第85話

 今回の報告には珍しくカーディルが同席していた。もっとも、彼女から何か説明や言い訳をしようというつもりでもないようで、入室したときに挨拶あいさつしたきり、何も言わずに長い睫毛まつげを伏せたうれいを帯びた表情でディアスにっている。


 ディアスからの報告を聞き終えると、マルコは黒塗りのデスクに目を落として深いため息をついた。


 神経接続式戦車のコアであるファティマを回収できなかったのは、まあいい。確保したところで結局は厄介ごとの種になっていた可能性が高いのでこれはこれでよかったのかもしれない。


 問題は戦車だ。ディアスはこれを戦闘中に当たり所悪く爆発炎上させてしまったというのではなく、ファティマを救出した後でわざわざ燃料タンクを撃ち抜いて破壊している。つまりは故意だ。


「何も戦車を破壊することはなかったんじゃあないか?」


「あれはファティマにとっての魂の牢獄です」


「……は?」


「彼女がこの先、神経接続式戦車を使うかどうかはともかくとして、あれはいけません。あまりにも辛い記憶が染みつきすぎています。憎しみの象徴であるあの戦車を破壊してこそ、彼女は前に進めるのだと判断しました」


 この男は荒廃した世界で戦車がいかに貴重なものかわかっていないのだろうか。いや、そんなはずはない。彼らとて長い貧困の末に今の生活を手に入れたのだ。


 要するに、わかっていながら女のセンチメンタルを優先させたということになる。


(本当に扱いづらい男だなぁ……)


 戦闘中のはずみで破壊してしまった、事故であるというのであればともかく、戦車とコアを回収しろというマルコの要望を理解していながら己の判断を優先させたのだ。


 こういう所が完全に己の手下ではない、ある程度フリーの人間を使う難しさとでもいうべきか。はっきり言えば気に入らなかった。


 この先、何をしでかすかわからないダドリーたちを始末してくれたことは後腐れが無くて実にいい。が、それはそれで別問題だ。


 丸子製作所に出入りするハンターは他にいくらでもいるし、中にはマルコの為ならどんな汚れ仕事でもやってのけるという連中もいる。


 だが、今回のようなとびきり厄介な仕事を任せられる人材はディアスとカーディルの他にない。彼らこそマルコにとっての最強の手札であることは間違いないのだ。


 いかなる事情があったにせよ、回収対象を故意に破壊したことは契約違反である。いつまでも笑って許してやるというわけにはいかない。それなりのケジメはつけておかなくてはならないだろう。


「任務の完全達成とはいかなかったわけだ。補給と修理費用はこちらで持つが、それ以外の報酬は出せない。それでいいね?」


 マルコ自身そういってから、


(主要任務である暴走戦車の討伐は完全に達成したわけだし、少し厳しすぎたか? 僕は彼らに、言うことを聞かないことに対する苛立ちをぶつけたりしてないだろうか……?)


 そう思わぬでもなかったが、ディアスは文句ひとついわずに


「異存はありません」


 と、頭を下げた。


 いさぎよい態度である。彼なりに、マルコの指示に逆らったことを重く受け止めているようだ。


 それはディアスなりの誠意であり、マルコの方から


『いやぁ、やっぱり報酬は払うよ』


 などと、言うべきことではないだろう。


(まったく、僕はこいつが好きなのか嫌いなのかどっちなんだろうなぁ……)


 そもそもマルコの最終的な目標は己の意のままに動く機械化軍団であり、ロマンチストの戦車乗りなど、その対極にあるといってよい。


 厳しい表情を崩さないようにしながら、心中で苦笑いするマルコであった。少なくとも、彼らを手放せないことだけは事実である。


「それにしても、身動きの取れない女を虐待していたとはねぇ。勝手に暴走したとはよく言えたもんだ。いや、他に言いようがなかったと考えるべきかな」


 と、いったところでマルコはディアスに依頼したときの様子を思い出した。あの歯切れの悪い受け答えはなんだったのだろうか。


「ひょっとして、ファティマとかいう女がそういう扱いを受けていたのだろうって、気づいてた?」


 ディアスとカーディルは軽く目くばせし、カーディルが頷くと前へ一歩進み出た。


「マルコ博士、神経接続式戦車は最強であり、最弱です」


「……悪いが哲学や禅問答ぜんもんどうは専門外だな」


 カーディルは黒髪をふりたてた。そんな話ではない。もっと現実的なことだと。


「四肢を切り落とし、戦車と同化した人間は同乗者に抵抗することはできません。敵に入り込まれたら負け、などという話ではなく、同乗者こそが潜在的な敵となり得るのです」


 鋼のごとき絆で結ばれたディアスに対してさえ、カーディルは『怖い』と感じたことが幾度いくどとなくある。身動きが取れない、抵抗ができないとはそれほどの恐怖なのだ。もっとも、そう感じたのと同じ数だけ杞憂きゆうであったと知ったわけだが。


 この2人ですら完全な信頼関係を結ぶには数年がかりであった。仲間に裏切られ、四肢を失ったファティマがどうして心開くことができようか。


「これは戦車と同化することのみならず、あらゆる差別や暴力に繋がることですが、人は相手を殴りつけ反撃されなかった場合、そうしてよいものだと感じてしまうものです。自分が相手よりも人として優れているのだという勘違いをしてしまうのです」


 ファティマの裸体に刻印された裏切りの傷跡、それを見てカーディルは全てを悟った。一度暴力のタガが外れてからは際限なくエスカレートしていったことだろう。恐らくダドリーは心からの反省などしておらず、運が悪かった、くらいにしか思っていなかったのではないだろうか。


「あの戦車は、愛情なくして動かぬものです」


 それだけいうと、カーディルは下がってまたディアスの隣にぴったりとついた。


 車内における肉体的な優劣は明確である。それを埋めて対等な関係となるには敬意と愛情が必要不可欠だ。四肢を切り落として戦車と同化させようという、ある意味で非人道的極まりない兵器の運用に必要なものが愛情とは皮肉なものだが、カーディルは己の説が間違っているとも思わなかった。


 兵器に、愛。


 とうていマルコには理解できず、受け入れられるものではなかった。唾を吐き捨てて、お前ら馬鹿じゃねぇのかと言ってやりたかった。しかし今回の事件の引き金となったものはまさに人間関係に他ならない。


 マルコは自問した。こうなることを心のどこかで感じていなかったか。具体的にいえばファティマの傷跡が人為的なものだと気づいたときに、ダドリーたちの性根は理解していたのではなかったか。


 神経接続式の兵器がなかなか広まらぬことに焦って、そうした予感から目を逸らしてはいなかったかと。


(馬鹿々々しい……)


 もう話は終わりだ、そういう意味でマルコは手をひらひらと振ってみせた。ディアスもその意をくみ取り、一礼して背を向けた。


 ディアスの腕にカーディルがからみつく。それは腕を組むというより、振り落とされないようにしがみついているように見えた。


 退室しようとするディアスらを眺めながら、マルコは思い出したようにいった。


「彼らは……幸せになれると思うかい?」


 カーディルに左腕をがっちりとホールドされているので、ディアスは首だけで振り返り、さて何と答えるべきかと思案した。


 命が助かったからといってそれでハッピーエンドとはいかない。むしろ大変なのはこれからだろう。


 ファティマは一生、元の明るさを取り戻すことはないかもしれない。エリックもまた、ダドリーたちと同じように変わってしまうかもしれない。


 ファティマとエリックを引き合わせ、カーディルの古い義肢を譲ってやった。彼らの為にしてやれることはそこまでだ。後はもう、知らない。


 責任、という意味ではそこまでだろう。ではディアス自身の望みはどうか。己が関わった者が幸せになってくれるのであれば。そしてどんな姿になっても人は幸せを求める権利があるのだと、彼らが証明してくれるのであれば……。


「そうあって欲しいと願っています」


 左腕に女と義肢四本分の重りをつけて歩きづらそうに出ていくディアス。その背を見送るマルコの心境は今だ複雑であった。


 気が合わない、嫌いではない。愛情と、無機質な兵器。相反する言葉がマルコの脳裏でグルグルと回る。


「本当に、馬鹿々々しい……」


 不快感のこもらぬ馬鹿という言葉。それもまたひとつの矛盾であったことに、マルコが気づいていたか、どうか。

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