第65話

 救援は必ず来る、とは自分でいったことだ。その根拠こんきょも示した。だがそれでも時間が経てば不安にもなるし苛立ちがつの


 モニターの中では相変わらず人面トカゲたちが物顔ものがおで装甲車の周りを這いずり回り酸の唾液だえきを撒き散らしていた。人間から奪った感情のない顔ではあるが。


「ひとの車につばを吐くとはマナーの悪い連中だ……」


 ロベルトの笑えない冗談に答える者は誰もいない。車内の空気がひどく重い。


 少し前に、10分おきくらいに外に出たいとか、俺に任せてくださいとしつこいノーマンに


「うるさい、黙っていろ!」


 と、怒鳴り付けてしまったことが原因だ。


 本人にそんなつもりはなくとも、彼は街の権力者でありこの場の王なのだ。その怒りの雷が落ちれば皆が委縮いしゅくしてしまう。こうして誰もが一言も発せず、それでいて卑屈ひくつな視線を投げ掛けてくるという空間が出来上がってしまった。


 腹心と頼むシーラでさえ、いつもの位置から一歩下がって関わらないようにしている。


(これだよ、こういうのが嫌で荒野に出ればパーッと気が晴れるかと期待していたんだが、どこに行っても一緒かい……)


 ノーマンを叱りつけたこと自体は間違いではなかったはずだ。行けば無駄死にするとわかりきっているのを行かせるわけにはいかない。愚か者は道を切り開くためでなく、死につながる道に踏み出すときにいらぬ勇気を発揮する。


 もっとも、ノーマンの焦りはロベルトに対する怖れに起因きいんしているのではないか。そう考えれば、ロベルトは己の立場と運命を呪いながら頭を抱えることしかできなかった。


 どれだけ時間が経ったのだろう。静寂せいじゃくのなかに砂嵐の音が混じる。とうとう通信機も壊れたか、と思いきや少しずつ人の声のようなものが聞こえてきた。


「あー、あー、こちら丸子製作所から派遣された者ですが……ロベルト商会の皆さん、生存者はいますか?」


「ねえディアス、あれ見て。例のトカゲどもがクソでかい装甲車にわんさか群がっているわ。返答もないし、みんな死んじゃったんじゃないの?」


「そうだな、誰もいないなら一戦交える必要もないし、写真だけ撮って帰ろうか……」


 なにやら話がおかしな方向へ進んでいる。ロベルトは慌てて通信機に駆け寄り、マイクをひったくった。


「おい、勝手に殺すな!そして帰るな!」


「あ、どうも。ご無事でなによりです」


 ひどくのんびりとした返答。こいつは状況がわかっているのかと、ロベルトの期待感は上がったり下がったりと慌ただしく変動していた。


 怒鳴るか、出来れば殴りつけてやりたいところだが、ここで帰られてはたまらない。ロベルトはぐっと言葉を飲み込んだ。


「それで、救助隊は何人いるんだ?」


「部隊だなんて大袈裟なもんじゃありませんよ。二人だけです」


「二人いっ!?」


 絶望と悲哀ひあいに満ちた声が口のしから漏れだした。


 と、そのとき外部の様子を映し出すモニターが白い光に包まれた。


(照明弾、そんなものまで用意していたのか……)


 車内の誰もが顔を上げ、ざわめきが起こる。光に包まれた現れた救世主。黒く鈍い輝きを放つ戦車がそこにはあった。


綺麗きれい……」


 シーラが何かに魅入みいられたように、熱い吐息と共に呟いた。


 ロベルトはそれをおかしな感想とは思わなかった。他の誰も笑いはしなかった。兵器とは殺し合いの為に造られた忌まわしき存在であると同時に、洗練された機能美きのうびとでも呼ぶべきものが確かにある。


 そういえば、と思い出した。マルコが自慢げに語っていた最強の手札、最高傑作。聞いた当時は神経接続技術の応用で戦車と人を繋げるなど、何を馬鹿なことをと思っていたものだ。


(あれが、そうか……)


 このとき、ロベルトは自分たちは助かるのだという確信を得た。まだその力をなにも見ていないにも関わらず、ただ戦車が美しいというだけの理由で。


 再度、雑音混じりの通信が入る。


「その装甲車、防御は万全ですか?」


「うん?何を言っている。ご覧の通り表面をトカゲに荒らされちゃあいるが、何ら問題はない」


「万全なのですね?」


「くどいぞ。こいつは俺の自慢の、いわば機動要塞!ロケットランチャーの直撃でもびくともしねえよ!」


「そうですか、それはよかった」


 こちらの無事を確認した、というわけではないだろう。何が言いたかったのかと頭をひねっていると、突如として戦車は突撃を敢行かんこうした。


(さぁ、これだけの数の人面トカゲを相手にどう戦う?)


 己の身に迫っていた危険のことなど綺麗さっぱり忘れて興味深く観察していた。何かがおかしい。戦車がずっと正面を向いたままなのだが……。


 ある程度近づいたところで、戦車から機関銃が放たれた。それも、特殊装甲車に向けて。明滅めいめつする発射光マズルフラッシュがはっきりと見える。


「うおわぁ!なにやってんだお前はぁ!!」


 ノーマンが、整備士たちが、車内の人員が一斉に叫び出す。装甲車の中は絶対安全とわかっているが、救助に来たはずの戦車がいきなり発砲してきたのだ。


 弾丸と装甲がぶつかる金属音が恐怖をあおる。


 無論、これは装甲車を攻撃するためではなく、表面にまとわりついた人面トカゲを倒すためである。高速で飛来する弾丸に肉を抉られ骨を砕かれ、古い塗装ががれ落ちるように、人面トカゲがぱらぱらと落下する。


 怒り、怖れ、あるいは呆然ぼうぜんとする者。人々が様々な反応を示すなか、ロベルトはモニターを凝視ぎょうししながら身を震わせていた。腹の底からどうしようもないほどの笑いが込み上げてくる。


 確かに張り付いたトカゲの群れを倒すのに最も効率の良い方法だろう。


(だからって、本当にやるかね……いや、よくぞやってくれた!)


 銃口を向けられているにも関わらず、不快感はない。それどころか鬱々うつうつとした空気を吹き飛ばしてくれたことに感謝すらしていた。


 落ち着いた、どこか頼もしげな声をした男はどういう奴なのだろうかと俄然がぜん、興味が湧いてきた。


「あれも実は俺の息子だった、なんてことはないかなぁ……」


 しみじみとした言葉に、側にいた整備班長が答える。


「息子というのは、そう都合よく落ちているようなものではありませんよ」


「違いない。こいつは欲張りすぎたな」


「ただ……」


「ん、どうした?」


「息子にすることは、できます」


 班長の視線が、ちらとシーラに向けられた。相変わらずシーラはうっとりと熱を帯びた視線を戦車に向けている。ロベルトもそれに気づき、黙って頷いた。


(別にロベルト商会を継がせようって話じゃない。アレとソレとをくっつけて、優秀なハンターを取り込んで……あれ、意外に悪くないか?)


 とりあえずロベルトは脳内で保留ほりゅう判子はんこを押した。そこから先は実際に会ってみてからだ。


 人面トカゲの肉が破裂する音と、金属同士が高速でぶつかる音とが車内に響き渡る。その音が響く度に脅威が少しずつ消えていくのだとロベルトは安心感を得てニヤニヤと笑っていたが、誰もがそう解釈していたわけではない。


 我慢の限界だ、とばかりにノーマンが通信機に向かってがなりたてた。


「おい、貴様ら!ここにられるお方をどなたと心得る!?街の食料生産の約3割を担う巨大企業、ロベルト商会の総帥だぞ!今すぐ発砲を止めろ!これはロベルト商会に対する反逆行為で……」


 ゴン、と鈍い音がしてノーマンの啖呵たんかは中断させられた。シーラが後頭部を空のワインボトルで殴りつけたのである。


「ね、姉ちゃん……」


「姉ちゃん、ではありません」


 涙目になるノーマンに、シーラは犬でも追い払うように手を振った。シーラとロベルトがちらと視線を交わす。


(これでよろしいでしょうか?)


(いいぞ、よくやった)


 やはり俺はこいつのこと好きだな、と再確認し満足げに頷くロベルトであった。


(外の連中のように犬死にさせたくはないし、嫁にやるなら信頼できる男がいいが、さてどうなるか……)


 やがて銃声が止み車内から歓声が湧いた。装甲に張り付いていた人面トカゲがいなくなり、ターゲットを変えて一斉に戦車へ向かったようだ。


 最初から予定通りの行動であったのだろう。戦車はトカゲたちを引き連れて遠ざかってゆく。少し離れたところで奴らを全滅させるであろうことは疑いもない。


 笛吹き男に導かれた先は冥府めいふと相場が決まっている。


「よし、ノーマン!」


「は、はい!」


「残ったトカゲがいればこれを排除はいじょし、外の安全を確保しろ!整備士たちが動ける環境を整える!ようやくめぐってきた出番だ、嬉しいだろう?」


 先程まで泣きそうになっていた顔が、パッと明るくなった。自分が必要とされている、それが何より嬉しかった。


「はっ!お任せください!」


 愛用のマシンガンを掴み取って、足をもつれさせながらも弾丸のように飛び出していった。


 あいつもまだ子供だな、と半ば呆れ、半ば見守るような視線を向けるロベルト。


(ま、なんだかんだであいつも生き残ったようでなによりだ)


  次に、もうひとり生き残った娘に顔を向ける。


「さてシーラ、彼らについてどう思う?随分ずいぶんと熱心に見ていたようだが……」


 そう聞くとシーラは顔をしゅめて、もじもじと体をくねらせた。いつもの仕事一徹しごといってつといった態度はどこへ行ったのだろうか。完全に恋する乙女だ。


「あの、私、好きなんです……」


 突然の大胆な告白。確かにそれは望んでいた展開ではあるし、窮地きゅうちを救ってくれた男に好意を持つのはわかるが、まだ会ってもいない相手にそれはちょっと飛躍ひやくしすぎではないだろうか。


「戦車が……」


「あ、うん。戦車が……」


 何か、思っていたのと違う。


 周囲を見渡すが整備班はすでに出払っており、他の誰もが損害の確認や出発の準備で忙しく働いていた。


(どうすんだよ、この空気!)


 ロベルトの心の叫びに、答える者は誰もいない。




 装甲車から数キロ離れたところで、ディアスとカーディルは人面トカゲたちを全滅させていた。


 一度戦った相手である。機関銃、体当たり、身を乗り出してのライフルとを駆使くしし、楽ではなかったが全て想定内に収まったというところだ。


 最初の戦いで機関銃の弾丸を使いきらなくて本当によかったと、胸をなでおろす。装甲車に弾丸が余っていれば分けてもらいたいところだが、あんな要塞のような装甲車に取り付けられた機関銃と口径こうけいが合うのかどうか、それが問題だ。


「それにしても、随分と派手に撃ちまくったわね。議会のお偉いさんに機関銃を向ける機会なんてもう二度とないんじゃない?」


「ああ」


 楽しげに語りかけるカーディルに、ディアスはゆっくりと頷いた。


「おかげで少し気が晴れたよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る