第110話

 これ以上、バルドーの声など聞いていたくはなかった。


 通信機から勝手に漏れ出す腐れダチョウの戯言たわごとなど、ただひたすら不愉快なだけである。声が聞こえるたびに『くそがッ!』と叫んで通信機を殴って破壊したい衝動に駆られた。


 だがそれは悪手であると、ディアスは己をいましめていた。勝つために、情報を遮断するべきではない。雑音の中に勝利へのヒントが隠されているかもしれないのだ。


 ディアスの見た所、バルドーは確かに調子に乗っている。


 元から悪ふざけと嫌がらせの区別がついておらず、仲間たちからも時々白い目で見られ、しかもそのことにまったく気付いていないような奴であった。


 そうした点を踏まえてなお、今は明らかにテンションがおかしい。


 悪趣味な想像ではあるが、もし自分がミュータントになっていたらどう感じるだろうか。醜悪しゅうあくな化け物と成り果てて、荒野を徘徊し人を食らって生きる。


 ああ、とても正気でいられそうにない。


 今のバルドーから、そのような悲壮ひそうは感じられない。むしろこの状況を楽しんでいるような、あるいは力に酔っているように思える。それが本人の資質か、ミュータント化による影響かはわからないが。


(まあ、ミュータントの生態に関する考察はマルコ博士の領分だとして……)


 今ここで重要なのは、バルドーが調子に乗っているということだ。


 ディアスの冷静な部分が計算を続ける。奴はきっと、力を誇示したがっている。人間としての未来も幸福も失った今、残されたものは有り余る力のみだ。うまく誘導すれば情報を引き出すこともできるだろう。


(ただ、この状態で俺ができるかというとなぁ……)


 人間、怒りに支配されると語彙力ごいりょくが極端に低下する。バルドーと何か話そうとしても結局は『ばか』『しね』『うるせえ』くらいしか言えないかもしれない。


 戦況は膠着状態こうちゃくじょうたいへとおちいっていた。


 21号に岩壁の上に対する攻撃手段はなく、バルドーも口から108ミリ戦車砲を突き出して放つが、軌道が丸見えの砲弾に当たってやるようなカーディルではない。何度か避けてみせると、バルドーは砲撃を止めてにらみつけるのみとなった。


 話をするなら最適のタイミングだ。


 ディアスは後方へ振り返り、あごを指先ででて見せた。君から何か話してみてくれないか。カーディルにそう伝えたつもりであった。カーディルも同じようなことを考えていたのか、細かいことを聞かずに頷いてみせる。


「バルドー、ひとつ聞きたいことがあるんだけど……」


「おぅ、その声はひょっとするとカーディルか?やっぱりそこに乗っていたかぁ!」


 ディアスに対するものとは正反対の、甘ったるい猫なで声。それを言っているのが人間の顔をした巨大ダチョウなので不気味としかいいようがない。


 『ひょっとすると』『やっぱり』。そうした単語から導き出される答えは、カーディルが乗っているということは伝え聞いたのみであって確信があったわけではない。つまりは盗聴器や隠しカメラなどの要素ではないということだ。


(そんなもんが仕掛けられていたら、まぁ、その……すごく困るわけだけど)


 馬鹿な考えを頭から振り払う。


 聞きたいことはひとつどころではない、山ほどある。だが、洗いざらい話せといって応じてもらえるような状況ではない。あくまで世間話、その流れで情報を引き出さねばならない。


「なんで私とディアスがこの戦車に乗っているのがわかったかな、って。ちょいと疑問に思ったわけよ」


 できるだけ明るく、軽く。何でもない話をするように。少々遠回りな聞き方ではあるが、優先度の高い脅威きょういは内通者の存在だ。


 己の強さを誇示できるような話題でなくバルドーは鼻白はなじろんだようだが、すぐに何かを思い付いたようで唇をぐにゃりと歪ませた。


(あ、これは絶対にろくでもないことだ……)


 ディアスもカーディルもそう直感したが、とにかく話に乗ってくれそうなので水を差すことは控え、好きなように喋らせることにした。


「色々とねぇ! 教えてくれた親切な人がいたんだよぉ! ありがたくってオシッコ漏れちゃいそう。俺、ダチョウだからさぁ!」


 テンション絶頂で叫びながら、本当に尻穴からぼとりぼとりと糞がひり落とされた。どこをどう間違えたって友人などではないが、知人と話しながら糞をすることに何の抵抗もないようだ。


 ゆっくりと、右の羽が広げられた。今まで羽で隠れていた部分に何かがぶら下がっているのが見える。


「ジャーン! 感動の、ご対面だぁ!」


 それは人間であった。


 ダチョウの体から突き出た、若い男の上半身が逆さまに垂れ下がっていた。目はうつろで、口元で何事か呟いているが聞こえるはずもなく。例え聞き取れたとしても意味は理解出来なかったであろう。完全に、壊れている。


 カーディルにはモニターに拡大されて映るそれが見覚えのあるような人間のような気がするのだが、思い出せない。『感動のご対面』などという言い方をするからには、意味がないとも思えないのだが……。


「おいおい、コメントなしかよ薄情な連中だなぁ! ひどいよねぇ、ケリンくぅん!?」


 小馬鹿にしたように言い、ディアスたちに見せつけるように羽の先についた大きな手で男の顔をつまみ上げた。


 ケリンという名でようやく思い出した。それは8年前の仲間のひとりだ。だが8年前の記憶に残る線の細い少年と、ミュータントに取り込まれた屈強な男の印象が頭のなかでうまく噛み合わない。


 あれは本当にケリンなのか、そう疑問に思ったがすぐに打ち消した。


 本物だろう。だからこそ、バルドーはあそこまで下品で、得意げな笑いを浮かべているのだ。


 ディアスたちが戦い続けている間、ケリンもまた8年間戦い続け、そして敗れた。そういうことだろう。


「こいつが詳しく教えてくれたぜ。お前らが生きているってことも、悪趣味な戦車に乗っているってこともなあ! あっさり売られちゃってカワイソー!」


「そう、か……」


「取り込んだばかりの頃はなにかとお喋りに付き合ってくれたんだがなぁ。今はもう壊れちまって、だからもう、いーらないっ!」


 そういって左右の羽を大きく広げると、熟した果実が落ちるように、ズルリとケリンの体が抜け落ちた。


 下半身は既に消化されたのか、落ちたのは上半身だけである。


 バルドーの足元で跳ねて、さらに岩壁の下へと落下し、荒野に激しく叩きつけられて破裂した。その無惨むざんな血袋に、もう誰も注意を払わない。


「戦車も一緒に取り込んだということか。戦車砲も、装甲も、恐らくは通信機なども……」


「ご名答ッ! ケリンくんもそこそこ頑張ったようだが俺の敵じゃあなかったなぁ! テメェらのチンケな戦車も俺が有効活用してやるからありがたく思いやがれ!」


 叫びながら、また岩壁の後ろに跳んで姿を隠した。


「どうして俺がお前らのくだらない話に付き合ってやったと思う? どぉしてだと思うね? 情報を引き出そうなんて小賢こざかしい考えは先刻承知せんこくしょうちよぉ! だがおかげで俺はバッチリ休めて体力前回、すごく全開ってわけだ。ダチョウとの知恵比べで負けてんじゃねぇぞマヌケがぁ!」


 言いたいことをいって、プツリと通信が切れてしまった。ここからは本気で殺しにくる、ということだろうか。


 ディアスは静まり返った通信機を見ながら、薄く笑った。


「ああ、まったくだ。会話の中から情報を拾うというのは本当に大事だな。おかげで見えたよ、勝利への道筋ってやつが」


 いつも慎重で、どこか悲観的なディアスが今回はハッキリと勝てるといった。こういうときの彼は本当に頼れる、自分はただ信じて付いて行けばいいとカーディルも確信した。それだけであらゆる不安や恐怖が霧散するようであった。


「オーケー、指示よろしく! あいつのへなちょこ弾なんか、全弾軽く避けてやるわ!」


 気合充分のカーディルに対し、ディアスは振り返らずに右腕をかかげ、グッと親指を立ててみせた。

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