第97話

 戦いの嚆矢こうしは放たれた。


 空気を切り裂き、徹甲弾は皺赤子しわあかご醜悪しゅうあくな顔面へと吸い込まれるように突き進む。


 ディアスはこれが当たるなどと都合のいいことは考えていない。ただ相手の出方を知るための一撃である。どのように防ぎ、どのように動くのか、それが見たかった。まったく未知の相手である。情報は多いに越したことはない。


 戦いの前に数の利を捨てて、仲間を食らい腹ごしらえをするような奴である。ひと筋縄ではいかなそうだ。


 だが、ディアスの予想に反して皺赤子は軽く身をよじっただけであった。徹甲弾は右目に命中し、脳漿のうしょうを撒き散らして顔を大きくえぐった。


「え?」


 命中させておいてそんな反応もないものだが、とにかく拍子抜けであった。


 皺赤子の絶叫が響き渡る。不快感を覚えるほどの音声は自動的にシャットアウトされるのだが、それでも戦車全体がびりびりと震える感覚は伝わった。


 『ぎゃあ』と叫んだのか、『おぎゃあ』と泣いたのか、そこは曖昧あいまいだ。かなりのダメージを与えたということは確かだろう。


(こいつひょっとして弱いのか……)


 いや、とすぐに思い直す。自分の都合のよいように思い込んでしまう。ハンターはそうやって死んでいくのだ。


「カーディル、いつでも後退できるよう備えてくれ」


 いいながら、ディアスは自動装填装置を作動させ、次弾発射に取り掛かる。


 そのひたいには汗が滲み出ていた。何かに追われるような、真剣な表情だ。


 カーディルもまた、皺赤子の狼狽うろたえぶりに戸惑とまどっていたが、ディアスがまだ警戒を解いていないことを知ると、彼女もまた気を引き締めた。


 果たして、頭の三分の一を吹き飛ばされても皺赤子は死んでなどいなかった。戦意の喪失もしていない。


 抉れた傷口から肉がもこもこと盛り上がったかと思えば、突如として老婆の顔が突き出てきたのだ。抉れた頭の上に、さらに頭が乗っているような状態だ。


 老婆の目はうつろで、どこを見ているのかわからない。口元からはよだれが垂れ落ちている。


 アレは何だ。ディアスたちは言葉を失った。


 離れた所で21号から送られる映像を見ていたマルコたちも、鉄丸を飲んだような息苦しさを感じていた。


 人の尊厳、人の進化、人の存在意義。そうしたものすべてを侮辱ぶじょくし、あざ笑っているかのような姿であった。


 頭の中はかすみがかり、思考停止してしまいそうになった。ディアスは下腹に力を込めて、己をふるい立たせる。あんなものの存在を認めるわけにはいかない。


 次弾装填をのんびり待っている暇はない。その大きさゆえに迫力のあるよちよち歩きで迫りくる皺赤子に、左右に取り付けられた機銃の掃射そうしゃを食らわせた。


 弾丸はミュータントに命中し表面を削るが、すぐに肉が盛り上がって埋まってしまう。あまり効果はなさそうだ。


「化け物め……ッ」


 ディアスは呟き、発射装置から手を離した。珍しく苛立っている。焦りを自覚しながらも、どうにもならない感情を持て余していた。




 ごぽごぽと水道管が詰まったような音がする。老人と老婆の顔が、ゆっくりと口を開いた。


 ちょうど装填も完了したところである。撃つべきか、逃げるべきか。迷ったのはほんの一瞬であった。後退だ、そう言おうとした。


 ディアスの口が『こ』の形をとるかとらないかといったタイミングで、21号の履帯りたいは高速で逆回転しその場から一目散に離れた。カーディルもまた、皺赤子の行動を危険なものと感じ取ったのだろう。


 カーディルと考えが一致したこと、連携が途切れていないことに満足し、ディアスは少しだけ自信と落ち着きを取り戻した。


 次の瞬間、二つの口から大量の、赤黒いものが吐き出された。つい一秒前に21号が存在したその場所に吐きかけられたものは、血であった。


 じゅうじゅうと音を立て、白煙を立ち昇らせ、それは地面と岩壁を猛烈な勢いで溶かし始めた。あれが頭上に降りかかればどうなっていたのかと、ディアスたちは戦慄せんりつした。


 わかったこともいくつかある。あの攻撃を行うには前準備が必要なようだ。ごぽごぽと汚い水音が聞こえたら急いで後退すればいい。どんな強力な攻撃もパターンさえ読めれば避けられないことはない。


 そして今、奴の口の中は空っぽだ。


 今度こそ、と老人の顔をめがけて狙いをつける。そこで目にしたのは岩を掴んで右手を振り上げる皺赤子の姿であった。まずい、あれを投げつけてくるつもりか。


(意外に攻撃方法が多彩たさいだな……ッ)


 頭を吹き飛ばされても絶命には至らなかった。それどころか変態し、より凶悪な姿となったミュータントだ。岩を投げるよりも早く撃ち殺せばいい、などという博打はできなかった。後手に回っているという感は否めないが、ここで辛抱できるかどうかが命の分かれ目だ。石橋を叩いて、その反射音から劣化具合を確かめるような慎重さが必要な場面である。


 幸い、敵の動きひとつひとつは鈍重であった。砲塔を旋回させ、狙いを右手に変更した。焦りと苛立ちを飲み込むように、大きく息を吸い、止める。


 放たれた徹甲弾は見事に皺赤子の右手首を粉砕し、丸い右手と大岩がどさりどさりと続けて落ちた。


 先日の、神経接続式戦車との戦いで相手が体勢を崩すまでろくに当てられなかったことで少々自信喪失していたディアスであったが、あれはかなり特殊なケースである。ここで確実に撃ち貫くところ、やはりディアスの射撃技術は一流であるといっていいだろう。


 機動要塞内のロベルトたちもまた、その射撃に興奮していた。手首を貫いた映像に、おぉと歓声が沸き起こる。


 ロベルトが上機嫌でマルコの背をばんばんと叩く。こいつ酒でも飲んでいるのかと、マルコが疑わしく思ったほどの浮かれぶりだ。


「おいおいおい! すげぇ絵が撮れたな。こいつは売れるんじゃねぇの?」


「ちょっと敵が不気味すぎるのが難点ですがね……」


「ああ、やっぱりあいつら欲しいなぁ! くれない?」


「ダメです」


 そんなお気楽騒ぎはいざ知らず、ディアスは次こそはと発射準備にかかった。しかし、ここでもまた皺赤子はその特異性、異常性を見せつけた。


 切断された右手首、その傷口の肉が盛り上がり新たな手が生えてきたのだ。骨と皮ばかりで構成されたような、細く尖った皺だらけの手だ。


(なんだそりゃあ!?)


 誰もが、心の中でそう叫んだ。


 衝撃から立ち直る時間も許されず、皺赤子はさらなる行動に出た。千切れ落ち用済みとなった赤子の手を、新たに生えた幽鬼ゆうきのごとき手が鷲づかみにし、21号に向けて投げつけたのである。


 状況の整理こそできていないものの、カーディルは残った理性を総動員して履帯を巧みに動かし、強酸性の血を撒き散らす手を避けた。


 直後、思考の死角からそれは飛来した。車内を震わせる衝撃。左手で岩を投げつけてきたらしい。直撃こそ避けたものの左の機銃は潰され、砲塔の旋回機能もうまく動くか怪しいものだ。


「カーディル!」


「大丈夫、怪我は無い! 一度後退するわ!」


 体制を立て直すために皺赤子と距離をとる。引き下がるつもりなどないが、一時的にとはいえ逃げたのだという苦い感情が舌の奥に湧き出てくるようであった。


 ピーという電子音が、発射準備が整ったことを告げる。その音がこんなにも頼りなく聞こえたのは初めてであった。

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