第69話

 薄暗い格納庫の中、白い影がぼんやりと浮かび上がっていた。メイド服にヘルメットという珍妙ちんみょうな格好のシーラであった。


 ここは整備を終えた車両をおさめる場所であって、必ずしもヘルメットを装着しなければならないルールはないのだが、これもシーラの生真面目きまじめさ故であろうか。


 格納庫内には装甲トラックや機関銃を搭載したジープ、誰が乗れるのかわからない巨大な戦闘バイクなど様々な車種が揃っていたが、シーラの視線は漆黒の戦車にのみ注がれていた。


 あこがれの戦車を前にしても、シーラの表情はうれいを帯びたままであった。何かにすがるような、そんな眼をしている。


(戦車はいいな。強くて、どこにでも行けて……)


 眼を閉じて、戦車を抱くように体ごと触れた。押し当てたほおから硬く冷たい感触が伝わってくる。


 どこかに逃げ出してしまいたかった。恋を知らず、親の言うままに望まぬ結婚をして、場合によっては跡継あとつぎを産む。そこに自分の意思など存在しない。


 同時に、ロベルト商会を離れて生きていけるとも思わなかった。今さら綺麗きれいな服も温かい食事も捨てて、砂ぼこりの舞う雑踏ざっとうに放り出されても生活のすべなど持たないのだ。メイドや秘書として優秀であることと、地べたからい上がる力があるかどうかはまた別の話だ。


 不自由を前に己の心を殺すことは、保証された生活の代償であるとわかっているからこそ、シーラはただ物言わぬ戦車に祈りをささげることしかできなかった。


「いっそ私も戦車になってしまいたい……」


「そんないいもんじゃないわよ」


 突如、背後から声をかけられた。ひとごとを聞かれた気恥ずかしさもあり、はじかれたように振り返ると、そこにつややかな黒髪の女が立っていた。


 どこかで見覚えがある、と思い返す。遠征から戻ったときディアスが抱き抱えていた女性だ。あまりにも小さいので子供だろうかとじっと見ていたら手足が無いことに気がつき、動揺どうようを顔に出さないよう苦労した覚えがある。


 今は本物と見比べても遜色そんしょくの無い精巧せいこうな義肢をつけている。後から神経接続式の戦車に乗っていると聞いてにわかには信じられなかったのだが、こうして実際に本人に会うと


(まさか、本当に……?)


 と、いう気になってくる。


「この戦車の操縦手をやってる、カーディルよ。よろしく」


「ロベルト商会のメイド、シーラと申します」


 戦車の妖精が現れたのではないかと思えるほど、カーディルは魅力的な笑顔を浮かべる。差し出された右手をシーラは少し緊張した様子でがっちりと掴んだ。


「それであなた、戦車の前で暗い顔してどうしたのよ?この世に神サマがいるかどうかは知らないけど、少なくとも戦車に祈ったってどうにもならんでしょ」


 どう答えたものかと迷った。そもそもディアスとカーディルはどういう関係なのか。ただの仲間か、あるいは恋人か。もし後者だとすればディアスには悪いが釣り合っていないように思えた。


「実は……」


 周囲に人がいないことを確認してから、シーラはぽつりぽつりと語り出した。


 誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。少し自棄やけになってもいた。関係者に話せば少しは事態が動くのではないかとあわい期待もいだいていた。


 望まぬ結婚をさせられる、そう話すと


「なぁんだ、そんなことか」


 カーディルはからからと笑いだした。その無責任な反応に、シーラはむっとした様子でいった。


「何がおかしいんですか」


「おかしいもなにも、結婚したくないんでしょ?それなら解決済みよ。そんな話、断られるに決まっているから」


「何故、そう言い切れるのですか?」


「彼が私を愛しているからよ」


 信じている、どころではない。太陽が昇り沈むのと同じくらい当たり前のことだとばかりの断言であった。


 この二人の関係を知らぬシーラにしてみれば正直なところ、なんかおかしな奴が現れた、くらいの感想しか出てこなかったが。


「そもそもあなた、ディアスの方から断られるって可能性は考えていなかったの?」


「それは……」


 確かに、言われるまで考えもしなかった。


「ま、そうよね。貧乏ハンターが金持ちの娘で美女との結婚をちらつかされれば、よだれらして飛びついて来るって思うでしょうね普通は」


「……随分ずいぶん露骨ろこつな言い方をしますね」


 敵なのか、味方なのか、このカーディルという女の立ち位置が掴みきれない。


 己の傲慢ごうまんさを指摘されたようで、自然と警戒し身構えるような格好になった。


「でも、間違いではないでしょう?」


「否定はしません」


 ディアスたちはロベルトの部下ではなく、商会から給料を受け取っているわけではない。だが、この街におけるロベルト商会の影響力は絶大であり、一介のハンターがその圧力と魅力にあらがえるとも思えなかった。


 己の美貌びぼうにも、それなりの自信はある。


(それとも私は、ロベルト商会を絶対視ぜったいししすぎているのだろうか。あまりにも長く居たせいでそうした思想を植え付けられたのか……?)


 自信満々といった女を前にして、シーラの価値観がらぎ始めていた。それは本当に微かな揺らぎだが、いつまでも止まりそうになかった。


 うつむいて黙りこんでしまったシーラに、カーディルが優しく声をかける。


「今回の話はご破算はさんになるって私が保証するわ。もしなんらかの気の迷いで受けたりしたら私がひっぱたいておくから。それでいいでしょう?」


「はい、ありがとうございます……」


 今回の一件は見送ることができそうだ。にも関わらず、シーラの表情は晴れぬままであった。


「まだ何か心配事が?」


「結婚の話が流れたとして、次に他の男をあてがわれることになったとき断れるかどうか。問題を先送りにしただけなのではないか、と……」


「ん……ごめん、さすがにそこからどうすりゃいいのかわかんないわ」


「いえ、いいんです、話を聞いていただいただけでも。こういう話をすると大抵、返ってくる答えが甘えるなだの、もっと不幸な人たちがいるだの、そんなことばかりなんですよね」


「わかる……。偉そうにいうわりに何の解決にもなっていないし。嫌なもんは嫌だし。他人と不幸比べをしたところで、だからどうしたとしか言えないからねぇ」


「はぁ……」


 肺の中の空気を全て出しきるかのような、長いため息。


「いっそ私も手足を切ってしまえば政略結婚など無縁でいられるし、戦車を自在に動かす技術を手に入れられるんですかね……」


 格納庫内に、ゴンと鈍い音が響き渡った。カーディルの義手による手刀がシーラのヘルメットに叩き込まれたのだ。


 戦闘用ではないとはいえ、生身の手よりもずっと硬く、力も強い。歴戦のハンターであるディアスをして、本気で腕相撲をすれば負ける、と言わしめるほどのパワーである。


 ヘルメットのおかげで出血もしていないしコブもできていないが、シーラの脳天に伝わった衝撃は相当なものだ。


「てめぇ、何しやがる!」


 シーラがカーディルの襟首えりくびを掴もうと右手を伸ばすが、それより速くカーディルが前に進み出てその身を強く抱きしめた。


 何をされているのか、何が起こっているのかわからない。困惑こんわくするシーラの耳元で、カーディルは優しくささやいた。


「どんなにつらいときも一緒にやってきた手足でしょう?そう簡単に切るだなんていったら可哀想かわいそうじゃない」


 そういって、ゆっくりと身体を離した。


 シーラは当初、四肢を切り落として生きるということを舐めるな、そういった意味で殴られたのかと考えていた。


 だが、カーディルは強く抱いて、優しくさとしただけであった。どこまでもシーラの身を案じての行いである。


 時に厳しく、時に優しく。そして今、慈愛じあいに満ちた目で見つめるその姿はなんと表現するべきだろうか。


「お母さん……」


「は?」


「いえ、何でもありません」


 思わずバカなことをいってしまった。そんな気恥ずかしさからシーラは視線をらした。


「とにかくさ、何かあったら相談してよ。絶対に力になれる、とまで保証はできないけど」


「あの、どうしてそこまで親切にしていただけるのですか……?」


 シーラはすっかり警戒心は解けた様子で聞いた。カーディルに対して一時、理想の母の幻影を抱きはしたものの、当然のことながら彼女は母親ではない。赤の他人である。


 質問に対してカーディルは考え込んだ挙げ句に


「さぁ……?」


 などと、自分でもよくわからないといったところであった。


「さぁ、って……」


「ほんと何でかしらね。他人を気にする余裕ができてきたってことなのかな。ところで話は変わるけど、あなた歳はいくつ?」


 本当に唐突とうとつな話題転換である。シーラは狼狽うろたえながらもなんとか答えた。


「え?あ、はい、今年で17になりますが、それがなにか……?」


「それだわ、うん。きっとそれだ」


 独りで頷き納得するカーディルに、シーラは怪訝けげんな眼を向ける。カーディルは自分の肩をトントンと軽く叩いていった。


「私がこうなったのもそれくらいの歳でね。なんとなく世話を焼きたくなったわけよ」


 どこまでも深い哀しみと優しさをたたえたその笑顔に、シーラは胸が熱くなる想いであった。


「何ができるってわけでもないけど、家出したときに一晩泊めるくらいはできるからさ。あ、夜はちょっとうるさいかもしれないけどそれは勘弁してね、んふふ」


 言いたいことだけ言って去って行くカーディルの背を、シーラはいつまでもまぶしげに眺めていた。


 何かが解決したわけではないが、笑う余裕くらいはできた。

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