第77話

「ごめん、やらかしたわ……」


 血の気のない青白い顔をして無理に起き上がろうとするファティマを、ダドリーは手で制し、そのままでいいと言って寝かせた。


 ファティマの頭の脇に男女2人が控えている。これで生き残りは5人だ。


 つい2か月ほど前まで己の栄光、その輝かしい道を信じて疑わなかった。それが今や見るも無残な、文字通りの死屍累々ししるいるいといった有様である。それも少なからず自分の判断によって。


 すねの半ばから千切れ、凍結処理によって白く凍り付いた輪切りの傷口。その周囲にこびりついた血の赤との対比が痛々しい。


 肺腑はいふをわしづかみにされるような不安と息苦しさに、ダドリーはその場で泣き叫びたくなった。


「……生きていてくれて、よかった」


 声の震えを抑えながら、それだけ言うのが精いっぱいであった。


 とてもファティマの顔を見ていられない。顔を上げると、仲間2人と視線が合った。彼らは気まずそうに眼を逸らす。


(なんだ……?)


 なにやら奇妙な態度だ。それが自分に対する失望から来るのかと思えば、どうもそうではないらしい。


 首をひねっていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。そこにはいつもと変わらぬ表情のジーンがいた。


「とにかくこんな辛気しんきくせぇ所からさっさとおさらばしようぜ、撤退準備だ。俺とダドリーで戦車から使えそうなものを持ってくるんで、二人はファティマを見ていてくれ」


 と、言った後で何かを思い出したように


「……ってことでいいかね?」


 ダドリーに確認を取った。それはダドリーがリーダーであると印象付けるためか、あるいは


(どうしてお前がでしゃばっているんだ……?)


 と、いう反感を避けるためか。


 いずれにせよ誰もが他人の顔色をうかがいながら動けないという状況を打破して、話を前に進めてくれるならばありがたく乗ることにした。


「よし、そうしよう」


 頷いて、その場から逃げるように早足で戦車の埋没地点へ向かった。


 途中、ジーンがさらに早足で追いついて意味ありげな顔でダドリーの顔を覗き込む。


 あの2人と違ってこいつが今、言いたいことはよくわかった。


 何か話がある、そういうことだろう。




 クーラーが切れ、荒野に放置された鋼鉄の塊はまさに熱の暴力兵器である。砂の中から砲塔部分だけを出した戦車、開け放しのハッチを覗き込もうと顔を近づけた瞬間、ダドリーは思わず顔をしかめて身を退いた。暑い、熱すぎる。


 出入り口が開いたままなので砂も随分と入り込んでいるようだ。


 太陽に熱せられた装甲は手袋越しでも相当な熱さを感じさせる。


 帰るために取り出さねばならないようなものはせいぜい水と予備の弾丸くらいの

ものだろう。ここまでしてやらねばならないものか、ダドリーが振り返るとジーンが呆れたようにいった。


「おい何やってんだ、そんなことをしに来たわけじゃねえだろう」


「う、うむ……」


「あいつらが何を考えているのかわからない、あんたがそういうツラをしていたから連れ出したのさ。だからこそあんたも乗ってくれたんだろう?」


「それはそうだが……」


 気になった。だが同時に聞きたくもなかった。絶対にろくなものではない。


 そして、この男に頼らざるを得ない状況というものが増えていくことに漠然ばくぜんとした不安も感じていた。


「英雄の気持ちは小物にはわからない、とはよくいったもんだが、小物の気持ちだって英雄サマには理解できないんだろうなぁ」


 薄笑いを浮かべ、じっとりとした暗い視線を投げかけるジーン。卑屈ひくつな優越感とでも呼ぶべきか、相反する感情のこもった、この男らしいいびつな眼だ。


(こいつは心のどこかで俺を軽蔑けいべつしている。俺がこいつに対してそうであるように……)


 ハンターは利害でのみ繋がるべきだとジーンはいった。確かにある意味でそれは正しいだろう。だがそこに最低限の礼儀や尊敬があってしかるべきではないかというのがダドリーの考えであった。


 ……今にして疑問に思う。それを他人に押し付けるばかりで自分は本当に仲間を信頼し、尊敬していたのだろうかと。


「それで、あいつらの考えっていうのは何だ」


 ダドリーは話を逸らすようにいった。


「現状、ファティマをバイクの荷台に乗せるからモグラ野郎の首、つまりは賞金を諦めなけりゃあならないってわけだが……」


「なんだ、早くいえ」


 どういうわけか、さきほどからジーンはこの話題になるとひどく言いづらそうにする。


「ああ、もう!つまりだな!あんたにハンターとして厳しい判断を下して欲しいわけだよあいつらは!」


「……わからん、どういうことだ」


「ファティマを見捨てて生首を持って行く。そして分け前を寄越せと、そういうことさ」


「なにぃ…ッ!?」


 憤怒ふんぬが一瞬にして全身に巡りわたる。ずっと一緒に戦ってきた仲間に対して、金が欲しいから見捨ててくれなどとなんたる恥知らずな物言いか。


 そんなダドリーを見るジーンの眼はひどく冷ややかだ。そんなにおかしいことか、とでも言いたげである。


「足手まといは置いていく、ってのは判断のひとつとして間違っちゃいないだろ」


「どうしようもないくらいの重傷ならそうするさ!あいつは片足をやられただけだぞ?街に戻って義足でも付ければなんら問題はない!」


「義肢を買うにも金が要る。俺たちが立て直すためにも金が要る。こいつは冗談抜きで死活問題だぜ」


「金、金って言うんじゃねぇよ!仲間の命がかかっている時に!」


「金が無いっていうのはな、人が死ぬにも殺されるにも十分な理由なんだぜ……」


 ジーンがあまりにも寂しげにいうもので、ダドリーは毒気を抜かれて何も言えず、少しだけ後ろに下がった、


 彼らは順風満帆にここまでこられたわけではない。数多くの失敗と挫折、あるいは屈辱を味わってやってきたのだ。


 人として恥知らずな真似をしたこともある。中には思い出話にも決して口に出せぬこともある。


 金で仲間の命を売り買いすることを唾棄だきしながら、金は命の目盛りであるということも痛いほどに理解していた。


「それにしても……ならば自分の口でハッキリそう言えばいいだろう、あいつを見捨てるべきだと。おかしな目でじっと見られたって困る」


「言えないさぁ。仲間を捨てて金を取ろうだなんて酷いこと」


「おい……」


「いやいや、マジな話そういうことだ。リーダーが決断したので仕方なく従いました、本当は仲間を助けたかった、そういう形にしたいんだよあいつらは。このおよんであいつらはまだ善人でいたいのさ」


「誰が言い出そうが、誰が決めようが、最終的に見捨てることに変わりはないだろう?」


「あいつらの中では違うのさ」


 ジーンがおどけて肩をすくめてみせる。


 ダドリーは自分の足元の砂にずぶずぶと沈んでいくような錯覚にとらわれた。


 生死を共にしようと誓い、自分が今まで信じてきた『仲間』とは何だったのか。


 眩暈めまいがしてきた、己の価値観どころか存在意義そのものが根元からぽっきり折れてしまいそうだ。


「ジーン、お前はどうなんだ……?お前も、ファティマを見捨てるべきだと思っているのか?」


 乾いて張り付く喉で、なんとか言葉を絞り出した。


 この男に必要以上に頼るべきではない、それはわかっている。それでも自分の周りにはもうこの男しか残っていない。砂に飲み込まれているというイメージが頭から離れない。


「俺かい?助けるべきだと思うね」


「それは仲間が大事だからか?」


「まさかぁ……」


 助ける、といったときは少し意外なような気もしたが、やはり何か理由があってのことだろう。


 初めから私は小悪党ですと名乗る男と、裏で何をやっても善人ヅラしたがる卑怯者、どちらがマシなのだろうかと不毛なことを考えながら、ダドリーはジーンの言葉を促した。


「俺はまだこのチームでやっていくつもりだが、あいつらはどうだかな。今回の分け前をもらったら即座に離脱しそうな気がするんだよなぁ。仲間を捨てて得た金で裏切者どもに退職金をくれてやってチームは空中分解。あいつらは街の反対側にでも引っ越して、被害者ヅラしながら全部あんたの責任せいにして悪口を言いながら暮らすのさ。めでたしめでたし。ケッ、全然めでたくもねぇや」


 ダドリーはさっき見た2人の顔を思い起こした。離脱するかどうかまではわからないが今思えば確かに、なんとなく腰が定まっていないようにも思える。


 ジーンの話を馬鹿馬鹿しい、と一蹴いっしゅうすることはできなかった。


「だから今回は無理にでもファティマは助ける。分け前については次回がっつり稼いだ時に、ということで話を納めるしかないな。金はいらないから辞めてやるとか言い出すかもしれないがまぁ、その時はその時だ。ファティマが残って3人、再出発するにしては身軽でいいんじゃないか」


「そう、だな……」


 完全崩壊は免れるという程度の話だが、先行きがまったく見えないよりはずっとマシな気がした。ダドリーの眩暈も治まって、ようやく視界が安定する。


 だが、すぐに次の不安が襲ってきた。ジーンはファティマを助ければ彼女がそのまま居残ることを前提としているが、果たしてそうだろうか。


 今回の負け戦で自分に失望したかもしれない。ハンター家業そのものに嫌気がさして引退してしまうかもしれない。それらは充分にあり得ることだ。


 エリックは自分を見捨てた。仲間が4人死んだ。戦車と装甲ジープを失い、残った2人が離脱の気配を漂わせている。これでファティマまで自分の下を去っていくようなことになれば……。


(嫌だ、嫌だ!もう何も失いたくはない!)


 再び肺腑をえぐる息苦しさが、今度は刺すような痛みをともなって襲ってきた。ダドリーの顔面は蒼白となり、脂汗がにじみ出す。


 顔を背けていたためか、ジーンはダドリーの異変に気付かずのんびりとした口調で話を続けていた。


「もちろんあいつらが残って5人で再出発というのが一番望ましいんだがな。俺たちはこれからもやっていけるぞっていう、目に見える魅力とか保証があればいいんだが。どうもなぁ……」


 ジーンの何気ない一言が、ダドリーの心に棘のように引っかかった。


 何か、突破口が見えたような気がする。戦車だけでなく、自分たちもが穴に落ちてもがくようなこの状況から抜け出す、起死回生の一手。


 だが穴から引き上げるために差し出されたそれは異形の手。悪魔と手を結ぶことに等しい。


 あまりにも荒唐無稽こうとうむけいだ。どこかで破たんして欲しいと願いつつシミュレートしていくと、頭の中でひとつひとつ、ジグソーパズルのピースのように上手くかみ合わさり形作られてゆく。


「首を換金して、戦車か装甲車を持ったハンターを雇って戦車をサルベージして自走できる程度に修理。それを下取りにだすか改造するかして……」


 口もとを覆い隠すように手を当てて、ぶつぶつと呟きだすダドリーの顔を、ジーンは不安げに見ていた。


(こいつ、とうとう壊れちまったか……?)


 そんな考えを知ってか知らずか、ダドリーの視界にジーンの姿は映っていない。いや、それどころか他の何者も入ってはいなかった。


 立ち尽くし、ただひたすら思考のパズルを組み立てているのみである。


 ファティマを街に連れて帰る。ミュータントの首を持っていく。新たな戦力を得る。そして本来の目的でもあった、ディアスたちを越えて討伐数トップの座を維持すること……。


 それら全てを同時に叶える筋道が見えた。光明と呼ぶにはあまりにも血生臭い、呪われた道ではあるが。


(今さら、だな。後悔などできるはずもない……)


「ジーン、戦車から取ってきて欲しい物がある」


「あいよ、水かな?多分お湯になっているだろうけど」


「いや、チェーンソーを……」


 聞いたとき、ジーンは意外そうな顔をした。失望の色すら見える。


 ファティマを見捨てる場合のデメリットは話したはずだが、結局はそちらを選んだのか、と。


 口元から手を離した、ダドリーの表情には今まで見たこともないような暗い笑みが浮かんでいた。


 深淵しんえんを覗くがごときその眼で見られると、へらへらと無責任に笑っていたジーンも背に悪寒が走る思いであった。


「いい考えがあるんだ。皆が幸せになれるアイデアが……」


 これからの予定を聞かされ、その内容にジーンは戦慄せんりつした。


 ダドリーは何かに取りつかれたような、あるいは何かが壊れたような顔をしている。恐らく、協力を断れば即座に撃たれるだろうという確信があった。


 軽蔑はしなかった。この男は必ず立ち上がると信じた通りだ。


 予想以上に過激ではあったが、自分ごときの考えを軽々と上回るくらいでいてくれなければ困るのだ。


 これでいい。自分に言い聞かせる意味も込めてジーンは頷いた。


「いいぞ、それでこそ我らが頭領だ」


 素直な賞賛と賛同に、ダドリーはにこりとも笑わず、何の反応も見せなかった。ジーンもそれを不満とは思わなかった。


 これから起こる惨劇さんげきを全て理解したうえで、彼はダドリーを認めた。

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