第96話

 距離、20キロメートル。


 レーダーに映る、じわじわと近づいてきたはずの三つの点は急にピタリと止まり動かなくなった。起動要塞の中で、マルコはその様子を怪訝な目で見ていた。


 やがて、二つの点が重なりあう。


(どういうことだい、こりゃあ。まさか荒野のど真ん中でヤッてるわけじゃあるまいな、そんなバカはあいつらぐらいだと思うが……)


 しばらく見ていると、どうも重なった点の片方は徐々に生体反応が小さくなり、もう片方は大きくなっているようだ。何か、妙なことが起こっている。


  考え込んでいると、バカの片割れであるディアスから通信が入った。


「博士、我々はどう動きましょうか。偵察に出るか、警戒のため留まるか。指示願います」


 彼らも異変に気づいているのだろう。だが、彼らの役割はあくまで護衛だ。勝手に飛び出した挙げ句に脇からミュータントが飛び出してきて機動要塞に襲いかかった、では話にならない。


 ディアスが冷静でいることに安堵しつつ、


(僕が決めなきゃならんのかい……)


 と、面倒ごとを押し付けられたような気分のマルコであった。


 さてどうしたものかと悩んでいると、隣からロベルトが能天気な声でいった。


「いいんじゃねえの、行かせてやりゃあ」


「しかしロベルトさん、こっちの守りが手薄になりますが……」


「ふん、この機動要塞、ミュータントがちょっとやそっと沸いたところで落ちはしねえよ。少なくとも火力、装甲ではお前さんの自慢の戦車よりもずっと上だ」


「むむむ……」


 悩むマルコの肩に、ロベルトは馴れ馴れしく手を回して、とどめとばかりに囁いた。


「見たくないのか?今、何が起こっているのか、ミュータントどもが何をしているのか」


「そりゃあもちろん見たいですよ」


「情報こそ命だ。ここで敵の動きを知っておくことが、後に生死を分けることになるかもしれんぞぉ?護衛を一時的に外すことなんかリスクのうちに入らないって。生き延びるために、あいつらを偵察に行かせるんだよ。なぁ?」


 どうも都合のいいように誘導されているような気がしないでもないが、


(よし、ここは騙されておこう)


 と、己の欲求に従うことにした。


 マイクを取り上げ、ディアスたちに指示を出すと21号は弾丸のように飛び出していった。


 レーダー上で生体反応がひとつ消え、そして大きくなった個体はもうひとつの点と重なりあった。


 何か、とんでもないことが起こっている。期待と不安、相反する感情で胸が締め付けられるようで、息苦しさすら感じていた。


 ディアスたちはどんな映像を送ってくれるのか。マルコもロベルトも、それどころか車内全体が沈黙に包まれ、ただ微かに息づかいが聴こえるのみであった。




 岩壁の間をすり抜け、ディアスたちはミュータントが留まっている地点に近づいた。岩壁の陰に隠れ、そっと様子を伺う。


 そこにあったものは異質な赤。空と岩と砂しかないこの地域に現れた、あまりにも鮮やかで冒涜的な光景。


 ミュータントが、ミュータントを食っていた。食い散らかしていた。


 それは人間の赤ん坊であった。四つん這いの状態で高さ4メートルほどもある、巨大な赤ちゃん。ぷにぷにとした肌の質感はまさに赤ん坊のものであったが、丸い手指を駆使して肉を口に運ぶ、その顔だけは老人であった。


 頭部は禿げ上がり髪の毛が数本、未練がましくこびりついている。歯はほとんどが抜け落ちていて、食事にも苦労しているようだ。


 残骸から察するに、食っているものも同系統のミュータントのようだ。一回り小さい赤ん坊。食い残しの内蔵や丸い指があちこちに散らばっていた。


「うぇぇ……」


 カーディルが呻く。外部カメラと連動した彼女の視界には、ディアスたちが見ている光景よりも鮮明に映るのだろう。


 ディアスは汗ばんだ手を膝で拭いて、主砲の発射装置を握りしめた。先ほどまでの、どこか浮かれたような気分は欠片も残っていない。


 あれは異質だ。過去に遭遇したミュータントのなかには、人間のパーツをもった奴がいくらかいた。人間の手足を持った馬、全身から人間の手が生えた土竜、あるいは人間の死体から首を奪って取り付ける蜥蜴の群れなど。


 老人の顔と赤ん坊の身体という、異質な組み合わせではあるが、人間そのものというのは初めてだ。仮に奴の名を皺赤子しわあかごとしておこう。


 今、奴は食事に夢中になっている。


 撃つべきか、ディアスが迷っていると、突然くるりと皺赤子がこちらに向けて振り向いた。


 充分な距離を取った。岩陰にも隠れている。それでも気付かれたというのか。


 皺赤子は、同胞を食らった血まみれの口をパクパクと動かした。何かしゃべっているのか、そうだとすれば知性があるということなのか。


 わからない。わからない。


 ディアスの身体ががくがくと震え出した。あまりにも異質、理解不能の化け物だ。これほどの恐怖を感じたのは、数年前に犬蜘蛛と至近距離で対峙したとき以来だ……。


 そこまで考えて、少しだけ落ち着きを取り戻す。


(俺がそう感じているということは、カーディルはもっと恐ろしい思いに囚われていることだろう。ここは俺がしっかりしなきゃあならん場面だ!)


「やるぞ、カーディル!奴をぶち殺す!」


「え?ええ……ッ!」


 あの時は一人だった。今は二人だ。出来ないことなど何もない。荒い息は整い、適度な緊張感だけが残る。戦いの準備は万端だ。


 皺赤子が、醜悪な笑みを浮かべて四つん這いで向かってきた。


 主砲の仰角を上げ、狙いをピタリと皺赤子の顔面に合わせる。荒野に乾いた空気を裂くような轟音が鳴り響いた。




 機動要塞内も異様な空気に包まれていた。あまりにも巨大、あまりにもおぞましい。ミュータントとは知性なき狂獣ではなかったのか。


「うぇる……かむ……?」


 シーラがぼそりと呟く。何の話かとマルコが怪訝けげんな顔で振り向くと、シーラは慌てて手を振った。


「いえ、すいません、なんでもないんです。ただ、あのミュータントが口をパクパクさせたとき、そんな風にいっているように思えたもので……」


「シーラくん、読唇術どくしんじゅつとかできたのかい?」


「できません。本当にただなんとなく感じたことなので、気にしないでください……」


「気になるようなことをいっておいて、気にするなもないもんだ、なぁ?」


 ロベルトが青い顔をしながらも口を挟み、別モニターで先ほどの映像を巻き戻してみようということになった。


 シーラとしてはあの血まみれの顔をまた見るのは遠慮したかったが、マルコとロベルトは好奇心の方が勝るようだ。


 スロー再生しながら、自分たちも同じように口を動かしてみる。ウェルカム、確かにそういっているように思える。


 ようこそ、とはどういうことだ。ここは皺赤子のテリトリーであり、訪問者を歓迎しているということか。そもそもこの遺跡は何なのか。


 わからない。ただ未知への恐怖だけが背中を走り抜ける。


「……いつでも走れるようにしておけ」


 ロベルトがぞっとするような冷たい声でいった。


 いざとなればディアスたちも、調査に向かったハンターたちも捨てて逃げ出そうという意味か。


 マルコもシーラも、それを咎めようとは思わなかった。この際、生き延びるために為には最善の手段だ。


「しかし、だ……」


 マルコは全体重を預けるように、ぎしりと音をたてて椅子に深く座り直した。


「彼らが勝てば、なんら問題はないよねぇ」


 それは疲れの中に、かすかな誇りと信頼が混じった声であった。

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