第83話

 側面装甲を激しくぶつけ、火花を散らしながら並走する2両の戦車。


 衝突した弾みで距離が空くと、共に見計らったように至近距離から砲撃を加える。


 だがそれも致命的なダメージを与えるに至らず、空を切るか軽く装甲を削るのみで、またぐるりと回ってぶつかりあう。


 それはナイフを持った2人のワルツのように、踊りきったものだけが生き残る。


「クソ、なんなんだ畜生ちくしょうが!」


 決定打のないぶつかり合いに、苛立ちを吐き出すようにファティマは叫んだ。


 カーディルと同じように四肢は無く、太いチューブで戦車に繋がれている。


 全裸であった。身体中にあざ傷痕きずあとが残っていた。昨日今日でつけられたものではない、長きに渡り虐待ぎゃくたいされてきた証である。


 満杯になったトイレユニットから悪臭が漏れだし、空調機をフル稼働させてもよどんだ空気は変わらなかった。


(変わってしまった、何もかも、誰も彼もが……ッ!)


 全ての憎しみは今、目の前の同類に向けられていた。奴らさえいなければ、こうはならなかったかもしれない。平穏な日々は壊れなかったかもしれない。それが偽りの笑顔であったとしてもだまされていたかった。


 あの戦車が神経接続式であり、ディアスとカーディルという2人組のものであることはよく聞かされていた。あれが敵だと、あいつを越えろと何度もしつこく言われてきた。


 丸子製作所内でカーディルらしき女を見かけたこともある。生身と見紛みまがうほどの精巧せいこうな義肢をつけた黒髪の美女。腰まで伸びたつややかな髪を波のように揺らしながら幸せそうに笑う彼女を、ファティマは絶望ににごった目で眺めていたものである。


 驚いたことに、酒場で会ったときは感情が無いのかと思うほどに無表情であったディアスが、カーディルの隣を歩くときだげ微かな笑みを浮かべていた。


 自分は仲間たちから罵倒され部品として扱われているときに、何を能天気に笑っていやがるのか。


 いつか殺してやりたかった。首を絞めてやりたかった。そのための両手は無い。


 その機会がやってきたというのに


(なんで、当たらないのよ……ッ!?)


 戦車は思い通りに動くのに、なにもかもが思い通りにならない。がつん、とまた大きな衝撃で車内が揺れる。


(さっきから何のつもりだクソ売女ビッチッ!)


 苛立ちが募り、少しずつ集中力が散漫さんまんになった。動きのひとつひとつが大きく雑になり始めた。




「おのれちょこまかと!ゴキブリかてめぇは!」


 カーディルもまた苛立ち口汚く罵った。神経接続式戦車を敵に回せばここまで厄介なものかと、改めて痛感していた。


 高性能のセンサーを張り巡らせ、戦車の全身これ全て目である。さすがに砲弾を見てから避けることは難しいが、向けられた砲塔の射線上から位置を逸らすことなど造作もないことだ。


「問題ない、このままプレッシャーを与え続けてくれ!」


 今度はディアスがカーディルをはげました。


「あいつは射撃も1人でやっている、疲労の蓄積ちくせきも段違いだ!補給のあてもない、目的もない。そんな状況だ、いつか焦りでミスをやらかすさ!」


「わぁ、最高に性格の悪い嫌がらせだわ、愛してる」


 よし、と気合いを入れ直してさらに激しく車体をぶつけるカーディルであった。


 その度に走る振動、衝撃など意に介さず、ディアスはじっとスコープを睨み付けている。今度こそ最高の一撃を、そのタイミングを待っていた。




 それは集中力の欠如によるものか、経験の差が出たか。2両の戦車による急発進、急旋回を受けて乾いた大地がぐずぐずに崩れていたことにファティマは気付かなかった。


(しまった!)


 ずるり、と滑り車体が流れる。


 この機を待っていた。カーディルは素早く旋回し、ファティマ車の側面をとった。2つの戦車が綺麗なT字を描く。


「くたばりやがれぇ!」


 突き出た主砲が邪魔にならぬよう、砲塔を傾けて無防備な脇に突進した。


 今までとは違う、内部にまで響く衝撃。ファティマは歯を食い縛り耐えようとするが、左肩に取り付けられたチューブが振動で外れてしまった。


 外の景色を映すゴーグル内にアラートが響き、異常を知らせるウインドウが次々と開く。


(クソ、これじゃあ砲塔が動かない!どうして、どうしてこんなことに……)


 チューブをつけ直してくれる人員はいない。肩から外れたそれは、役目を忘れて手持ちぶさたにぶらぶらと揺れている。


 逃げるしかない。だが、何処へ?その判断は遅すぎた。


 突撃を敢行かんこうした後、少しだけ距離をとって砲塔をまっすぐに直し狙いを定める21号。


 発射装置を握りしめたディアスの狙いは戦車の前方、ちょうど砲手の席だ。己の影を撃ち貫くように、放つ。


 立て続けに2種の轟音が鳴り響く。主砲が放たれる音と、ファティマ車に突き刺さる音だ。


 爆発などはしない。だが、電子機器に多大な影響を与えた。


 ファティマのゴーグル内でさらに狂ったように赤字の警告ウインドウが開かれる。終末を告げる黙示録のように。


 ビー、ビーと左右から警告音が響く。どれもが彼女を責めるばかりで、救いの声は無い。


「うるさい……うるさいッ!」


 私が悪いのか、私ばかりが悪いのか。こんな姿にしておきながらさげすむのか、出来損ないのパーツと呼ぶのか。殴りながら代わる代わる犯して、どうしてお前が被害者ヅラしているのか。


 静寂は突如として訪れた。プツリ、と一方的に無慈悲な音を残し、まぶたの裏に光の残滓ざんしを落とし。そして、何も無くなった。


「ああああああッ!」


 またしても、光なき絶望の底に突き落とされた。彼女の悲痛な叫びに応えるものは誰もいない。


 頬を流れる熱さだけが、かろうじて彼女に己が人間であるという意識を保たせた。




 どれだけの時間が経っただろう。1時間か、半日か、あるいは10分程度しか経っていないのか。頭上で金属がきしむ音がして、次いで誰かが入り込む気配がした。


(そういえば、マーヴィンとルイーザが出ていってから、誰も内側からハッチを締めていないんだった……)


 他人事のようにぼんやりと考えていると、ゴーグルがそっと外された。


 ハッチの隙間から入る微かな光がやけに眩しく感じられ、思わず目を閉じた。ゆっくり、恐る恐る瞼を開く。そこにゴーグルを持って黙って座り込む男がいた。


「ディアス……?」


 こんな奴に泣き顔を見られたくない、思わず目を逸らすが、よくよく考えればいまさらという話である。全裸で汗くさくて痣だらけでクソまみれだ。


 薄明かりに浮かぶ彼の顔は、なぜだか優しく、哀しげに見えた。


「……私を、わらいにきたのか?」


「そこまで暇じゃない」


 ディアスは懐から拳銃を取り出した。しかしファティマを撃つでもなく、突きつけるわけでもなく、ただ見せているだけだ。


「君はまだ、人を信じるつもりはあるか?」


「……意味がわからない」


「この戦いの前に、エリックという男が訪ねてきた。どうかファティマを助けて欲しいと、あの色男が顔じゅう砂まみれにして土下座までしてな」


 エリック、その名がとても懐かしいもののように感じられた。ダドリーの下から離れ、一緒に行かないかと誘われたのはいつのことだったか。


 まだ自分を気にかけてくれる人がいる。それがとても不思議な、そして現実感のないことであった。


 だがエリックのことをそのまま信じていいものだろうか、仲間たちのように自分を利用しようとするだけではないか。そもそもディアスは何のつもりでこんな話を持ち掛けているのか……?


 様々な思いがファティマの中でぐるぐると回りだす。わからない、気分が悪い。もう何も考えたくはなかった。


「俺はエリックという男のことをよく知らない。だから君が選べ。あの男を信じるか、ここで死ぬかだ」


 ……なんと残酷な男だろう。この期に及んで、自分で選択しろという。生きるとはそういうことだと、彼の目が雄弁ゆうべんに語っていた。


「私、は……」


 淀んだ空気のなかで、ファティマはかすれた声で答えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る