第108話

 凶悪、という言葉が似合うほどの日射し。


 生命の存在を拒む渇ききった荒野を、重厚な鉄塊が疾走する。


 ディアスたちの戦車、21号。主砲のすぐ隣にガトリングガンを装着したいささかいびつな外見であるが、意外にバランスは悪くない。カーディルも操縦するにあたり、特に問題はないと語っていた。ディアスにはよくわからないが、何らかの形で左右のバランスが取れるよう調整してあるのだろう。


 さすがは整備班長ベンジャミンだ、と改めて尊敬の念が湧いてくる。試運転を済ませた後、勢いで『釣りはいらないぜ』とやってしまったが、後悔はない。それだけの価値が確かにあった。


「ディアス、お水ー」


 クーラーを最強にしても汗ばむほどの車内である。カーディルの要求に、ディアスは手慣れた動きで水筒をカーディルの唇へとあてがった。白い喉がなまめかしく動き、ぬるくなった水を飲み下す。


 カーディルが笑って頷くと、ディアスも軽く微笑み返して砲手席に座り直した。

操縦している間、カーディルの手足は外され、太いチューブで戦車と繋がっている。当然、身動きは取れず一人で水を飲むことすらできない。


 神経接続式戦車を使い始めたころは不便に感じていたものだが最近は、


(ディアスに甘える理由ができたわけで、これはこれでいいかな?)


 などと考えるようになった。


 ディアスにしても特に面倒くさがるようなこともなく、


(カーディルのお世話をするのは俺の役目だ!)


 と、意気込んでいるようなふしがあるので、似た者同士のよき関係といったところだろうか。


 以前に整備班長のベンジャミンが、水を楽に飲めるような工夫を考えてみようかと提案したことがあったが、そのとき二人は『ああ……』とか『うぅん……』とか、曖昧あいまいな返事をするばかりで結局、うやむやにしてしまったことがある。


 カーディルの為になることであればディアスは即座に賛同してくれるだろうと考えていたベンジャミンは首をひねるばかりであった。


「しかし、ひっどい暑さだわ……」


 カーディルの装着するゴーグルには外の映像のみならず、様々なデータが表示される。外気温もそのうちのひとつである。55℃よ、と吐き捨てるようにいった。


「今回の討伐、実はアイザックにも声をかけて、あいつも当初は乗り気だったんだが……」


「うん」


「外に出た途端、やっぱり無理だとさ」


「うわぁ、ひっどい根性なし」


 カーディルはあきれていうが、ディアスは静かに首をふって、


英断えいだん、と思う」


「太陽がまぶしいから、なんて理由でドタキャンすることのどこが英断よ?」


「ハンターにとっての最優先事項とは、生き残ることだ。体調が悪い、あるいは悪くなりそうなときは素直に引き下がるべきだろう。いや、是非ともそうして欲しい。同行者に遠慮をして言い出せなくて、そんなことで命を落としては目も当てられない。慎重になって、なりすぎるということはないさ」


 ディアスたちの足は戦車であり、日よけも冷房もあるが、戦闘用バイクを使うアイザックはそうもいかない。あまりにも日射しが強ければ熱中症になる危険も高く、鋼鉄の義肢が熱で変型や故障する恐れすらある。


 神経接続式の義肢である。義肢に何らかの異変が起これば精神にも悪影響を及ぼす可能性だってあるのだ。


「きちんと体調管理のできる奴のほうがいざというとき信用できるものさ。荒野でいきなりブッ倒れられるよりはね」


 そうしたことをディアスがつらつら説明し、やはり撤退は正しい判断であったとくくると、カーディルは、


「ふぅん……」


 と、つまらなさそうに鼻を鳴らした。


 助っ人が来るとか来ないとか、そんなことはどうでもいい。ディアスが舐められているのではなく、互いに納得してのことであればそれでよかった。


 ふと、カーディルは何かに気づいたように顔をあげた。


「ひょっとして今の話、私も体調が悪ければすぐに言えって意味?」


「ああ。神経接続式義肢、あるいは戦車なんて複雑怪奇ふくざつかいきなものを使っているんだ。明確にどこかが悪いとかでなくても、単にだるいとか気が乗らないとかでもいい。その時は休むから遠慮なくいってくれ。もう一度いうが、慎重になってなりすぎるということはない」


「そうかそうか、ディアスくんは私のことが心配で、私のことが好きなのね」


「そうだよ」


 ノ―タイムで返って来た言葉に、質問した当の本人であるカーディルがちょっと狼狽うろたえた。


「あっさり言うわね、そういうこと……」


純然じゅんぜんたる事実だからな」


「んっふー」


 本当に表情がよく変わるもので、にやにやと笑い出すカーディル。対して、ディアスはまた一人で考え込んでいた。


 いくら冷房の効いた戦車があるとはいえ、できればディアスだってもう少し涼しくなってから出掛けたかった。だが今回に限っては急ぐ必要がある。


 因縁いんねんを持つ相手を放置しておくのは気分が悪いということ。もうひとつ、ミュータントが『ディアス』という名を何度も口にしていたということだ。


 これを放置しておけば、ディアスたちがミュータントと裏で繋がっているのではないかと言い出す奴が必ず現れる。ディアスたちが討伐数一位を保っていられるのは裏取引の結果であると。


 あまりにも荒唐無稽こうとうむけいであり得ない話だが、そうであったほうが都合がいい連中は確かにいる。そうした連中は事実関係だの信憑性しんぴょうせいだのを無視して騒ぎ出すものだ。


 まさかミュータントがディアスの名を呼んでいるのもそこまで考えてのことだろうか。追い込んで、誘き出すために。ここでまた、ミュータントに知性があるのかどうかという問題が浮上してくる。


 前回の皺赤子は言葉らしきものを発しただけであったが、さくろうしたとなると、それは完全に知性と悪意の証明である。


 馬鹿々々しい、考えすぎだ。そう思いたかったが、嫌な予感はべったりと張り付いて落ちなかった。


 ミュータントの目撃情報のあった岩壁の乱立する地点にたどり着きしばらく索敵さくてきを続けていると、『ザザ……』と通信機に雑音が入った。


 妨害電波でも入ったのかと通信機を調べようとすると、


「ディアス……」


 背中に冷たい汗が流れ、悪魔に臓器を握られたような息苦しさを感じた。今、確かに己の名を呼ぶ声が聞こえたのだ。うめく亡者のごとき声が、通信機から。


 このような恐ろしげな声は聞いたことがない。それでいて、どこか覚えがあるようにも思える。


 ディアスという名を呼んでいたとて、それが自分を指しているとは限らない。そういって面倒事を回避しようとしていたこともあった。だがたった今、確信した。


(こいつは、俺を呼んでいる……ッ!)


 しかし、何故、通信機から声が聞こえるのだろうか?


 ミュータントが通信機を使っているとでもいうのか。それとも本当に亡霊が乗り移ったとでもいうのか。あり得ない。そんなことはあり得ない。


「ディアス、あれ……!」


 カーディルの震える声がディアスを思考の沼から引き戻した。


 数百メートル先、岩壁の間から巨大な影がぬぅっと現れた。高さは18メートルほど、ちょっとした雑居ビルが動いているようなものだ。


 丸っこい身体を支える細い二本足。左右にちょこんと付いた羽の先端には人間のものらしき手が生えていた。細長い首、その先にあるものは巨大な人間の頭部であった。


「あれ、ダチョウ……?」


 呆然ぼうぜんとしたままカーディルが呟く。実物を見たことがあるわけではない、図鑑か何かで見たことがあるような気がしただけだが、あれは恐らくダチョウという鳥をベースにしたミュータントだ。


 こちらを認識したのか、ミュータントの醜悪しゅうあくな顔がゆがんでみえた。どうやら、笑ったようだ。


 その左頭頂部は毛が抜けて、赤黒く腫れ上がっていた。


 もう、言い逃れはできない。あれは確かに8年前にディアスがライフルの銃床で殴りつけたあとだ。あの頃は顔だけで2メートルあるなどということはなかったが。


「ディァァァス……!」


 今度はハッキリと聞こえた。通信機から自分ディアスを呼ぶ声が。


「バルドー……この、死にぞこないが!」


 恐怖を憎悪に塗り替えてディアスは腹の底から叫んだ。


 今ようやく、その名を思い出した。もう一度倒すべき相手として。

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