第84話

「あの野郎ふざけやがって!」


 ジーンは双眼鏡から目を離し、硬く乾いた大地に叩きつけた。


 砕けたレンズが砂に混ざり、きらきらと太陽の光を吸ってきらめいている。


(貴重な双眼鏡に何をやっているんだ……)


 その様子をダドリーは呆れながら眺めていたが、気持ちはわからぬでもなかった。


 ディアスたちがファティマに勝利した、そこまではいい。できれば共倒れにでもなってくれれば最高だったが、さすがにそこまで都合よくはいかないだろう。


 ファティマ車が止まった後、ディアスは車内に乗り込み、しばらくしてから日除けマントで何かを包んで持ち出していた。


 問題はその後だ。ファティマ車の燃料タンクに狙いを定めて砲撃を加え、爆発炎上させたのだ。


 何のつもりかはわからないが、後で回収できないかと考えていたダドリーたちにとっては痛手であった。


「あれじゃあファティマも黒焦げだな。上等な棺桶で結構なことだ」


「そう、だな……」


 忌々しげに呟くジーンに対して、ダドリーはどこか複雑な表情で燃え上がる戦車を見つめていた。




 ファティマの四肢を切り落とし神経接続式戦車に乗せたばかりの頃は、その罪悪感を誤魔化すためもあってか、皆で甲斐甲斐かいがいしく世話をしていた。


 食事、入浴、排泄と常に付きっきりであった。戦車を動かす彼女をとにかく褒め称え、その運命を慰めた。本当に大袈裟なくらいに皆で気を使っていた。


 神経接続式に乗り換えた効果は絶大であった。あらゆる動きに無駄がなく、一呼吸早くなった。たかが一呼吸、だがそれは戦場で生死を分ける境目である。


 あれだけ苦戦した腕土竜うでもぐらでさえも、今やただのカモであった。下から攻撃するために地中から出てくる瞬間に後ろに下がれば、絶好の的になるだけである。


 肌で危険を感じると同時に、考えるよりも素早く動く。生身の格闘家ならばそれも可能だろう。戦車でやれというのは非常識に過ぎる。


 それが、できるのだ。感じることと動くことにタイムラグが無くなり、ほんの少しだけ戦場は縮まった。それだけで、世界はまったく別の景色を見せてくれた。


 連戦連勝、とまでは言わずともミュータント狩りの安定感はまるで違っていた。


 ようやくかつての栄光を取り戻せた。いや、以前にも増して強化されたのだ。人数が減ったおかげで分け前も増えた。色々あったがこれで良かったのだと皆が喜んでいた。ただ1人を除いて。


 四肢を失って以来、ファティマの表情から笑顔が消え失せた。口数も極端に少なくなり、いつも恨めしげな目をしている。


 そんな視線に気づく度に、皆がファティマの機嫌を取ろうとするが、彼女は何の反応も示さなかった。やがて、誰もが目を逸らすようになった。


 ダドリーだけは最後まで、なんとか彼女と和解しチーム全体の雰囲気を良くしようと努めていた。


 なにかと思うところはあるだろうが、今は全て上手くいっているのだから意地を張るのは止めて仲良くやっていこう。そんな調子の話を励まし、慰め、時には叱責しっせきしながら伝えてきた。


 無駄であった。帰ってきたものは憎悪か、冷笑のみであった。


 そんなやり取りもいつしか限界が訪れた。いつまでも自分の気持ちに応えず、嘲笑あざわらうファティマを殴り付けてしまった。そして、その場で謝罪できなかった。


 チームのリーダーが、こいつはそう扱っていいもの、と示してしまったようなものである。


 彼らは善良な人間であった。ファティマ1人に犠牲を強いてしまったことに引け目を感じていた。だからファティマに優しく接し、心を開いてもらおうとしたが何の成果も得られなかった。


 ダドリーの暴力を切っ掛けに積もり積もった罪悪感の行きどころは、ファティマは四肢を切り落とされて当然の奴だ、といういびつな発想に至った。


 こいつはまともな人間じゃない、だから仲間を傷つけたことにはならない。そんな欺瞞ぎまんを現実のものとするべく暴力を振るい、罵倒し続けた。


 その後の結果を、悲劇と呼ぶべきか当然の帰結と呼ぶべきか。




「ファティマ……」


 双眼鏡を通して燃え上がる戦車を見つめながら、ダドリーはぼそりと女の名を呟いた。


 どうしてこんなことになってしまったのか。ファティマの四肢を切り落としたのは、彼女を失いたくなかったからではなかったのか。


(ただ一言、俺を愛していると言ってくれれば。一度でも笑顔を向けてくれれば。俺だってもっと他に動きようがあったんだよ……)


 もう、ファティマの笑顔も思い出せなかった。


「行こう、ジーン。もうここに用はない」


「あいよ。だけどこれからどうするかねぇ」


「今回のことはいい教訓だった。また新しく戦車を手に入れるさ。こんどはもっと上手くやる」


「そいつはいい考えだが……」


 ジーンは眉を八の字に傾けて、指で輪を作って見せた。金がない、そういうことだろう。


「神経接続式戦車の戦闘データを見せればスポンサーなどいくらでも付く。戦車のコアは病院に行けば身体の欠損で働けなくなったハンターがいくらでもいるだろうから、適当に騙して残りも切り落としてやればいい。抵抗できない女に言うことを聞かせることなんて、簡単だろう?」


「ハハッ、違ぇねえ」


 先の展開をすらすらと語るダドリーに、ジーンは満足げに頷いた。やはりこいつは良い。リーダーとして担ぎ上げた甲斐があるというものだ。


 帰り支度を始めていると、突如としてバイクに取り付けられた通信機がけたたましく鳴り始めた。


 ダドリーとジーンは困惑して顔を見合わせる。この通信コードを知っているのは仲間たちしかいないはずだ。神経接続式に乗り換えてからコードも変えたのでエリックだって知らないことだ。


 マーヴィン、ルイーザ、そしてファティマは死んだ。冥界からの通信だとでもいうのか。


(どこのどいつだ、ふざけやがって……)


 受話器を乱暴に掴み取る。沈黙、だがかすかな息づかいが聞こえる。


「おい、誰だ貴様は!?」


「……人殺しの訓練を受けた者に、背中を向けるのはやめた方がいい」


 ぷつり、と通話が切れる。なんだったのかと考える間もなく、左膝ひだりひざが熱い衝撃に貫かれた。


「ぐ、ああぁッ!!」


 狙撃だ。ライフル弾に貫かれた膝は機能を失い、その場にがくりと崩れ落ちた。


 どこだ、周囲を素早く見渡すが敵の姿はどこにも見えない。そうしているうちに、今度は左肩を撃ち抜かれた。血肉と骨が飛び散り、左腕はピクリとも動かなくなった。


 このまま四肢を奪うつもりか。そこで、ようやく思い出した。あの辛気くさい声はディアスのものだ。


 これはファティマの意趣返いしゅがえしということか。ディアスがマントにくるんで持ち出したもの、あれがファティマだったのか。通信コードを知っていたのも納得だ。


 奴は、俺を売り飛ばした。


(あのクソアマぁ……!またしても、俺の心を裏切るつもりか!)


 残った手足で這いずってバイクの陰に隠れようとするが、今度は右膝が破裂した。己の身体が、機能がひとつひとつ失われてゆく。大量の血と共に、希望が流れ出す。


 四肢を切り落とすとなったとき、逃げ出そうとするファティマもこんな気分だったのだろうか。


(これがお前の復讐か、これで満足か、クソ!ッ)


 無慈悲な弾丸が、残った右腕を破壊せんと放たれた。それは命中しなかった。ダドリーの目の前で血と脳漿のうしょうが飛び散り、何かが崩れ落ちた。


(どうして……?)


 ジーンが飛び出て、ダドリーをかばったのだ。あるいはバイクの裏に引摺ひきずり込もうとして失敗したのかもしれない。単に逃げ出そうとして慌てて目の前に出てしまったのかもしれない。


……わからなかった。どうして、こんなことになったのか。


(お前、そんな奴じゃないだろう?俺を利用するためにくっついて来たんじゃないのか。俺を庇って死んでたら意味がないだろう……?)


 血まみれで崩れたジーンの表情からは何も読み取れない。どんな気持ちで逝ったのか、それすら伝わらなかった。


(本当に最期まで勝手な野郎だ……)


 その真意はともかく、ジーンは時間を稼いでくれた。この隙になんとかバイクの陰にでも入り込むべきだったかもしれない。


 だがダドリーは逃げなかった。懐から拳銃を抜いて、真っ直ぐに構えた。敵の姿は見えない。


 500メートル先で、戦車のハッチから上半身を出してライフルを構えるディアスの姿など、見えようはずもない。


 弾丸が飛来する方向、正面に奴がいる。それだけで充分だった。


「お前さえ、お前さえいなければ!!」


 出血で薄れゆく意識、暗転する視界のなか、憎悪を込めて撃った。咆哮と共に何度も撃ち続けた。乾いた破裂音が荒野に響き、虚しく砂に吸われた。


 ディアスはスコープを通してその様子を眺めていた。醜態しゅうたいであり、滑稽こっけいでもあるが、笑う気にはならなかった。荒野を駆け抜け、今燃え尽きようとする男の憎悪を確かに受け止めていた。


 次で最後だ。右腕を奪うつもりはなかった。あの男はどうしようもないクズだが、身を呈して守ろうとする仲間がいた。そこだけは認め、敬意を払ってもいい。


 カチリ、とダドリーの拳銃が無機質な音を立てる。弾切れだ。


 それと同時にディアスのライフルから弾丸が放たれ、ダドリーの喉を貫いた。


 誰かの名を呼んだ。


 それは宿敵の名か。

 愛し、おとしいれた女の名か。

 信じて付いてきてくれた仲間の名か。


 ごぽごぽと血の泡があふれるだけで、言葉にはならなかった。




 モニターに映し出されるダドリーの最期。それを見て嗚咽おえつを漏らすファティマを、義肢を付けたカーディルが強く抱いていた。


 四肢を切り落とされてからずっと心は乾いたままであった。今までの哀しみを全て吐き出すようにファティマは泣いて、泣き続けた。


 その様子から、カーディルは


(愛していたのね、あの男を……)


 そう思ったが、言葉にはしなかった。


 代わりに胸元へ引き寄せ、より強く抱き締めた。他にできることはなにもないし、やるべきでもないだろう。


 ディアスも何も言わず、手動操作に切り替えた戦車を運転し街へと向かった。


 エンジン音と、むせび泣く女の声。他に聞こえるものは何もない。




 気の早い肉食蠅が数匹、ダドリーたちの死骸にまとわりついていた。やがて方々から仲間が集まり、一晩もすれば骨すら残らぬだろう。


 ハンターの死に様とは、そういうものである。

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