第93話

 調査の終わった部屋のドアに黒スプレーでバツ印をつけると、ノーマンはにやにやと不気味な笑みを浮かべた。


「なんだよ、一体……」


 となりのアイザックが呆れて聞くと


「いやぁ、こうしているとさ、俺もハンターとしてひとつの仕事を成し遂げたって思うわけだよ」


 彼は父親や世間に認めてもらおうと頑張る若きハンターである。貢献こうけんできたことを素直に喜ぶその若さが、アイザックには眩しく見えた。


 楽して金が欲しいけど、他人と関わるのもまっぴらごめんだ。そんなことばかり考えているアイザックにとっさに出てくる言葉は無く、ただ曖昧あいまいに頷くしかできなかった。


(すまんな少年。俺は汚れてしまった大人だ……)


 次の部屋、また次の部屋と探索を進めるが、とくにめぼしいお宝は見つからなかった。


 ノーマンは探索が進んだこと自体に満足しているようだが、アイザックとしてはそうもいかない。


 遠征に参加した、その基本給は貰えることになっているが、わざわざ未踏破の遺跡に来たのだから何か持って帰りたいところだ。他の同業者が集う席で、何もありませんでしたとは言いたくない。


 今まで見つけた物の中で一番価値がありそうなものが、エロデータというのもどうかと思う。


(どこかに落ちてねぇものかなぁ。旧世紀の、失われた新兵器のデータとか……)


 また思考が楽な方へ、都合のいい方へと流れているなと自覚し苦笑しつつ、次の部屋のドアへと手をかける。


 そこで、ピタリと手が止まった。


「おい、どうしたアイザック……?」


 振り向いたアイザックの険しい顔に、ノーマンは言葉を失った。今までのどこか適当にやっているような雰囲気は消え、険しいしわが刻まれている。


 吹き出る殺気が自分に向けられたものではないとわかっていても、背筋が寒くなる思いであった。


「覚えておけ坊や。これが新鮮な血の匂いだ」


 匂いといわれても、ノーマンにはよくわからなかった。砂、埃、カビのブレンドがとっくに嗅覚を麻痺させているのだ。しかし、わかるわけないだろうとは言えなかった。無茶でも無理でも、できなければ死ぬだけだ。


 廊下をライトで照らすと、床に何か引きずったような跡が見えた。これは足跡だろうか。


「突入する。バックアップを頼む」


 そういって大口径ライフルを構えるアイザック。その背に、有無を言わせぬ迫力があった。


 ノーマンもマシンガンをしっかり固定するように構え直す。唾を飲み込もうとしたが、緊張で喉がからからに乾ききって、ガムのような粘り気のある唾はなかなか飲み込めず苛立いらだちがつのっただけであった。


 心の準備ができていない。そんなことを言う暇も無く、アイザックはドアを蹴破った。


 その巨体から繰り出される強烈な蹴りはドアを破壊し、吹き飛ばす。


(銀行強盗がお漏らしするレベルだこりゃぁ……)


 と、妙な感心をしながらノーマンも後に続いた。


 拍子抜けであり、安心したようでもあり、中には誰もおらず凶悪なミュータントが突然襲い掛かってくるということもなかった。


 ただ、ノーマンにもはっきりとわかるくらい血の匂いが充満していた。これが腐っていない、まだ新鮮な血の匂いだ。今回探索に来たハンターのうち、誰かが犠牲になったということだろうか。


 慎重に周囲を照らしながら進むと、部屋の隅に、壁に背を預け倒れたハンターを発見した。


 流れた血と、蒼白な顔色からすでに死んでいると判断した。


 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。この服装に見覚えがある。つい数時間前に別れたばかりの相手だ。


「テッド……ッ!?」


 同じ戦車に乗っていた、操縦手だ。その笑顔も、声も、まだ鮮明に思い出せる。


「なんだ、知り合いか?」


「俺の仲間……だった。いや待て、おかしいぞ。服装はテッドだが、この顔はマイクだ。ああ、マイクというのは戦車の砲手だったやつだが……。これは、どういうことだ?」


 荒れ果てた遺跡の内部で服を交換した?そんなバカな。


 死骸をよく見ると首に一本、血の筋のようなものが描かれていた。アイザックがライフルの先端で頭部を小突いてみると、ごろりと生首が転がった。


「うわぁっ!」


 叫び、尻もちをついて後ずさるノーマン。死体を見たことがないわけではない。知人の死体をミュータントに利用される現場に出くわしたこともある。それでも、こればかりは慣れるようなものではない。


 アイザックは首なし死体を見下ろしながら


「まずいな、こりゃあ……」


 と、呟いた。


「これをミュータントがやったとして、そいつには知性があるということだ。品性があるかどうかは知らんがね」


 動物の世界とて、縄張り争いや食事の為だけに戦うわけではない。弱者をいたぶり、もてあそぶことだってある。それでも首を切って入れ替えるなどという真似は、相当な知性があってのことだろう。


 今まで戦ってきたミュータントは異形ではあっても、どこまでも化け物の延長線上にあった。これをやったミュータントは、根本的に何かが違う。


 あるいは、これは人間の仕業であり、仲間割れの結果と考えることもできる。むしろそっちのほうが可能性が高いだろう。


(そうであってくれればどんなにいいか……)


 生首と、首なし死体を交互に見やる。切り口があまりにも綺麗だ。


 ハンターがよく使うチェーンソーで血と肉を飛ばしながら切り落としたのではなく、サムライソードの達人が一刀両断した、そんな美しいとすらいえる切り口だ。


 アイザックが考え込んでいる間、ノーマンはじっと生首を見て、目を離すことができなかった。


 生死を共にと誓っておきながらあっさりと自分を捨てていった奴らだ。あまりの惨めさに泣き出しそうになったこともある。


 死体を見下ろし、大口を開けてざまあみろと笑い飛ばしてやってもいい場面だが、そんな気にはなれなかった。今はただ、哀れとしか思えなかった。仲間の死体を弄ばれて怒りすら湧いてきた。


「おい、しっかりしろ。首と体が別人ってことは、こいつがどこかにもう1セットあるってことだぞ」


 確かにそうだ。現実を直視しなければ生き残れないのがハンターだ。もう一度仲間の死体を見て動揺するよりは、ここで覚悟を決めておいたほうがいい。


 それにしても、だ。


「もう少し、言い方ってもんは無いのかい……」


「無いな。野郎に優しくしてやる義理は無い」


 本当に嫌な奴だ。ノーマンはひどく白けた気分になった。


 ディアスにしろアイザックにしろ、言うだけ言って後は知らん。そんな奴ばかりだ。自分もベテランになればこうなるのだろうか、冗談ではない。


(俺はこうはならないぞ。なってたまるか……ッ)


 こんないい加減で無責任なおっさんではなく、人助けに邁進まいしんし人類の英雄と呼ばれるにふさわしいハンター。それが目標だ。


「これからどうする?ミュータントを探してブチ殺すのかい」


 聞くと、アイザックはひとを小馬鹿にしたような表情を浮かべて


「まさかぁ」


 と、いった。まるで相手にしていない、そんな口調だ。


「今日の所は指揮所に戻って報告。情報の共有だな。これこれこういうことがありました、地下には気を付けましょうねって伝えるのが、皆の為ってやつさ」


「敵に背を向けるのか?仲間をこんなふうにされて、悔しくはないのかッ!?」


「いやぁ、全然?」


「ぐっ…。じゃあせめて、首だけでも持ち帰ろう。この場で肉食蠅の餌にするのはあまりにも哀れだ」


「やめとけ、手が塞がる」


 やることなすこと、片っ端から否定されてしまった。


 アイザックの非情な判断が全て正しい。……本当に、そうだろうか?生き残るために情を捨てることと、他人に無関心になることは違うはずだ。


 仲間の無残な死を前に、どうでもいいと切り捨てるのが一流か。それではハンターとはあまりにもむなしすぎるではないか。


 理想のハンターになるためにはどうすればいいか。


 そんなことを考えているうちにアイザックはさっさと部屋を出てしまい、ノーマンは慌ててその背を追いかけた。


 すぐに追いついた。と、いうよりもアイザックは廊下で立ち止まっていた。ノーマンもその異様さにすぐに気付いた。部屋に入る前とは明らかに雰囲気が違う。


 腐臭を含んだ生暖かい空気が、廊下の曲がり角から流れ出してきている。


 間違いない、何かがいる。決して人とは相容れぬ何かが。


「よかったな、仇討ちの機会がやって来て」


 こんな時でも軽口か。ふざけるな、と怒鳴りつけてやりたかったがすぐに思い直した。怒りをぶつけてやらなければならない相手は、もっと先にいる。


「クソッ、最低だな、ハンターという仕事は」


 ノーマンのぼやきに、アイザックはくっくと含み笑いを漏らした。


「なんだ、今ごろ気付いたか」


 なんだかんだでアイザックが隣にいることは頼もしい。肩を並べて戦うならば最高の相手パートナーだ。未知の恐怖を前にして叫びださないのも、逃げ出さないのもこいつがいるからだろう。


 それを認めるのも嫌だった。

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