第105話

 昼飯時でなくとも、食堂は休憩や打ち合わせなどでよく使われる。故に、あちこちから話し声が聞こえてそれなりに騒々そうぞうしいのだが、ディアスたちのテーブル席周辺は凍り付いたように沈黙していた。


 疑問、困惑、不快感。様々な感情の込められた視線がマルコへと突き刺さる。


(僕だって話したくはなかったさ。でも、話さんわけにはいかないでしょうが)


 そんな思いを込めてマルコもにらみ返すが、ミュータント殺しを生業なりわいとする現役ハンターたちの眼光の前では少々迫力に欠けた。


 居心地の悪さを感じていると、停滞ていたいする空気を最初に破ってくれたのはやはりディアスであった。常に結果だけを求めるこの男のスタンスが、今はありがたい。


「博士、いくつか質問よろしいでしょうか?」


「うん、なんなりと」


「その新型ミュータントがディアスと呼んだとして、それが俺のこととは限りませんよね」


「んん?」


「ディアスという名はそれほど珍しいものではありません。この丸子製作所にだっているはずです。場内アナウンスで営業一課に呼び出されたときはどうしたものかとしばらく考えてしまったくらいです」


「君のような部下を持ったら上司は三日で胃に穴が開くだろうね。そのような報告は受けていないからやっぱり別人だろう」


 ミュータントに名指しされる心当たりがないから別人を指しているのではないか。ディアスの言わんとすることはわかるが――。


 やはり、不自然だ。マルコは首を振っていった。


「ディアスという名は君だけのものではない、街にも何人かいるだろう。それはわかる。だけども街で一番有名なディアスといえば君しかいないだろう」


 納得はできないが、筋は通っている。


 特に反論こそしなかったが、何故呼ばれたのか、その疑問が解消されない限り迂闊うかつに動くことはできない。


 カーディルがつややかな黒髪を指先に巻き付けながらいった。


「そのミュータントがディアスを知っていたとして、ディアスがそのミュータントと知り合いとは限らないでしょう?」


「どういうことだい?」


「以前あったじゃないですか、ダドリーとかいうアホの尻拭いをやったことが」


 その遠慮のない物言いに、アイザックはなんとなく嫌な顔をした。


 ディアスたちを一方的に敵視し、偶然に転がり込んだ討伐数一位という称号を守るために無理を重ね暴走し、自滅していったチームのことだ。


 アイザックは暴走する前の良きチームであった頃の彼らをよく知っていた。だからこそ、もっと他に選択肢は無かったのか、してやれることはなかったのかと、思い出しては後悔することがある。


 ある意味、ディアスが彼らを無視したり適当にあしらった結果でもある。それをいかにも迷惑だとばかりに『あのアホ』呼ばわりでは、あまりにも無責任ではないのかと。


 そんなことをディアスに問い詰めたところで返ってくる答えは想像がつくが。


『俺に奴らのご機嫌取りをしてやる義務でもあるのか?』


 ……そんなところだろう。


 ハンターの行動は全てが自己責任、それが絶対の前提である。


 ダドリーたちが悩んでいようが劣等感コンプレックスを抱えていようが、ディアスにそれを解消してやる義務も責任も無い。何か他にやりようがあったかもしれないとして、その『何か』をはっきりと提示できなければ動くことはない。そういう男だ。


 義理堅い。約束は守る。任務の達成に全力を尽くす。そうした意味では本当に頼れる男だ。だが、赤の他人に対しては徹底して無関心である。その境界線、スイッチのオンオフが明確に過ぎて、人として不気味でもあった。


 言えば反発されるだろうし、こつこつと積み重ねてきた信頼と友情が一気に崩れ落ちるだろうから決して口にはしないが、


(こいつの目は、ミュータントに似ているな……)


 などと感じてしまうことがある。


 カーディルと話している時の無限の慈愛に満ちた眼と、ミュータントと同じ虚無に囚われた眼、どちらが本当の姿なのだろうか。


 両方なのだろう。それがあまりにもかけ離れていて、イメージが重ならないというだけで。


 アイザックはダドリーに対し同情的ではあるが、ディアスたちにしてみれば仲間の手足を切り落とし道具のように扱うなど、絶対に許せぬ大罪であった。それはすなわち、ディアスの生き方やカーディルの存在を否定するも同然であるからだ。


 ダドリーを理解しようという心など1ミクロンたりとも持ち合わせていないし、彼を擁護ようごする言葉など聞く耳を持たないだろう。


 マルコは細いあごを指で撫でまわしながら、言葉を選び取るようにいった。


「片思いとか逆恨みのたぐいであれば、ディアス君が知らないのも無理はないな。あるいは、そのミュータントがダドリーだという線も……?」


 悪趣味な話をどこか楽し気にいったものだ。


 人間が大型ミュータントに取り込まれ、新たなミュータントとなる。遠征先で得たその仮説が正しければあり得る話ではある。


 だが、アイザックが手のひらを見せて仮説を否定した。


「いや、それはないな」


「何故そう言い切れるんだい?」


 面白い仮説を否定されて少しばかり不快感を覚えたマルコに、アイザックは苦笑いを浮かべて答えた。


「実はな、ダドリーがられたって聞いて俺もその現場に行ってみたんだ。バイクを回収して酒代に代えさせてもらった」


「うわぁ、セコイ……」


 カーディルが軽蔑けいべつの眼で見てくるが、アイザックは巨躯きょくを縮めて頭をくしかできなかった。言わない方がいいだろう。穴を掘って、折り重なる死体を埋葬してやったなどと。


「で、その時に見たあいつらの死体なんだがな。肉食蠅にくしょくばえに食い荒らされた後なのか綺麗に白骨化していたわけだ。そうなっちまったらミュータントとしての再利用は難しいんじゃあねぇの?」


 マルコはうなって黙り込んでしまった。せっかく繋がりそうになっていた線が、つるりと手の中から滑り落ちた気分だ。


「博士、そのミュータントはどのような外見ですか?」


 ディアスがまた重要な質問をする。本来ならば真っ先に語るべき事柄だが、マルコとしては話そうにも情報が少なすぎていわなかっただけだ。


「それがねぇ、命からがら戻って来たハンターは外見について大雑把な特徴しか話していないらしいんだよ。お仲間も何人か置いてきちゃったみたいだし、ひどく怯えてそれ以上聞き出せなかったのかな。僕が直接尋問したわけでもないし」


 なんだ、とカーディルは呆れたように息をついて、背もたれに身を預けた。


「結局、外見が化け物じみていて、ディアスの名を呼んだ、それだけしかわからないっていうことですか。なんだか信憑性しんぴょうせいも薄れてきましたね。誰か人の名を呼んだとしてデビットとかデービスとかの聞き間違いってオチもあるんじゃないですか? さらにいうと、名前っぽく聞こえただけの唸り声だったとか」


「そう、かもなぁ……」


 マルコとしてもハンターオフィスから回って来た情報であり、自分が関与したことではないのでいまいち自信は持てなかった。真実が明らかになれば意外につまらないことなのではないか、そう思い始めたときディアスがいった。


「顔はどうなんですか? 獣や魚の顔がしゃべったのか、人間の顔がくっついていたのか」


「顔? ああ、確か……人間の顔をした化け物、とかいっていたかな。そうそう、頭半分が砕けていて絶えず血を流していたとかなんとか……おお、怖い怖い」


 やけくそ半分で茶化したようにいうが、それを聞いてディアスの顔がさっと強張こわばった。


 あまりの変わりようにカーディルが心配そうに顔を覗き込む。安心させるように、彼女の手を取ってディアスはぼそりと呟いた。


「心当たりは、あります……」


「え?」


「8年前、俺が頭を砕いて放置した男がいます。それかもしれません」


 カーディルも察したか、あっと口を開いたまま固まった。マルコは真剣な目をしてディアスをじっと見つめている。アイザックには何のことやらわからないが、とにかく深刻な空気だけは感じ取った。


 カーディルが手足を失う直前の話だ。ミュータントにさらわれた彼女を救い出すために歩き出すディアスを、わめののしり、殴りつけてでも止めようとした男がいた。


 ただ、ディアスが気に食わないというだけの理由で。


 チーム内で冷遇されていた不満もあり、ディアスは愛用のライフルを振り上げてその男の頭を砕いてやったことがある。


 かつて仲間と呼んだ男がその後どうなったかは知らない。


 名も、忘れた。

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