらそうなっていたとしか言いようがない! 本当に、俺にはわからないんだ!」


「そう、か……」


 ディアスの乾いた声。


(こいつは今、俺に対する興味を失った……)


 目の前に垂れ下がった蜘蛛の糸が引き上げられていくような気分であった。


「待て、待ってくれディアス! そうだ、取引をしよう!」


「取引……?」


 この期に及んで考えなどないし、ディアスが話に乗ってくれる可能性などあるはずもない。


 それでもすがらずにはいられなかった。あるはずもない希望に、またしても。


「そうだ、俺と組もう! 俺は他のミュータントを殺してお前らに引き渡す。それで楽に稼げるだろう? 場合によっては邪魔な商売敵のハンターを始末してやってもいい!」


 咄嗟とっさに考え出したにしては、悪くない。バルドーは微かな希望を胸のなかで膨らませながら、ますます弁舌滑らかに語り続けた。


「俺が欲しいのは弾薬だ。ただそれだけでいい。ちょいと戦車用の砲弾を運んでくれるだけで、お前らはもう危険を冒すことなく金と名誉を手に入れることができるんだ、な? バカでないならわかるだろう?」


「悪くない話だ。だがひとつ問題がな……」


 そういってディアスはしばし黙りこむ。たった数秒であるが、バルドーにはあまりにも長く感じられた。通常の数秒と、死刑宣告を待つ数秒が同じ時間であるはずもない。


 さっさと言え、そう怒鳴りつけたかったができるはずもない。ディアスは今、電気椅子のスイッチを指先で撫で回しているようなものなのだから。


 こうしている間にも血は流れ続けている。見逃してもらえたとしても、再生出来るかどうかは五分五分だ。


 どんな条件でも飲んでやる。サイズ的に無理はあるが、助かる為なら靴でもケツでも舐めてやる。


「それで、問題ってなんだ……?」


「お前が信用できない」


 無慈悲な宣告に、バルドーの視界がぐにゃりと歪んだ。


 ああ、こいつは、このクソ野郎は! 契約条件について悩んでいたわけではない。どう答えれば面白いか、そんなことを考えていたのだ!


 話は終わった。バルドーは周囲の空気が、死の気配に黒く染まるのを感じた。


「待て、撃つな、助けてくれ……。俺たち、仲間だったろう!?」


 言い終わるか終わらないかというタイミングで大きく口を開いて戦車砲が飛び出した。だが、奇襲と呼ぶにはあまりにもお粗末なやり方であった。


 どうせそんなことだろうと思った。そんなカーディルの呆れ顔が透けて見えそうな、あっさりとした回避。どれだけ至近距離であろうとも、撃つとわかっていれば造作もないことであった。


「悪いな、ダチョウに知り合いはいない」


 絶望に固まるバルドーの横顔に向けて、ガトリングガンの死の円舞曲が始まった。毎秒70発、60ミリ弾がミュータントの顔面に叩き込まれ、血も肉も骨も、全て等しく粉砕された。


(俺はまた、仲間に見捨てられるのか……ッ!)


 そんなことを考える脳も、すぐに消し飛んだ。後方の崩れた岩に大量の血肉が降り注ぐ。


 数秒後、弾を撃ち尽くして満足げに硝煙しょうえんを吐き出し、カラカラと慣性かんせいで回る巨大ガトリングガン。ミュータントの首から上そのものが消滅し、切断面から噴水のように粘っこい血がこぼれ落ちる。


「終わった、な……」


 ディアスは大きく息を吐いて、シートに背を預ける。今回の戦いは酷く疲れた。肉体的にも精神的にも。このまま眠ってしまいたかったが、やるべきことはまだ沢山ある。


 記録映像と写真だけでも証拠としては十分だろうが一応、体の一部も持っていきたい。


 マルコ博士がサンプルを欲しがるかもしれないし、持って帰らなければ恨みがましい目で見られるかもしれない。ご近所付き合いの土産にしては少々生臭いが、持って帰ってもいいだろう。


 カーディルにもずいぶんと負担をかけてしまった。チューブを外して、クッションを並べた簡易ベットに寝かせて、帰りの運転は自分がやろう。


(ひとつひとつ、やっていくしかないか……)


 体を起こすのも一苦労、とばかりにゆっくり立ちあがり、チェーンソーとクーラーボックスを戦車の外に放り出す。


「それじゃ、ちょっと行ってくるよ」


「はいはーい」


 カーディルに微笑みかけてから素早く外に出ると、暴力的な熱気がその身を包んだ。


(忘れてた。今日は凄まじい猛暑日だったんだ……)


 眉をひそめながら日よけマントを目深まぶかに被り、さっさと済ませようと決意して戦車から飛び降りた。


 これだけ巨大なごちそうが転がっているのだ、いつまでもぐずぐずしていると、肉食蝿のパーティーに巻き込まれるかもしれない。


 頭は吹き飛ばしてしまったので、証拠はダチョウの足の爪か何かでいいかと考えながら歩いていると、途中でミュータントのものとは違う血の跡を発見した。


 墜落ついらくしたケリンのものだ。彼がこの世に生きて存在したという証しはもう、この血と肉片だけしか残っていない。


 正直なところ、ディアスはケリンのことをよく覚えていない。特に話した記憶もないが、馬鹿にされたこともなかったように思える。


 ただひとつ確かなことは、彼もまた必死に戦ったということだ。それがバルドーの動揺を誘う切っ掛けにもなった。


「喜んでもらえるかどうかわからないけど……仇は取ったぜ」


 ディアスは寂しげに、血の跡へと語りかけた。


 すぐに肉食蠅に掃除され、血の跡も風にさらわれることだろう。ハンターの死とは、そういうものだ。

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