英雄の条件

第71話

 ハンターオフィスを兼ねた酒場は一瞬、重苦しい沈黙に包まれた。同じハンターチームのメンバーである男女が、張り出されたばかりの紙を食い入るように注視ちゅうししている。


 その他にも、彼らから少し離れた所で張り紙を見る者。興味がないといった顔で酒を飲みながらチラチラと横目で見てくる者と様々であったが、酒場全体の意思がただ一点に集まっていた。


 下半期ミュータント討伐数成績発表。チームリーダーであるダドリーは元々大きな目をさらに見開いて、その結果を上から下まで何度も視線を往復させて確かめていた。間違いない。


「一位っすね、おめでとうございます」


 張り紙をした若いバーテンがいつもと変わらぬのんびりとした、というよりどこか抜けたような声でいった。


 夢の余韻よいんを断ち切られたような不快感と、第三者から言われることでこれが夢ではないという実感が同時に入り込んで来た。なんと答えてよいやら、とっさに言葉が出てこない。


「あ、ああ……ありがとう」


 と、それだけをぎこちなく言うのが精いっぱいであった。


 そんな彼を笑う者はいない。仲間たちは優しく、そして誇らしげに視線を交わして頷きあった。


(そうか、俺たちはやったんだな……)


 もう一度、胸の中で確かめる。


 ここ数年の間、討伐数首位の座はただ一両の戦車に独占されていた。丸子製作所の新兵器といわれる漆黒の戦車、荒野の女王。ディアスとカーディルという二人組らしい。


 らしい、というのはハンターオフィスに顔を出すのはもっぱら男の方だけであり、女が公の場に顔を出すことがないからだ。


 手足のない女だというが、その姿を見たという者の話では、ほとんどゴリラだとか、老婆であるとか絶世ぜっせいの美女であるとか、せこけた幽鬼ゆうきであるとかはたまた聖女のごとくであるとか、とにかく情報が錯綜さくそうして訳のわからないことになっていた。


 最強のハンターでありミステリアスな女という、予想と妄想で遊ぶには最高のネタだ。


 自分だけは知っているという顔で妄想をたれ流す、酔っぱらいどもの悪いくせである。情報を集めるなら酒場で、ただし信用してはいけない。これがハンターの鉄則であった。


 入り乱れる情報の中で共通項きょうつうこうを抜き出すと、手足がないという話だけは信憑性しんぴょうせいがあった。


 そんな女を無理やり働かせて金をむしり取る、ディアスという男にダドリーは生理的な嫌悪感を覚えていた。負けたくはなかった。恥知らずの女衒ぜげんにいつまでもハンターの代表ヅラされていることが屈辱くつじょくでもあった。


 たった一両の戦車で討伐数一位など嘘に決まっている、何かトリックがあるに違いないとわめく者も大勢いたが、ディアスが持ち運んでくるミュータントの生首は本物だ。それ以上の陰謀論いんぼうろんを唱えればハンターオフィスへの不信とも取られかねないので、本気で抗議しようなどと考えるのはよほどのバカだけである。


 そんなことをする奴は一人もいない、と言い切れないのが人の世の恐ろしさでもあるが。


 ダドリーだけではない。ハンター業界全体がディアスという男にあまり良い印象を持っていなかった。


 彼が何かしたわけではない。何もしなかったのだ。


 誰もが討伐数や賞金額、ランキングという数字に一喜一憂いっきいちゆうしているというのに、あの男はまるで興味がないといった顔をして淡々と生首を提出し、トップをさらっていくのである。


 これでは熱くなっている方がバカみたいではないか、と白けてしまう空気が確かにあった。




 一度、こんなことがあった。


 荒野で暴れまわり、ハンターにも一般市民にも多大な犠牲を出した中型ミュータントがいた。外周で暴れ貧民街に被害が出るくらいなら中央議会が動くことはないが、その犠牲の中には鉄鉱石採掘用の装甲トラックも入っていたのだ。


 資源の採掘がおびやかされるとなると、それを担当していた権力者は怒り狂い最優先での討伐を命じた。


 だが、ハンターたちは犠牲を重ねるばかりで誰も成し遂げる者はおらず、やがてあれに関わると命がないとやりすごすようになった。


 これで難儀なんぎしたのはハンターオフィスである。議会からはなんとかしろと連日の催促さいそくをされ、ハンターたちは命あっての物種と動かない。このままではハンターオフィスの存在意義すら疑われることになる。


 賞金額を上げたり、様々な特典を付けたり、他におどしなだめすかしと色々やったが笛吹けど踊らず。ハンターたちは動かなかった。


 いくら賞金が出ようが人は死ねばお終いである。やっていられない、というのが彼らの本音であった。


 中央議会、ハンターオフィス、ミュータントハンターらの軋轢あつれきが日々深まるなか、くだんのミュータントは突然に討伐された。ディアスがいつもと変わらぬつまらなさそうな顔で提出したのが、そのミュータントの生首であったのだ。


 丸子製作所の敷地内、その片隅に物置のようなきょを構え、世捨て人のような雰囲気を漂わせる彼が厄介なミュータントの討伐に出たのは義侠心ぎきょうしんなどではない。事実上の上司であるマルコの依頼でもない。たまたま荒野で出会ったから討ち取っただけだ。ディアスはそのミュータントに高額の賞金がかけられていることすら知らなかった。


 ディアスの個人的事情はともかく、これで厄介ごとは過ぎ去ったのだ。ハンターオフィスとハンターたちはそれまでに重ねた軋轢も全て水に流して喜び合った。


 鉱山を管理する権力者からも、ハンターオフィスに対して感状かんじょうと多額の寄付金が送られた。街に点在するオフィスのなかでもディアスが生首を提出したところなど、鉱山の管理者直々に挨拶に来るなどして、重苦しい空気が一転してこの世の春が来たと有頂天になっていた。


 これを記念してちょっとした宴会でもやろうか、という企画が起きた。


 街一番のハンターオフィスはここであると印象付ける。トップハンターであるディアスから技術を教わる。カーディルがどんな女かこの機に確かめる。丸子製作所のような大口のスポンサーをバックにつけたい……などなど。様々な思惑が絡まりこの企画に賛同する者は大勢いた。


 そして宴会の準備がある程度進んだところでディアスを誘ってみると、返って来た答えが


「断る」


 と、これだけであった。


 企画者たちは大いに慌てた。主役であるディアスが来なければどうにもならないのである。当人不在のパーティなどやってむなしいだけであろう。各人の思惑も下心も全てが台無しである。


 準備を始める前に了承を得なかったのは迂闊うかつではあるが、物の貴重なこの時代にタダ飯、タダ酒を断る奴が存在しようなどと思いもよらなかったのだ。誘えば参加するものだと当たり前のように決めつけていた。


「ここまで用意したのだから」

「酒の席はコミュニケーションを取る場として非常に良いものだ」

「ハンター同士、交流を深めておけばいざという時に協力しやすい」


 そういって、なんとか説得を試みたが


「俺が頼んだわけではない」

「コミニュケーションがどうとかぬかすくらいなら、俺がいま迷惑しているということくらい理解してくれ」

「お前らと付き合って俺に何の得がある?」


 ……と、散々な評価を下してさっさと帰ってしまった。


 残された者たちは好意を踏みにじられた、ディアスの奴は他人ひとを見下している、などといきどおった。


 用意された酒と料理はそのままディアスに対する愚痴とハンター業界全体への不満をぶちまける場の為に消費された。こうして英雄への畏敬いけいは反転して失望へと入れ替わったのである。


 ちなみにこのとき、ディアスは酒場で見せたような冷徹な顔からは想像もできないような優しい微笑みを浮かべ、愛するひとと共に硬いパンをスープに浸して食うような貧しい食事を楽しんでいた。




 ディアスが何か悪事を働いたわけではない。だが、彼がトップにいると何となく空気が悪く盛り上がりに欠ける。ハンター業界は新たな英雄を欲しているのだ。


 ダドリーは己の背に集まる視線から、ハンターたちの期待を感じ取った。これからは自分が彼らの想いを背負い導いていくのだ。そう思うと、夢と責任感が体中に巡るようであった。


 今まで必死に戦ってきたことは無駄ではなかった。これからは俺たちの時代が来る。俺が。俺は……。彼はほとんど恍惚こうこつとしていた。


 ざわ……と、空気が変わった。ダドリーは酒場の視線が己から離れるのを感じ取った。


 視線を追う。酒場の出入り口に今一番見たくもない顔があった。


 クーラーボックスを抱えたディアスと、クーラーボックスを両肩に掛けた大男、アイザックである。

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