第75話

 それは不幸な事故だったのか、あるいは当然の帰結きけつであったのか。


 目撃情報を頼りにして具体的にどのミュータントを狩ろうと決めていたわけではない。適当に中型を探し求めて遠征しての遭遇戦そうぐうせんであった。


 しかもそれは新型で、ダドリーたちはミュータントに対して有効な武器を所持していなかった。


 彼らを準備不足と非難することはできないだろう。相手は地中に潜るモグラ型のミュータントであり、地下にダメージを与える武器を持ち歩く者などそうそういるものではない。


 熊のような大きさで、分厚い毛皮と筋肉の塊。屈強な両腕の他に、身体中から人間の腕のようなものが生えていた。


 それは成人男性のものであったり、乳幼児の腕であったりと見た目も大きさも統一性がない。それが巨大モグラの肩、胸、腹や背中などあらゆる部分から乱雑に生えて蠢いているのだ。


 無作為むさくいに開き、握りと繰り返す人の手は助けを求めているようであり、地獄へ誘う亡者のようでもあった。


 ダドリーたちの戦力は戦車、装甲ジープ、戦闘用バイクが各1両。そして各自がライフルやマシンガンなどの得物えものを持っていた。


 柔らかな砂地へ自在に出入りし攻撃を仕掛ける、腕土竜うでもぐらとでも呼ぶべき醜悪なミュータントに対して有効な攻撃手段はない。


 突如として現れたミュータントと相性が悪いということはよくあることだ。こうしたときは一時撤退し情報を集め、有効な武器を用意するかしばらくその地方に近づかないかを選ぶのがセオリーである。


 だが、彼らは撤退を選ばなかった。


 これはダドリーが討伐数を稼ぐために欲張っただけではない。腕土竜の工作により戦車の履帯りたいが破壊され、大穴に落ちて身動きがとれなくなったためだ。


 戦車よりも命、それは当然のことではあるが簡単に割りきれるものでもない。戦車の有無によってミュータント狩りの効率も安全性も段違いだ。


 戦車を捨てて逃げたとして、それからどうする。また生身をさらしてこつこつと金を貯めなければならないのか。そうした思いが皆の足をその場に留まらせた。


 ダドリー、ファティマを含めた戦車に乗っていた6人が得物を掴んで飛び出した。


 戦車の主砲のような強力な武器はなくとも、これだけの人数で一斉に鉛弾なまりだまを浴びせれば勝てないはずはない。そう判断した。


 それは未来をつなぐための勇気であったか、あるいは未練に足をからられたがゆえ無謀むぼうであったのか。


 結論からいえば勝った。だが多大な犠牲を出したうえで、である。


 連日の出撃による疲労で集中力を欠いた。雰囲気が悪くなったことでチームワークにも齟齬そごをきたした。何も言わずとも居て欲しいところに居てくれた、連携のかなめである友はもういない。


 神出鬼没しんしゅつきぼつの腕土竜を前にして、攻撃の通らぬまま1人、また1人と倒れていった。


 鋭い爪で腹を抉られ、腸を撒き散らしながら悲鳴をあげる男に、仲間たちは一瞥いちべつをくれただけであった。明らかに助からない者に構っている余裕などない。


 戦いを挑んだダドリーを呪い、1人でうまく逃げ出したエリックを呪い、そして生活のために残るしかなかった己を呪い、砂まみれの臓物を抱えて男は死んだ。


「くたばりやがれぇ!」


 もはや退路はない。悲壮な覚悟で腕土竜に正面から立ち向かいマシンガンを乱射する者がいた。


 腕土竜は撃たれながら突進を仕掛けた。身体中から生えた人の腕が潰れ、もがれながらも怯まず巨大な鈎爪かぎづめを一閃、すれ違いざまに首から上を腐ったトマトのように潰した。


 残った体は死んだことに気づいていないかのようにマシンガンを撃ち続け、その反動で仰向けに倒れてようやく止まった。


 腕土竜が次の獲物を求めて振り向いた瞬間、その巨大な右腕の肉が弾けた。


 射線上しゃせんじょうに居座る装甲ジープ、中央に取り付けられた大口径ライフルの一撃であった。敵が標的を切り替えるその瞬間をみごとに撃ち抜いたのだ。


 ダドリーの脳裏のうりに、あいつらは仲間をおとりに使ったのかという疑念が沸いたが、すぐに打ち消した。


(むしろよくやったと言うべきか……ッ)


 死んだ仲間はただの死体だ。感傷に浸る暇はなく、利用できるものは何でも利用するべきだろう。


(仲間の役に立ててあいつだって喜んでいるはずだ、非難されるいわれはない……)


 ちらと首なし死体を見る。もうその名を思い出すこともないだろう。


 ミュータントの腕は半円形に大きく抉れ、かろうじて繋がっているというふうにぶら下がっている。出血も激しく、右腕はもう使い物にならないだろう。


 これで奴の動きは鈍る。出血多量でそのうち死ぬだろう。それまで無理をせず遠巻きに牽制けんせいだけしていればいい。


 生還の希望、勝利への活路はあまりにもまばゆい。


 手負いの獣こそ恐るべし。狩人の基本ではあるが誰が想像出来るだろうか。悪臭を放つどす黒い血を砂地に吸わせ、死神に足を捕まれたかのような緩慢かんまんな動きの獣にこれほどの力が残っていようとは。


 距離をとり追撃を食らわせようと構えた装甲ジープに対し、腕土竜は跳躍ちょうやくした。


 熊のごとき巨体が高さ5メートルほども飛び上がったのだ。腕がもがれそうなほどの手負いで、足場の悪い砂地で。


 装甲ジープに取り付けられた大口径ライフルは完全に固定されており仰角ぎょうかくの調整などはできない。例え調整できるタイプであったとしても、ほぼ真上に撃つことなど想定はしないだろう。


 乗組員2人は恐慌に陥った。太陽を背にして落ちてくる腕土竜に対して拳銃を抜いて応戦した。パン、パンと乾いた大地に銃声が虚しくこだまする。


 落下する隕石にそんなものが通用するだろうか。それはまさに彗星すいせい、天より降りかかる厄災やくさいであった。


 腕土竜は狙いたがわず装甲ジープに衝突した。乗組員は一瞬で肉片と化して四散し、一番遠くへ飛んだものなど、足首が数百メートルも先に落ちていた。


 合計数百キロにもなる砂を巻き上げ、轟音をあげるほどの衝撃で装甲ジープはひしゃげて鉄屑と化して砂に埋もれた。


 この戦いの意味は全て失われた。腕土竜を倒し安全を確保してから戦車のエンジンをかけ、装甲ジープとバイクにワイヤーを繋げて穴から引き上げようというのが目的であった。ジープが大破したとなると、戦車も棄てて行かざるを得ない。


 無駄死に。徒労。降りかかる砂粒のなか、ダドリーは途方にくれて立ち尽くした。気を抜けばその場で倒れてしまいそうだった。


「あぁ……ああ……」


 意味を持たぬ声が唇から漏れ出る。友人を失い、仲間を犠牲にし、そして何も残らなかった。ランキング1位という栄光さえ保てば富も名誉も向こうから寄ってくると信じていた。


 今は苦しくとも、いつか皆の働きに報い笑いあえる日が来るはずだった。すぐそこにあったはずだった。


 いつか、など来なかった。


 呆然と見つめるその先、未だ砂煙の立ち上る衝撃の中心地から影が這い出した。


 腕土竜である。かろうじて繋がっていた右腕は千切れ飛び片腕になっていた。流血の勢いは弱まっている。もう、体に流れる血の量そのものが少なくなっているのだろう。


 今度こそ本当に死のふちに立っていた。足元はおぼつかず歩くだけで精一杯のようであった。


 人間にモグラの表情などわかるはずもない。だがダドリーはそのとき、腕土竜の顔に満足感と人間に対する嘲笑ちょうしょうを見た。


「なにがおかしい……ッ!」


 ダドリーは夢遊病者のようにふらふらと歩き出す。途中で首なし死体の側からマシンガンを拾い上げた。


 ミュータントもまた、引き寄せられるように歩いていた。血を吹き出し、足を引きずりながら、死に場所を求めるように。


 2体の獣はわずか数メートルの距離で対峙たいじした。


わらうな……わらうな!!」


 咆哮ほうこうし、銃を乱射した。至近距離で鉛弾が瀕死のミュータントに浴びせられる。乱雑に生えた人間の腕を吹き飛ばし、本体に無数の弾丸が際限なくめり込んでゆく。


 笑うな、と叫び続けた。乾燥により唇は切れ血が流れ出す。喉も乾いて割れたか、血を吐きながら叫んだ。


 カチリ、と無機質な音が弾切れを伝えた。同時に腕土竜の体がぐらりと揺れて、地響きを立てて前のめりに倒れた。


 舞い踊る砂煙に沈む死体がまた動き出したりはしないかという恐怖を抱いて、ダドリーはその場に立ち尽くしていた。


 やがて砂煙が落ち着くと、ようやく倒したのだという実感が沸いてきた。そこに喜びなど、ひと欠片かけらもありはしない。


「終わった……なにもかも……」


 枯れた声の独り言が、誰か別人のもののようにダドリーの耳朶じだを叩いた。

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