第109話

「会いたかったぜぇ、ディアス! そして、カーディルよぉ!」


 やはり、その声は通信機から聞こえる。醜悪しゅうあくなミュータントと化したバルドーが何らかの手段で通信機を使っていること、そして会話が可能なほどの知能を有していることは間違いなさそうだ。


 忌々いまいまし気に通信機を睨みつけるディアスの脳裏に、新たな疑問が湧いてきた。


 何故、この戦車に自分が乗っているとわかったのか。

 何故、カーディルが一緒だと知っているのか。


 ディアスはバルドーを殴り倒した後、単身でカーディルを救うために犬蜘蛛の巣へと向かった。普通に考えれば、そのまま死んでいると思うはずだ。


 何故、自分が生きていると思ったのか。


 どのタイミングでミュータント化したのはわからないが、ずっと荒野で生きてきたならば、ディアスたちの近況を知る機会などなかったはずだ。あるはずもない。


(誰かが、情報を流した……?)


 誰か。誰かとは誰だ。ミュータントと繋がる人間が本当にいるとでもいうのか。ミュータントに知性があることとはまた別に厄介な問題が浮かび上がって来た。


「どうした、ディアァァス……? 8年ぶりの再会だ、喜べよぉ!」


 ダチョウの巨大な三本指が大地を踏みしめながら、ゆっくりと近づいてくる。


 高い所から人を見下す、本当に嫌な顔だ。舌打ちしながらディアスは無言で主砲の発射装置に手をかけた。馬鹿を黙らせるにはこいつが一番だ。


 静寂の殺意、88ミリ滑空砲がダチョウの丸っこい体にピタリと照準を合わせる。バルドーは一瞬、『おやっ?』と意外そうな顔を見せただけで、すぐにニヤニヤと人を小馬鹿にした表情に戻った。


 大気を震わせる轟音を供として、魔の槍は放たれた。現在を脅かす忌まわしき過去を、粉砕し肉塊へと変えて後腐れなく殺す、そのはずだった。


 バルドーの身が一瞬、沈み込んだかと思うと、その巨躯から想像もつかないほどに軽やかに跳躍し、岩壁の上に着地した。


 ディアスは口に飛び込んだ蠅を吐き出すような気分でいった。


「高い所がよほど好きなようだな」


「おいおいディアスちゃんよぉ! ずいぶんと偉そうにいうじゃねぇか。俺にビビッてろくに口も利けなかった奴がよぉ!」


「俺が恐れていたのは貴様じゃない、仕事を失うことだけだ。その辺を勘違いして頭をカチ割られた奴がいたが誰だっけなあ?」


 成人男性の身長ほどもあるバルドーの巨大な顔が不快感で歪む。殴った張本人がいけしゃあしゃあと抜かしているのだ、無理もあるまい。


 二人のやり取りをカーディルは少し不思議そうにみていた。ディアスがこのような毒の吐きかたをするのは珍しいことだ。知る限り、カーディルの記憶にはない。


 8年以上も前のことだが、チーム内で低く見られていたことでよほど鬱憤うっぷんが溜まっていたらしい。


(あの事件がなくても、いつか破局が訪れていたんじゃあないかしら……?)


 口数は少なく反抗もしないディアスに、ますます増長するバルドーたち。なんらかの切っ掛けで怒りが爆発し、血まみれで倒れる仲間たちとそれを無感情に見下ろすディアスの姿を幻視イメージし、カーディルは身震いした。


 結局、この戦いは起こるべくして起こったものか。


 バルドーの巨体が岩壁の後方へ跳び姿を隠す。さすがに目の前で落下して無防備な姿を晒すようなことはしてくれないようだ。


 右から来るか、左から来るか。あるいはまた上に現れるかもしれない。


 このまま相手が逃げる、などいうことは最初から頭に無かった。敵は必ず自分を殺しに来る。確信に近い思いを共に抱いていた。


 好敵手ライバルなどという聞こえのよい関係ではない。相手が生きている、ただそれだけのことがたまらなく不愉快だった。


 岩壁の間を21号はゆっくりと前進する。慎重に、なるべく広い道を選んで、電池の消耗も気にせずレーダーを全開にして進む。


 見慣れた光景も敵が潜んでいることで、岩壁が迫ってきそうな圧迫感を覚えた。


「レーダーに反応、2時方向!」


 カーディルが叫び、1キロメートル先に巨大な影が飛び出した。


 素早く反応し、砲塔を旋回させる。そこでふと、ディアスの脳裏に嫌な感覚が走った。


 何故、この距離で出てくる。


 サイズがおかしいとはいえ、戦車とダチョウだ。あまりにも無防備すぎる。これでは撃ってくれといわんばかりではないか。


 ひょっとすると、人の言葉が話せるというだけで中身は間抜けなのだろうか?


 いや、とディアスは心のなかで首を振った。相手の無能に期待するのは希望的観測おもいこみのなかでも最悪の部類だ。決してハンターがやってよいことではない。


(ならば奴が姿を現したのはどういつことか。飛び道具を隠し持っている、ということだろうか……?)


 ディアスは振り返らずに手を振ってカーディルに合図をした。そして、バルドーのふさふさとした黒い毛におおわれた丸い胴体に照準を合わせる。


 その瞬間、バルドーの顎が外れそうなほどに大きく開けられた。喉の奥から細長い棒が飛び出して来た。戦車砲だ。


 驚愕きょうがくから立ち直る間も与えずバルドーの口から雷光一閃、108ミリ戦車砲が放たれた。一瞬遅れてディアスも88ミリ滑空砲を放つが、同時に21号が急速旋回したため、砲弾はあらぬ方向へ飛び、むなしく岩壁へと突き刺さった。


 何かあったら避けることを優先してくれ、とは先ほど合図を送った通りである。敵の徹甲弾が眼前をかすめ、これも地平線へと吸い込まれていった。


 あのまま攻撃を優先していればどうなったか。相打ち、ではないだろう。ミュータントの耐久力は並外れている。こちらは大破、向こうにそこそこのダメージを与えてそれでお終いだ。


 よくやってくれた。ディアスは頼もしいパートナーがいることを再確認して、気合を入れ直す。


 どすどすと地響きをたてながらバルドーが向かってくる。相変わらず、人を見下した下品な笑いを浮かべていた。


 ディアスは今すぐにでもその顔面に徹甲弾を叩き込んでやりたい衝動にかられるが、なんとか抑え込む。確実に殺すために、今は冷静にならねばならない。


「カーディル、一時後退だ! 距離を取るぞ!」


「……了解ッ!」


 すぐにでも決着を付けたいのはカーディルも同様であったが、躊躇ためらいを見せたのはほんの一瞬で、すぐに土煙をあげてその場を離れる。


 追う巨大ダチョウ。逃げる特殊戦車。


 速度には自信を持っていた。どんな強大なミュータントにも屈せず立ち向かうことができたのは、その高速で逃げ、突き進み、攪乱かくらんしてこそであった。


「どうして……ッ」


 それが今、じわじわと距離を詰められている。


 カーディルの喉がからからに乾き、痛みさえ感じていた。水分の一滴も惜しいというのに脂汗が吹いては顔にへばりつく。


 聞きたくも無いだみ声が通信機から流れ出す。


「ちょいとでも逃げ切れると思ったかマヌケぇ! 見りゃあわかんだろうが俺、ダチョウなんだよねぇ!」


「そんなイキり方する奴、初めて見たわ……ッ」


 勝利を確信して迫るバルドー。この様子では、主砲を避けることすら造作もないことだろう。


 距離500メートル、400、300。ディアスは大きく息を吐き出し、拳を握りしめた。この時を、待っていた。


 邪悪に歪むディアスの表情。ガトリングガンがゆっくりと旋回し、バルドーへと向けられる。死神の咆哮が、勝利を確信した哀れなミュータントを撃ち貫く。


「ぐぎゃぁぁぁぁぁッ!」


 通信機からバルドーの苦悶が流れ、ディアスの喜悦となって受け止められた。


 ざまあみろ、そんな言葉が最も今の気分に相応しい。くっくとディアスらしからぬ陰険な笑いが吊り上がった唇から漏れ出す。それとも、これこそが彼の押し殺していた本性であろうか。


 礼儀を尽くすべき相手には、いくらでもそうする。例えそれが人類の敵、ミュータントであっても。憎んだ相手にはいくらでも残酷になれる。例えそれが人間、かつての仲間であっても。


 わき腹をえぐられひるむバルドーに、追撃のガトリングガンが向けられた。どす黒い血で激しく大地を叩きながらも、その負傷を感じさせぬ動きで素早く離脱、飛び上がって岩壁の上に着地した。この位置では角度がありすぎて、主砲もガトリングガンも届かない。


「やってくれたな、てめぇ……ッ」


 半円形の傷口から流れる血が、少しずつ治まってきた。代わりに内側から何かが盛り上がる。


 鉄だ。鋼鉄の装甲が傷口を完全に塞いでしまった。特定こそできないがディアスたちには見慣れた形。それは戦車の装甲であった。


 この再生に体力を消耗したか、それとも制御できぬ怒りのためか、バルドーは荒い息をついて呪詛じゅその言葉を吐く。


「殺してやる、ディアス……ッ。テメェは絶対に、この場で殺してやる!」


 身の毛もよだつ大型ミュータントの咆哮。


 対して、ディアスは不敵に微笑むのみであった。

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