第66話

 修理が終わる頃には夜が明け始めていた。あかつきに照らされ土煙をあげて動き出した装甲車は、山かくじらが突き進むかのような威圧感を放射していた。


 要塞のごとき装甲車に随伴ずいはんしての帰り道は平穏そのものであった。


 ミュータントが出なかった訳ではない。小型ミュータントは全方位に配置された機関銃によって蹴散らされた。中型ミュータント、ディアスとカーディルにとっての因縁いんねんの種族でもある犬蜘蛛までもが現れたのだが、特殊装甲車の前に体当たりも鋭い蹴りも通用しなかった。


「少し、れたか」


「そのようで」


 ロベルトが冷たく笑い、かたわらのシーラはいつもの陶磁器とうじきのような顔で答えた。


 主砲3門による一斉射撃であっさりと吹き飛び四散する犬蜘蛛を、ディアスたちは少々複雑な気分で見ていたものだ。


 これこそが特殊装甲車、ロベルトいわく機動要塞。その力を十全じゅうぜん発揮はっきできたことに彼は満足していた。


(そうだ、これこそが機動要塞の真の力だ。動きさえすればミュータントごとき、こいつの前では虫ケラに過ぎない……)


 人の頭を盗むような姑息こそくなトカゲに不覚ふかくを取ったという、その不快感がスーッと薄らいでゆく。


 途中、人面トカゲがこっそり張り付いていたりもしたが、これはディアスが身を乗り出して狙撃した。やるべきことを終えればこうを誇るでもなく、けわしいしわ眉間みけんきざんだまま無言で戦車に潜り込む。


 これが他のハンターならば、とロベルトは考えていた。


 権力者たる自分にびを売り小遣こづかいにありつくために必死に、そして滑稽こっけいなほどにアピールしてくるだろう。


(ロベルトさん、俺が敵を仕留めましたよ!あなたのお役に立てますよ!だからこれからもよろしくお願いします、次回も呼んでください!あなたの忠臣、腕のたつハンターですよ俺は!)……と、そんなところか。


 プロとしての姿勢に好感を持つ一方で、己の権威けんいが無視されたような複雑な心境であった。


「随分と無口な奴だなぁ」


 冗談めかしてシーラに話しかけると、彼女は力強く頷きいった。その視線はまっすぐモニターの中の戦車に向けられている。


「あれこそがハンターです」


「お、おう……」


 他は全てハンターを名乗るまがい物だと言わんばかりの断定であった。


 孕ませた女に金を与えて追い出し、やがて美しく成長した娘を雇い入れてから何年経つだろう。こいつのことならなんでもわかると自惚うぬぼれていたのだが、数時間前に新たな顔を見てからはどう接したものかと戸惑っていた。


 あの漆黒の戦車に乗る者たちが優秀であることはわかった。それでどうしてお前が得意げな顔をしているのかと言いたかったが、やぶ蛇のような気がしたので黙っていることにした。


 問題は、蛇はこちらから突付つつかなくとも向こうから出てくることもあるということだ。シーラのハンター語りはさらに過熱する。


「ロベルト様、彼らが私たちを救助する際に戦った人面トカゲは100体を越えます。道中でトカゲの死骸の山を見つけましたがこれも彼らがやったことでしょう。合わせて200体以上ものミュータントを仕留めたことになります」


「ふぅん、大したもんだ」


 娘が熱く語る様子をロベルトは冷めた目で眺めていた。娘が他の男をベタめしているのが気に入らない。俺だって機動要塞が動きさえすれば……と、いう自負じふが確かにそこにあった。


 ふと気がつくと、シーラが背もたれを掴んで顔を覗き込んで来ている。カッと目を見開き、いいから話を聞けと要求する姿はさながらホラー映画のワンシーンだ。


「あの戦車と、狙撃手の腕を見ればそれほどの活躍も納得できようというものです。問題はそこからですよ」


「……どういうことだ?」


「小型ミュータント200体強。細かい相場はよくわかりませんが、これらを換金すればひと財産となることでしょう。ですが彼らは一度も外に出ておらず、討伐の証拠を持ち帰ろうともしていません」


 ロベルトはようやく理解した。シーラが何故なぜ、彼らこそプロであると熱弁しているのかを。


「……俺か」


「はい、恐らくは」


 救助対象たる要人の命、それこそが本題であり他には目もくれない。例えそれで相当な利益を投げ捨てることになっても。


 自分が今まで付き合ってきたハンターならばどうか。特殊装甲車が動いた時点でもう義理は果たしたと別行動を取って死骸の一部を回収に行くだろう。また、そうしたとして何ら非難されるいわれはない。


 大きくため息をつき、目を閉じた。


「マルコの奴、いいコマを持っていやがる……」


 椅子に深く座り直し、沈思ちんしするその顔に今までの適当な親父の面影はなく、ロベルト商会総帥としての表情が浮き上がっていた。


 その姿を確認して、シーラはこれ以上のハンター談義は中止することにした。総帥とメイドの関係に戻り毅然きぜんとして脇に控えている。彼女もまた、戦車マニアとしての一面を奥に隠した。


「ワインはまだ、あったかな……?」


 ロベルトがモニターを眺めたままに呟く。シーラは半身になって振り返りワインセラーを確認した。


「あと2本、残っております。ご用意いたしましょうか?」


「いや、俺じゃあない」


 ゆっくりと頭を振るロベルト。その口許にはかすかな笑みが浮かんでいた。


「あいつらに送ってやりたい。今、ちょうどそんな気分だ」


 シーラとの婚姻こんいんでディアスを引き込もうという半ば冗談混じりの思い付きが、いまや現実感をともなって輪郭りんかくを作りつつあった。


 権力の座につく者にとって、優秀なハンターを囲い込むことは必須事項である。背景が兵器工場であろうと食品生産プラントであろうとそれは変わらない。


 ロベルトは、シーラの美しさと、その背後に立つ己の権威、その二つに心身をとろけさせぬ男などいるはずがないと信じきっていた。


 彼はディアスの名も知らない。ましてや、あの剽悍ひょうかんなる青年が、神秘と愛欲の化身のごとき女と、恋の鎖を互いの首に回していることなど知りようもなかった。




 一方、戦車の中ではディアスが糸のように細めた目をピクピクと震わせていた。ゴーグルで表情が見えないが、カーディルも似たような顔をしているだろう。


 眠い、とにかく眠い。


 やることをやってから眠りにつこうというタイミングで呼び出され、ディアスは数百回に及ぶ射撃を繰り返し、カーディルは闇夜の荒野を一晩中走り回っていたのだ。疲労も眠気も限界に近い。


「今夜だけでミュータントを何体倒したのかしらね……」


「確認できただけでも、237体」


 眠気覚ましにカーディルが話しかけ、ディアスがぼんやりとして声で答える。


「換金すればいくらになったかな……?」


「最低でも中型の首、4つ分くらいだな」


「うへぇ……」


 二人とも金銭に対する執着しゅうちゃくが薄いとはいえ、落ちた金を黙って見過ごすような真似は心に来るものがあった。


「これから戻って討伐の証拠を集めてくるかい?」


「遠慮しておくわ。今はいくら払ってでも寝る時間が欲しい。トカゲの解体なんかくそ食らえだわ」


「同感だ」


 動かぬ頬を無理に動かして笑う。


 ディアスはチェーンソーを掴んだまま人面トカゲの死体に囲まれ突っ伏して眠る己の姿を思い浮かべていた。滑稽こっけいでもあり、冗談では済まない。そのままミュータントに襲われたとなれば最低の死に方だ。


「ディアス、コーヒー飲ませて」


 カーディルの身体はチューブを通じて戦車と繋がっており、自由に動く手足はない。こうしたとき世話をするのはディアスの役目だ。


 ディアスは嫌な顔ひとつせず、水筒を持って這うように車内を移動した。彼にとってこれは義務ではない。愛の儀式だ。眠気を振り切って優しく微笑む。


 ひっくり返した水筒のふたをコップ代わりに、濃くれたインスタントコーヒーに大量の砂糖を混ぜたドロドロの液体を注ぎ込んだ。


 カーディルの形のいい唇に当てて、静かに傾ける。白い喉がなまめかしくうごめき、コーヒーを飲み下す。


「ありがと、ごちそうさま」


 カーディルが飲み干すのを見届けてから、ディアスも水筒にわずかに残ったコーヒーを注いで飲み込んだ。


 ぬるい、そして不味い。眠気覚ましと栄養補給のために味を犠牲にした結果である。ディアスは顔をしかめながら己の席に戻った。


 ようやく街の影が見えてくる。倉庫を改造した二人だけの家、鋼鉄のウサギ小屋が今はひどくいとおしい。

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