第101話

 大いなる強敵、皺赤子しわあかごは打ち倒された。しかし、後方で映像を受け取っていた機動要塞内では歓声が上がるでもなく、ただ静まり返っていた。


 あまりにもおぞましいその姿に、その死に様に怯えていた。人類が戦っている相手は、これほどのものなのかと。


 どこかからすすり泣く声が聞こえる。嘔吐おうとする者もいた。それをとがめる余裕もない。そして、そうしたくなる気持ちもわかる。


「小型、中型といるんだから、大型ミュータントだってそりゃあいるよなぁ」


 場の空気を変えようとロベルトがなんとか明るい声を出すが、それに答える者は誰もいなかった。むしろこんな空気の中で、変にこの絶対権力者ににらまれてはたまらないと、皆が首をすくめていた。


(これこれ、こういうのが嫌なんだよなぁ……。ああ、こんな時ディアスのバカなら俺にびるでもなく怖気おじけづくでもなく、淡々たんたんと返してくれるんだろうな)


 あの男の『あなたがどんなに偉かろうが、俺はあなたから給料もらっているわけではありませんから』という態度が、憎たらしいやら懐かしいやら、複雑な心境のロベルトであった。


 せめて対等の立場であるマルコくらいは話に乗ってくれてもいいじゃないかと思ったが、どうやら彼は何か考え事をしているようであった。


 しばし考えたのちに、マルコがぽつりと呟く。


「あの顔、どこかで見た気がするんだよなぁ……」


「なんだ、あのジジイかババアと知り合いか?」


「いえ、そっちではなく。最後に出てきたちっこいミュータントですよ。あの若者の顔がですね、どっかで見たなぁと」


 マルコにそう言われると、ロベルトもなんだかそんな気がしてきた。


 ディアスたちから送られてきた映像は全て記録してある。通信士たちに巻き戻しと再生を命じると、彼らは皆一様に嫌そうな顔をしたが、不平を漏らすわけにはいかず黙々と従った。


 あんな気持ち悪いものをどうしてわざわざ進んで視たがるのか、そんな理屈は好奇心の塊である二人には通用しない。


 皺赤子の、老婆の口から無理やりに吐き出された巨大なうじ虫。それがうごめき、人の形を作ったところで映像を停止。マルコとロベルトは映像をじっと見て、次いでお互いに顔を見合わせた。


「……どうだ?」


「いやぁ……」


 気になる。だが思い出せない。本当に、どこかで見た気がするという程度であり、それほど重要人物ではないようだ。


 大きめの飴玉を飲み込んだような違和感を抱いて唸っていると、後方に控えていたシーラが身を屈めて、ロベルトにささやいた。


「あれは確か、ノーマンの戦車に同乗していたうちの一人ではないでしょうか?」


 そう言われてもすぐには理解できず、しばらく考えてから、そうだったかもしれないと半ば強引に自分を納得させた。


 思い出せないはずだ。どこかで見ただけの他人そのものではないか。


 ネタがわかってつまらなさそうな顔をしているロベルトとは対照的に、マルコはずいと身を乗り出してきた。


「ロベルトさん、こいつは大変なことですよ」


「なにがぁ?」


「彼がノーマンのお仲間だったとして、つまりは遺跡探索に行ったメンバーがミュータントに取り込まれてミュータント化したということですよ。ロベルトさんたちが出会った人面トカゲは――」


「あの話すんの? やめてくれよ……」


「それは本題ではありません、とにかく聞いてください。人面トカゲは人間の身体をただ利用するだけでしたが、今回は明らかに人間がミュータント化しているということになるんですよ」


「あの顔も、ただの飾り物ってことはないか?」


「映像、巻き戻してみましょうか」


 こうして哀れなる通信士たちは口元を抑えながら権力者たちの指示の下、グロテスクな映像を何度も巻き戻し、停止し、再生する羽目になった。


 表情こそ優れないものの、職務は忠実に行っていた点はさすがのプロ根性とたたえられるべきであろう。


 若者の顔をした、小さな皺赤子の滑らかな動きに、マルコとロベルトはじっと見入っていた。


「あの顔が、借り物に見えますか?」


「見えねぇな。取って付けたもんじゃなくて、完全に体の一部だな。それでつまり……どういうことだ?」


 映像の中でまた、小さなミュータントが機銃でミンチにされた。ロベルトがさっと手を振ると、また映像が巻き戻される。職員たちも慣れたものである。


「全てとは言えませんが、ミュータントの繁殖方法は人間を食うことではないか、そうした仮説が立てられます」


「ハンターどもは減らすのも増やすのも自分らでやっているってことになるな。ご苦労なこった」


 笑えない冗談に反応する者は誰もいない。マルコでさえ、『真面目にやれ』といった非難の視線を向けてくる始末である。


 ロベルトは肩をすくめてみせて、話を続けた。


「ミュータントは馬やら蛙やら、色々いるからなぁ。むしろ今回のような、パーツが全て人間のもので構成されている奴ってのが珍しい」


「これも仮説ですが、大型ミュータントが馬を食って出したものが馬型ミュータント。蛙を食って変質させたものが蛙型ミュータント……なんてことも考えられるわけですよ」


「ある意味、安心だな。ジジイの顔した巨大な赤ん坊がヤっているところなんか想像したくねぇし、目撃もしたくねぇ。さすがに俺だって吐くぜ」


「それについては同感です」


 ミュータントは異星人でも、地底人でもない。ありとあらゆる生物が変質した姿であり、それは人間も例外ではない。そんな説はできれば認めたくはなかったが、マルコの科学者として冷静な部分が次々と仮説を組み立て強固なものにしていった。


 画面に映る皺赤子のような醜悪しゅうあくな生物が人類の同胞どうほうであり、場合によっては自分も仲間たちもあんな姿になり得るなどと、仮説にしても考えるだけで気分が悪くなりそうだった。


 とりあえずこの件は心に秘めておこうと決めたマルコであった。こんなものを公表したところでハンターたちは戦いづらくなるだけだろうし、あるいは反発が起こって丸子製作所が暴徒に襲われる羽目になりかねない。


「ところで話は変わるんだが――」


 本当に、唐突にロベルトが言い出した。


「ノーマンのお仲間が食われてミュータントになっていたってことは、ノーマンの野郎もくたばったってことかぁ?」


「あ……」


 普通に考えればそういうことになるのだろうか。ご子息の不幸、お悔やみ申し上げますとでも言うべきなのだろうかとマルコが悩んでいると、またもシーラが助け舟を出してくれた。


「ロベルト様、ノーマンと仲間二人は別行動をとっていたので、一緒に食われたということはないかと思われます。無事かどうかまではわかりませんが、死んだと決まったわけではありません」


「ふぅん、別行動ね……何でだ?」


 同じ戦車に乗っていた仲間なのである。これも当然の疑問だ。シーラは少し困ったような顔をして、言葉を続けた。弟の恥になるようなことだが、答えないわけにはいかない。


「そのぅ……置いて行かれた、そうです……」


「何をやっているんだ、あの馬鹿……」


 ロベルトは椅子に深く身を沈ませ、ふんと鼻を鳴らしてそのまま黙り込んでしまった。職員たちはとばっちりを恐れて一斉に顔を背ける。


 シーラとマルコだけは、ロベルトが怒っているのではなく、むしろ口元に笑みさえ浮かんでいることを理解していた。


(ひとの周りをちょろちょろとして鬱陶うっとうしいガキだが、何も死ぬことはないよな。生きているならそれはそれで結構だ、うん)


「調査隊、いつ帰ってくんのかな」


「もう少ししたら帰ってくるんじゃないですかね」


「そうか、もう少しか。ふん……」


 それ以上の会話をする気も起らず、二人はシーラの淹れてくれたコーヒーをすすりながらじっと待っていた。


 やがて日も傾き、調査隊の生き残りがぞろぞろと遺跡から出てくる。その中に、アイザックとノーマンの姿もあった。

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