第114話
疾風のごとき、バルドーの突撃。
いくら図体が大きくとも、ユーモラスな丸っこい姿をしていようとも、奴はダチョウなのだ。
巨大ダチョウにミュータントの力が加わったその速度は、カーディルの反応速度をもってしても避けるだけで精一杯であった。
突撃から踏みつけ、あるいは蹴りが車体すれすれを通り抜けてゆく。その度にカーディルは息を呑んだ。
「物理的にデカい顔しやがって!」
荒野も抉れよとばかりに履帯は高速回転し、熱をもって陽炎が立ち上る。
このままではいつか、蹴りを食らうか履帯が弾け飛ぶかするだろう。決して対等の条件ではない。
(無くしたはずの手足が痛む。久しぶりだわ、こういう感覚……ッ!)
なんとか距離を取ると、今度はバルドーの口から戦車砲が飛び出した。慌ててそれも旋回して避けるが、その隙に距離を詰められ蹴りが飛んでくる。
カーディルの精神、体力は確実に削られていた。彼女を気丈に支えるものは、ディアスに対する信頼。それだけである。
ディアスもなんとか反撃するが、回避を優先しているため、なかなか狙いがつけられない。
砲塔を向けても次の瞬間にはダチョウの足が跳んで来るので、車体は激しく旋回し砲弾は虚しく空を切り、岩壁へと突き刺さる。そんなことが何度も続いた。
(私、あなたと一緒ならいつ死んでもいいとは思っていたけど……)
カーディルがすがるような視線をディアスの背に向ける。
(あいつに殺されるっていうのだけはまっぴら御免だわ!)
徐々に追い詰められている。だがどうしたことだろうか、ディアスの背がいつも以上に大きく見えた。この状況で勝利への筋道とやらを見失っていないということなのか。
「カーディル、もう一度奴と距離を取ってくれ」
ディアスが落ちついた、あるいは感情のない声でぼそりと呟く。
離れたところでまた、戦車砲からの突撃が来るだけではないのか。正直なところアレを避けるのは結構キツイ。今度こそ蹴りをまともに食らって、無様にひっくり返った亀のように戦車の腹を晒すことになるのではないか。
そんな迷いがカーディルの脳裡に浮かび、一瞬で消え去った。
(灰になるまでディアスを信じる。私にできることはそれだけよ)
何を考えているのかはわからないが、次の一撃も必ず避けてみせる。そう決意して左右の履帯を高速逆回転させた。
バルドーはニィっと笑って口を開き、戦車砲を突き出した。学習能力のないバカめ、そう
高速徹甲弾が放たれた。しかし、それはワンテンポ遅れてのことである。
(え……?)
カーディルはそれを
本来ワンセットであったはずの突撃も行わず、バルドーは一時後退して岩壁に身を潜めた。
「なんで……?」
「ふむ……」
呆気に取られるカーディル。対照的にディアスはむしろ当然とばかりに頷いてみせた。
「ねえディアス。私たちも岩陰に隠れたほうがいいかな?」
カーディルが不安げに問うと、
「このまま見通しがいい所にいたほうがいい。一番怖いのは出会い頭に蹴りを入れられることだけだ」
「そう……」
何が起きているのかわからない。そんなカーディルに、ディアスは身を
「君のおかげで準備が整った。さあ、ダチョウ狩りといこうじゃないか」
いいながら、ディアスは通信機を操作する。通話記録が残っているのでバルドーの周波数を探るのは楽な作業であった。
キィンと不快な金属音が車内に反射する。次いで、ガリガリと砂が混じったような音。繋がったようだ。
「おいバルドー。ひとつ言っておくが……」
「あぁ? 命乞いなら聞かねぇぞ」
ディアスはくすりと笑った。それは決して好意的なものではなく、13階段とパーティ会場を間違えた男を
「お前、残弾数が少ないだろ」
一瞬の沈黙。
「何を言い出すかと思えば、そいつはテメェの願望だろうがい!」
答えるタイミングと、不自然なまでの激昂。それが答えのようなものだ。
ディアスはバルドーのご機嫌など知ったことではないとばかりに話を続けた。
「自分で言ったのだろう? ケリンはそこそこ頑張ったって。つまりあいつは不意討ちなどであっさり殺られたわけじゃない、それなりに健闘したんだ。主砲は何発撃ったんだ? 戦闘後の戦車を取り込んだんだ、そりゃあ万全とは言い難いだろう。それとも近所に砲弾屋とか整備工場でもあるのか?」
バルドーは答えない。低い唸り声だけが通信機を通して聞こえた。
弾数が少ないのではないか、とはずっと考えていた。先ほどバルドーが射撃を
ここにディアスとバルドーの戦闘経験の差が現れた。
ディアスは8年間ずっと強敵と戦い続けてきた。バルドーがミュータント化したのがいつかはわからないが、目撃情報が相次いだのは最近のことであるし、少なくとも戦車戦に慣れているとは思えない。生前の彼は戦車に乗ったこともないのだ。
躊躇うくらいなら、撃つべきではなかった。そうすれば少なくともディアスは確証を得られず迷いを抱えたままであっただろう。
「テメェを取り込んだら、ケツ穴のすぐ下に生やしてやるぜ……。一生、俺のクソ食って生きやがれッ!」
「帰ったら報告しておこう。ミュータントに知能はあるが、品性はないと」
バルドーの震える呪詛の声を、ディアスは軽くいなした。
気に入らない。何もかもが気に入らない。バルドーの眼が赤く血走った。
自分はチームのリーダー的存在だった。対してディアスはこそこそ後ろに隠れて狙撃するだけの、クソ根暗野郎だったはずだ。天気と仕事の話しかできず、飲み会にも来ない。酒場でいつも陰口を叩かれているような奴だった。
(一体、何の権利があって俺に舐めた口をきいていやがる……ッ!)
カーディルも自分のものになるはずだった。あいつは俺に惚れていると、無条件で信じていた。
代用品として何度かアルダを抱いたが、彼女はチームリーダーに
(それを、貴様ごときが……!)
バルドーは知らない。8年前にディアスとカーディルの間に何があったか。8年間育み続けた絆と愛情がどれほど強固なものであるか。
「来いよ、死にぞこない」
死神の鎌のような、冷たく鋭いディアスの声。バルドーの怒りは頂点に達した。
「テメェが殴り付けたんだろうが! それをよくもぬけぬけと!」
「お前が銃を抜いたからだ。もっとも……」
ディアスは楽しげに通信機を指先でとんとんと叩いてみせた。
「あの時はぶっ殺す口実ができた、って思ったよ」
「貴様さえいなければ、俺は人間でいられた! ハンターの栄光も、仲間の信頼も、カーディルも! 全てが俺のものだった! 貴様のようなクズをお情けで置いてやったのが間違いだった!」
「全てが幻想だ。お前は、何も手に入れることなんかできやしない」
「ディアァァァスッ!」
おぞましき狂獣の咆哮。怒りに任せた突進はさらにスピードを上げて迫った。しかし、単調でもある。
(一点集中では避けられる。ここは拡散する武器でなくてはな!)
ガトリングガンが狂獣へと向けられ、轟音と共に
「チィッ!」
避けきれない。だが、遠い。
確かに命中はしたがそれは表面を軽く抉った程度であり、致命傷には至らなかった。ダチョウの胴体から悪臭漂う血が勢いよく吹き出すが、その巨体からすれば微々たるものである。
(馬鹿が、テメエも焦ったな!)
挑発して攻撃を誘い、仕留める。それがディアスの作戦であったのだろうが、バルドーの予想を上回るスピードに十分に引き付ける余裕がなかったのだろうか。
バルドーは一瞬だけ焦った。ただ、それだけだ。
(おかげで頭冷えたぜぇ……。一度距離を取って傷を塞ぐ。それからじっくりなぶり殺しだ。あの馬鹿がどんな
追撃のガトリングガンを向ける21号。それよりも速くバルドーは身を沈め、跳躍した。岩壁の上に乗れば奴らは手出しできない。
(俺の勝ちだ……ッ!)
岩壁の上に足を置いた瞬間、その巨体が浮遊感に包まれた。
(なにぃ!?)
驚愕にバルドーの目が開かれる。岩壁が崩れ落ちたのだ。バルドーは突然のことに受け身も取れずに転がり落ちた。
何十年、何百年とそびえ立ち続けた岩壁だ、そう簡単に崩れるはずはないし、バルドー自身が何度も乗った。なにがなんだかわからない。
これら全てがディアスの作戦であった。
普通ならば崩れるはずのない岩壁であるが、今は徹甲弾が何発も撃ち込まれそこらじゅうに亀裂が入っていた。バルドーに当たらないことなど承知の上で撃ち続けたのはこのためだ。
そこに重戦車を取り込んだ大型ミュータントが勢いよく乗ったのである。崩壊する条件は十分であった。
残弾数が少ないことを指摘したり、挑発を繰り返したのは、怒りを自分に向けて周囲を見渡す余裕をなくす為であった。
バランスを崩して落下する巨体など、ディアスにしてみればいい的である。
足が大地に着くか着かないか、そんなタイミングでバルドーの胴体に雷で貫かれたような衝撃が走った。
「ぐっはぁ……ッ」
向こう側の景色が見えそうな大穴。内蔵の損傷も激しく、逃げ出そうにも足が震えて立つことができない。
(再生してから逃げるしかねえ……!)
装甲が盛り上がり傷口を塞ごうとするも、二の矢、三の矢が放たれ装甲ごと撃ち抜かれた。
嘔吐に近い形で激しく血を吐いた。びしゃびしゃとどす黒く粘っこい血が大地を叩く。
失った血が多すぎる。足はピクリとも動かず、再生も限界を迎え、バルドーはあらゆる逃走経路を失った。
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