第94話

 廊下の曲がり角からぬぅっと姿を現したもの、それは巨大な人間であった。


 いや、そう見えただけである。人との共通点など、手足と頭があって二本足で立っていることくらいのものだ。


 幼児が粘土ねんどをこねて、とりあえず五体を作った。そんな不格好な白い塊。目は無く、鼻も耳も無い。顔の中央を占めるものは巨大な口。開けば耐え難い腐臭がただよい狭い廊下に充満するようであった。


 身をかがめ、頭頂部とうちょうぶを天井にこすりつけて、ゆっくりとこちらに向かってくる。


 大口を開けて、粘度が高く落ちそうで落ちないよだれをぶら下げながら、確実に迫ってくる。明らかにこちらの存在を認識している。


 やるぞ、という合図もいらない。この場でやるべきことなど決まっている。


 ノーマンはマシンガンを、アイザックは大口径ライフルをそれぞれ構え、一斉に放った。


 的が大きいので外しようがない。だが、マシンガンの弾が命中しても表面が軽く弾ける程度で、とても有効打を与えているとは思えない。


 アイザックのライフルはもう少しマシで、当たればこぶし大の穴が開くが、それも粘土細工の化け物らしく、ずぶずぶとすぐに埋まってしまう。


「何を食ったらこんなにでかくなれるんだよ!?」


 ノーマンがじりじりと後退しながら叫ぶ。


「人間じゃねぇの?」


「畜生、笑えねぇよ!」


 粘土の巨人はアイザックに向けて手を伸ばした。その図体に似合わず、いざ獲物を捕らえるとなれば動きは素早い。


 このまま捕まったらどうなるか、最悪の想像がアイザックの脳裏を駆け巡った。


 相手は人間をもてあそぶ知能を持ったミュータントだ。まずは死なない程度に握りつぶされ全身の骨が折れる。その後、手足を一本ずつ折られ、振り回される。そんな悪趣味なお人形遊びが思い浮かんだ。


(……冗談じゃ、ねぇぞ!)


 アイザックはライフルを前に突き出して巨人の手を防いだ。だが、その衝撃でライフルは弾き飛ばされてしまう。


(あの馬鹿、武器を手放しやがった!)


 撤退を援護しようと、ノーマンはマシンガンを構える。しかし、位置が悪い。このまま撃てばアイザックにも当たってしまう。


 どうすればいい、立ち尽くすノーマンに


「俺に構うな!」


 と、アイザックが叫ぶ。


 これをノーマンは、『俺に構わず逃げろ』という意味だと解釈した。


(逃げられるか馬鹿野郎!俺にできることは何もないのか……ッ!?)


 胸を締め付けられるような息苦しさに耐えながら考えを巡らせる。だが、何も思い浮かばない。頭も足も動かない、どうすればいい。


 突如、暗闇の中に閃光が走る。一瞬遅れて、轟音。


(な、なんだぁ!?)


 耳の奥の痛みに耐えながらよく見ると、巨人の頭部は大きくえぐられていた。アイザックの右腕の包帯がほどけ落ち、薄い白煙が立ち昇る。鉄腕から突き出た二本の筒、内臓式ショットガンだ。


「もう一丁!」


 たまらず片膝をついた巨人の顔を鉄腕で殴りつけ、さらに追撃のショットガン。


「がぁぁぁぁぁ!!」


 響き渡る巨人の咆哮ほうこう。苦し紛れに振るった腕を、アイザックは鉄腕で正面からガードした。ぐらり、と体が揺れるが倒れはしない。


(無茶苦茶だ、こいつ……)


 中型ミュータントと至近距離で殴り合うなど、非常識極まりない話だ。ライフルを持っていた時よりずっと動きが滑らかだ。はたから見ていると、どちらがミュータントだかわかったものではない。


 一応、援護の機会をうかがってはいるものの


(これはもう、なんとかなりそうだな……)


 と、いう安心感が生まれていた。


 そして、余裕ができたことでふと思いついたことがある。あの図体で部屋に入れるのか、と。


 ただの思い付きだ。目の前にミュータントがいる状態で考えるようなことではない。だが、くだらない考えと切り捨ててしまっていいものだろうか?


 あのデカブツが部屋に入れない以上、仲間の死体を弄んだ奴は他にいるということだ。


 音がしたわけではない。気配を感じたわけでもない。ただ不安だから、幽霊に怯える様な気持ちで振り向いただけだ。


 そして、それはそこにいた。


 粘土の巨人と同じくらいの背の高さで、頭が天井に届くほどだ。見た目も同じく、薄汚れた白。


 ただし、巨人がぶよぶよとふくれあがっているのに対し、こいつは枯れ木のように細い。ほとんど、ただの棒だ。


 その左手からは剣のようなものが飛び出していた。腕と一体化しているのだ。ノーマンは確信した、仲間の首を飛ばしたのはこいつだと。


 腐臭と騒音を撒き散らす粘土の巨人と違って、こいつは何の存在感も無かった。太陽の下にさらしても、影すらできないのではないか。そんなバカなことを考えてしまうほどに。


 一歩一歩、足音も立てずに剣の巨人は近づいてくる。


 相手の存在感が無いとは意外に厄介なものだ。敵を敵として認識できない。どこか覚悟の決まらない、ふわふわとした気分だ。


 これはまずい。わかってはいるが、気持ちだけが焦って体が動かない。


 またしてもふと、思い付いたことがある。仲間の死体は首を斬られた以外に外傷はなかった。ろくに交戦もせず、一撃で首を飛ばされた、そういうことだろう。


(初撃は、横なぎ……ッ!?)


 相手の予備動作が見えたわけではない。ただ、背中がゾワリとした。そんなハンターのカンに従って、ヘッドスライディングのような形で倒れ込んだ。


 直後、頭上を何かが通りすぎた。空間を絶つような一撃。髪の毛が数本、宙に舞う。あのまま立ち尽くしていたら、確実にノーマンの首は斬られていただろう。


 やはりこいつは粘土の化け物の同類だ。まだ5メートル以上も離れていたが、腕をぐんと伸ばすことで攻撃範囲を広げたのだ。


 ともかくノーマンは生き残った。倒れ込み、体を少し転がして体勢を整える。マシンガンを真っすぐ化け物の頭部に向けた。


「くたばりやがれぇッ!!」


 発射。途切れぬ鉄の咆哮。弾丸は剣の巨人の頭部に集中し、破壊した。


 飛び散る鮮血、意味不明なうめき声をあげて巨人の身体は崩れ落ちた。


 それでもノーマンは撃つのを止めなかった。本人の意思ではない。指が固まって引き金から離れなかったのだ。弾切れを起こして、そこでようやく左手を使って右手を銃から引き剥がした。


 立ち上がり、剣の巨人を見下ろしながら、今にして身体が震えてきた。今にも立ち上がって剣を振るうのではないか、そんな恐怖がぬぐえない。


 マシンガンの一斉射で倒せたから楽だった、などとは思えない。もしもあの時振り向かなかったら。もしも倒れ込むのが一瞬でも遅かったら、あるいは早すぎたら。わけもわからぬうちに殺されていただろう。


 振り返ったのは偶然だ。倒れ込んだのは天啓てんけいだ。なにもかもがギリギリだった。


 後方で、ずぅんと重い何かが倒れるような音がした。振り向くと、そこには崩れ落ちた粘土の巨人と、右手を高々と上げるアイザックの姿があった。


 相手の口の中に手を突っ込んで、ショットガンを放つという必殺技が決まったところであった。


 アイザックはノーマンと、その足元に転がったミュータントを交互に見てから、厳つい体に似合わぬ人懐っこい笑顔を浮かべて近づいてきた。


「よう。童貞卒業、おめでとう」


 このおっさんは何を言い出すのか。それが中型ミュータントを倒したことだと気付くのに30秒ほどかかった。


「……中型を倒したのは初めてじゃないぞ」


「パパに買ってもらった戦車で、か?」


 確かにその通りだ。与えられた戦車で、比較的狩りやすい中型を何度か倒したが、その度にこれは本当に自分の力なのかと悩んだものだ。


 今にして思えば、仲間2人も自分を持ち上げてくれていたが、心の裏では舌を出してさげすんでいたのではないか、そう思える節がある。


 それでも、だ。


「気に入らないな。赤の他人からそうはっきり言われるのは」


「いやぁ、悪かった。お前さんを馬鹿にするつもりで話しかけたんじゃない。このクソ厄介そうな奴を1人で倒したんだなって、そう褒めているのさ。こいつは間違いなくお前さんの手柄で、疑う奴がいたら俺が証言してやる。改めて言うぜ、おめでとう」


「お、おぅ……」


 先ほどまでずっと、自分を坊や扱いしていた憎たらしい男からの素直な賞賛しょうさんに、何と言っていいやら戸惑とまどうノーマンであった。


 そんな彼を放って、アイザックは剣の巨人の死体の前でしゃがみこんだ。左手と一体化した剣を指先でツツッとなぞると、アイザックの顔色が青ざめた。


 鋼鉄の指先に、一筋の傷が入ったのである。力は入れていない、本当に触れただけだ。もし自分がこいつと戦って、剣を腕で防ごうとしていたらどうなったか。想像し、ぶるりと身を震わせた。


(こいつは大金星だぜ、坊や。調子に乗るだろうから言わないけど)


 意地悪く考えるアイザックの背に、ノーマンが声をかけた。


「なぁアイザック、チェーンソー持っていないか?」


「何を言っているんだお前は。首を提出するハンターオフィスなんか近所にないぞ。クーラーボックスも積んでないし、とりあえず証拠写真と適当なサンプル持って行きゃあロベルトさんからそれなりの報奨金は出るだろ」


「いや、持ち帰りたいのは首じゃなくてさ……」


 ノーマンの指先を見て、その示す先へと視線を移す。ミュータントの左腕、剣を持ち帰りたいとそういうことだろう。なるほど、と思った。こいつは面白い手土産になりそうだ。


「マルコの旦那が喜びそうだな」


 そういって頷くと


「一度戻って、チェーンソーを持ってここに来ようぜ。それを出して今日の探索はお終いだ。指揮所になければディアスに借りればいい。多分、あいつなら戦車に置いてあるだろ」


「わかった、そうしよう。それと……」


「それと、なんでぇ?」


「やっぱり、仲間の頭部は持って帰るよ。ミュータントに食われないところに埋めてやりたい」


 アイザックの顔がわずかに曇る。こいつも成長したなと認める気持ちが一気に冷めていくような思いであった。


「手が塞がるから止めろって言っただろうが。人の話を聞いていなかったのか?」


 しかし、今度はノーマンも引き下がらない。ゆっくりと首を振ってから、アイザックを真っすぐに見据えていった。


「背中にひもくくり付けていく。それなら問題ないだろう?」


 そう言うと、さっさと部屋の中に入ってしまった。後に残されたアイザックは目を丸くして開けっ放しのドアを見つめている。やがて、大きくため息をついた。


「こうやって若者は成長して、手の中に収まらなくなるわけだ……」


 そんなふうに呟くアイザックは、どこか楽しげであった。

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