第80話

「だから、なんなんだこれは!?」


「おぅ、なかなかいいだろう?」


 ディアスがカーディルをともなって格納庫へ入ると、奥から何やら言い争うような声が聞こえる。


 争うというよりも、一人がまくし立て、もう一人が適当にあしらっているといったところか。


 近づいてみるとそこには少年といっていいほど若い男と、整備班長のベンジャミンがいた。


 新品の戦車を背にしており、それについて何やら文句をつけているらしい。


 ディアスは、若い男のほうに見覚えがあったような気がしてなんとか思い出そうとするが、誰なのかどこで会ったのか、全く名前が出てこなかった。


「ちょっともう、何を騒いでいるのよ。ここは格納庫であって動物園じゃないでしょう」


 カーディルが呆れながらいうと


「お、誰かと思えばバナナ大好き女か」


「流れるようなセクハラ、素敵だわ。ジョークのセンスも猿並みね」


 と、いってカーディルとベンジャミンは笑いあった。そんな2人の様子を少し離れてディアスが暖かく見守っていた。


 丸子製作所のなか限定とはいえ、ディアス以外の人間と普通に話し笑いあうことができる。手足を失った当時からすれば素晴らしい進歩であり、回復だ。


(これを寂しいと思ってはいけないのだろうな……)


 苦笑を漏らすディアスとはまた違った意味で、カーディルを見つめる視線があった。


 ベンジャミンに食って掛かっていた少年、ディアスがいまいち思い出せなかった男。ロベルト救出の際、機動要塞に同乗していたハンターでありロベルトの息子、ノーマンである。


(この世に、姉さん以外にこんな素敵なひとがいるなんて……)


 つい先程まで激昂げっこうしていたことなど忘れたかのように、ぽかんと口を半開きにしてその場で固まっていた。


「それで、さっきは何で騒いでいたのよ?」


 一流のハンターとして名を馳せ、ロベルト商会の後継者となるのも時間の問題。綺麗なお嫁さんと優雅な朝食……そこまで進んだ妄想は急に話を振られたことでさえぎられた。


 大きな窓から射し込む朝日に照らされた優しい笑顔が、現実世界では道ばたの犬のクソでも見るような目をしていた。


 現実に引き戻されたことで、一緒に怒りまで甦ってきた。


「聞いてくれよ、あれだよあれ!」


 ノーマンが指差した先は、すぐ後ろにある新品の戦車であった。ロベルト商会からの注文のうちの1両であり、組み立ても試運転も終わり後は納品を待つばかりという品だ。


 見る限り、荒野での活躍を約束しているような力強いフォルムだ。


 問題はそういう所ではないらしい。少年の指先を目で追うと、砲塔の側面になにやらイラストが描いてある。斜め45度に傾けた酒瓶、その注ぎ口からしずくが垂れ落ちそうになっている絵だ。


「戦車にシンボルマークを入れるのは構わねぇさ。だが、何で酒のボトルなんだよ!酔っ払いが乗っていますとでも言いたいのか!?」


 ごもっともである。


 騒ぎを聞いたときは、わがままな子供が癇癪かんしゃくを起こしているのかと思ったが、これはむしろベンジャミンが悪い。


 ディアスは知ってる。カーディルも話だけは聞いている。ベンジャミンに至っては主犯である。


 そう、これは整備工場で酒盛りをやって怒られたとき、その場にあった戦車だ。


 ノーマンは参加すらしていないのだ。ベンジャミンはシャレのつもりでやったのだろうが、これから命を預けて戦う相棒に思い入れの欠片もないふざけたシンボルを入れられては怒るのも無理はない。


 これは消した方がいいんじゃないか、ディアスがそう提案しようとしたとき、先にカーディルがニイッと笑って進み出た。


「なるほど、これは良いシンボルね」


「どこがぁ!?」


 恋心を抱きかけていた相手にまで賛同を得られず、軽くショックを受けていたノーマンであった。


「世間に出回っている酒なんて、ほとんどがまがい物よね。本物はほんの一握り。ハンターもそう。ただ武器を振り回していきがっているチンピラばかりで、真にハンターと呼べる者はどれだけいるか……」


「うん、まったくだ。嘆かわしいことだな……」


 力強く頷くノーマン。彼はすでに一流のカテゴリーに入っているらしい。


『お前、何かしたか?』


 そう聞きたくなる気持ちをぐっとこらえてカーディルは話を続けた。


「この酒瓶はロベルトさんから頂いたものがモチーフ、つまりは本物よね。そして……」


「そして……?」


 この先にどんな言葉が続くのか、それはわかっている。


(わかっているからこそ、早く聞きたい。その薄く紅をひいた美しい唇から、早く!早く俺をたたえてくれ!)


 彼は半ば恍惚こうこつとしていた。肩を震わせて笑いを堪えるベンジャミンの姿は視界に入っていない。


「この戦車に乗っている者こそ、本物のハンターであるということよ!」


「おうッ!」


 素晴らしい解釈だ。特に、本物というフレーズは気に入った。


 事実かかたりかを問わず、ロベルトの息子を名乗るものはそれこそ街に数十人はいる。ひょっとすると百までいくかもしれない。


 そんな中で自分こそが本物だと名乗ることの、なんと小気味良いことだろう。快楽すら覚える。


(ああ、それにしてもこのひとのなんと聡明そうめいなことか!俺が一流のハンターになったら……そう、結婚しよう!)


 すぐ隣に、夜の荒野に躍り出て凶暴化したミュータント200体強を葬った一流のハンターがいるのだが、それも彼の視界には入っていないらしい。


「じゃあ、そっちはそれでいいとして。班長、燃料弾薬の補給は済んでいるかい」


「おうよ、いつでも出られるぜ!」


 感動に震え、妄想にふけるノーマンを放っておいて、ディアスたちは愛機に乗り込もうとした。


「……なんだ、これは?」


 彼らの戦車にも何かが描いてある。薄暗い格納庫のなかで顔を近づけてよく見ると、それは2枚のトランプであった。脇に数字も書いてある。


 折り重なったカードはハートのクイーンと、スペードのエース。書かれた数字は21。


「これは?」


「ブラックジャック、2枚揃って最強の手札ってわけだ」


「……こうしたものを入れるとは、聞いていないぞ」


「カーディルには事前に話したぜ」


 そうなのか、と顔を向けると、カーディルは首をすくめて笑ってみせた。


「だってあなた、事前に話せばいらないって言うだろうし。事後承諾なら、ああそうか、で済ませるでしょう?」


 そうもしれない。一切の反論はせず、ディアスは2枚のカードの絵をじっと見つめた。


 ご丁寧にカードの中の女王も黒髪だ。顔はかなりデフォルメされているが、カーディルをモデルにしたものだろう。悪くない。


「どうでもいいなんてことはないさ、気に入ったよ。俺がエースと呼ばれる程の男かはともかくとして」


「前から思ってはいたが、お前のその自己評価の低さはなんなんだ。この街じゃトップクラスのハンターなんだから、それに相応しい振る舞いってもんがあるだろうよ」


 と、ベンジャミンが呆れながらいうと


「いつだって必死さ。今日はうまくいった、だが明日はどうだろう。そんな風にいつも怯えながら戦っている。こんな余裕のない男が最強を名乗るなどと……」


 ディアスは少し寂しげに答えたものである。


 確かに、ベンジャミンから見てディアスという男は、凡人とは違う英雄のオーラ、などといったものをまるで感じない。


 石ころの中にダイヤが混じっていれば一目でわかるだろうが、この男が人混みにいれば見つけ出せる自信はない。


 失敗に怯えながら戦っているという言葉に嘘はないだろう。少なくとも、本人はそう思っている。


(それにしても、実績ってもんがあるんだから。もうちょっとくらい自信を持ってもいいんじゃねえかなぁ……?)


 なんとなく場が湿ったところで、突如カーディルが手をパンと叩いてみせた。注目が集まる。カーディルは何かを思い付いたような顔をしていた。


「それじゃあさ、普段は1だけど、私と一緒にいれば11の力を出せる。そういう解釈でどうよ?」


 少し自惚れが過ぎたか、自分で言い出しておきながら照れ臭そうにするカーディルであった。


 そんな彼女に対してディアスは本気で感心したようで、満足そうに頷いた。


「ああ、いいな、その解釈は。実にいい」


 正直なところ、今回の任務は気が重い。仲間割れによって暴走した神経接続式戦車というのは、ある意味でディアスとカーディルが一歩道を間違えた姿のようにも思えるのだ。


 だからこそ自分たちが討たねばならない。だがやりたくもない。


 そんな葛藤かっとうのなか、己のあるべき姿をハッキリと示されたようでディアスは迷いが晴れるような想いであった。


(カーディルと共に戦い、走り抜ける。そうだな、俺のやるべきことはそれだけだ……)


 今回だけではない。これからも道に迷ったり不安になる度にこの絵を見れば己を取り戻すことができるだろう。本当に気に入った。


「班長」


「おう、なんでぇ」


「ありがとう」


「……ん?」


 こいつは今、何といった?それなりに長い付き合いで、ディアスが他人から言われるほど冷血漢でも無関心でもないことは知っているが、それでも絵に関心を持つなどというのはイメージからかけ離れていた。


 そんな奴が、絵が気に入ったと礼を言ったのだ。


 戸惑うベンジャミンを尻目に、ディアスは戦いにおもむくというよりはお姫様をダンスに誘うような仕草で優しくカーディルの手を取り、戦車の中へ導いた。


 物資を確認し、カーディルの義肢を外して戦車に接続する。通信機を立ち上げて準備完了、実に手慣れた動きであった。


「班長、シャッターを開けてくれ」


「あ、お、おう」


 目が覚めたように仕事に取りかかるベンジャミン。


(ようやくあいつも俺のセンスが理解できるようになったってことかな……)


 笑みを浮かべながらシャッターを開く。大きく手を振っていつでも行けるぞと伝えた。


 自分が整備した戦車が戦果をあげることこそ、整備屋にとっての最大の名誉だ。そうした意味でディアスたちはベンジャミンたちの期待に応え続けてきた。


 エンジンの咆哮が、今日は一段と雄々しく聞こえる。


(さぁ、そのエムブレムを掲げて獲物を狩ってこい!俺たちが整備した、お前らこそが最強だ!)


「21号、出るぞ!」


(……え?)


 高速回転する履帯、唸りをあげて飛び出す戦車。その後ろ姿をベンジャミンは口を開けて呆けたように見送っていた。


「いや、21号って……戦車の名前か?」


 あれほどお洒落なシンボルを付けたのだ。もっとこう、ブラックジャック号とか、ジャックポット号とか、そういうのはなかったものか……。


 やはり、ディアスはディアスであった。


 文句を言おうにも、彼らがここにいた痕跡こんせきは風に舞う砂ぼこりしか残っていない。




「真実の一滴……トゥルー・ドロップとかはどうかな!?」


 ずっと名前を考え続けていたノーマンが叫ぶが、格納庫にはすでに誰もいなかった。


「……あれ?」

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