砂塵の花嫁

第67話

 二人は帰宅すると泥のように眠った。


 電子錠、シリンダー錠に加え、手作りのかんぬきまで落とすという厳重な戸締まりをしたうえで、肉欲の宴にきょうじることもなくベッドに倒れ込んだのだった。


 本来ならば真っ先にマルコへ報告に行くべきであったが、とにかく疲労が限界に来ていた。鍛えあげた筋肉が一斉にストライキでも起こしたかのように重い。要求に応じて睡眠を与えなければ本格的にどうにかなっていまいそうだ。


 そのため、別れ際に挨拶あいさつに出てきたメイドに伝言を頼むことにした。なぜ装甲車にメイドが乗り込んでいるのかそれは理解できなかったが、彼女のりんとしたたたずまいから信用できる人間だと判断し、丁寧に頭を下げて後事を託したのだった。


 戦闘速度で格納庫へ突撃し、戦車からカーディルのチューブを外し、抱えあげて自宅に転がり込んだ、というわけだ。




 沈み込むような眠りから目を覚まし、ふと時計を見やるとディアスは信じられないようなものを見たような顔をしていた。


 5分しか経っていない。


 寝る前にちらと見た時計は7時半を示していたはずだ。それが今は35分。疲れとはまた違う、眠りすぎによる気だるさがまとわりつく肉体が5分程度の仮眠ではなかったことを証明している。


 時計をにらみ付け、何度もまばたきを繰り返しながらぼやけた意識で考える。


(つまり、ここから導かれる答えはただひとつ……)


 ほぼ丸1日寝ていた、ということだろう。


 昨日の睡眠不足と疲労を考慮こうりょすればそれもおかしなことではないが、実際にやってしまえば驚きもするし、誰に対してかわからない罪悪感のようなものまで浮かんできた。


 隣のカーディルはまだ眠ったままだ。一晩中ライフルを撃ち続けていたことと、神経接続式戦車を走らせていたのでは疲れの質そのものが違う。どちらのほうが大変か、などと考えること自体が無意味だ。


 彼女を起こさないよう、ゆっくり静かに忍び足で立ち上がった。


 いまだかすみがかったような頭を動かす為に、まずは食事だ。


 冷蔵庫を開けて豆とベーコンの切れ端を取り出した。むしろ、冷蔵庫の中に食材と呼べるものはそれだけしかない。他は香料と人工甘味料を水に溶かした怪しげなジュースくらいのものだ。


 豆とベーコンを一緒に煮込んで、塩コショウで味付けをする。シンプルな料理であるが故に、この味付けで全てが決まる。


 上手く出来上がったスープをすすりながら


(惚れた女の寝顔を眺めながら飯を食う、俺の幸せはそれだけでいいんだ。他に望むことは何もない……)


 と、ふとベッドへ視線を移す。その瞬間、ディアスは思わずびくりと身を震わせた。100体以上の人面トカゲに囲まれて顔色ひとつ変えなかった男が退がったのである。


 カーディルは起きていた。とはいえ完全に覚めてはいないのか、半開きの目でじっとこちらを見ている。


 美人なのに、いや美女なればこそ、鬼気迫る凄みや妖気のようなものがかもし出されることがある。長い付き合いだが、こんな表情を見たのは初めてだ。


 口にこそしないが、誰だこの女、とまで考えてしまったほどである。


「私の分、ある……?」


 意識半分を夢の世界に置き忘れてきたような、かすれた声でいった。ディアスはそれが豆のスープのことだと気づくのに数秒の時を要したほどだ。


「え、あぁ、あるとも。その前に義手を付けようか」


「めんどい。右手だけでいい……」


 バランスが悪いのではないかと戸惑とまどうディアスに、カーディルはようやく意識と感情を取り戻しつつあるのか、にっと笑って見せた。


「大丈夫、義肢の扱いも慣れたもんよ」


 それならば、とディアスは右の義手を取り出してカーディルに取り付けてやった。神経接続時に流れる電流に少しだけ顔をしかめるが、痛みもすぐに治まった。旧式の三本爪に比べれば随分ずいぶんと楽になったものだ。


 いつ起きるかもわからぬカーディルの分を作っていたわけではない。ただ腹が減っていたので多めに作っていただけなのだが、ディアスはそんなことをおくびにも出さずスープを皿によそった。


 もっとも、その嘘は即座にばれた。


 カーディルはスープを一口啜ったとき


(少し、味が濃い……)


 と、気づいたのである。


 普段一緒に食事をとるときならばこれより薄めに作り、ディアスは取り分けた自分の皿に塩コショウをかけるはずだ。


 今回に限った話ではなく、ディアスの誤魔化ごまかしがカーディルに通用したことは一度もない。ディアスの嘘が下手くそなのか、カーディルのかんが良すぎるのか。あるいは世の男女の関係とはそのようなものであるのか。


 嘘をあばきたてて得意気な顔をしよう、という気にはならなかった。代わりに、口許に微かな笑みが浮かんだ。


「……ありがとう」


「ん?」


  一体、何に対しての礼なのかディアスにはよくわからなかったが、それ以上カーディルが説明するつもりは無いようなので、首をかしげながらも食事を続けた。


 その後、二度寝したり色々したりで結局、マルコへの報告はさらに翌日へと持ち越されることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る