第63話

 濃紺のうこんの闇のなかを駆け抜ける戦車。それを追う人面トカゲの群れ、群れ。


 人工の太陽、照明弾。乳白色の光に照らされたその顔はいずれも青白く無表情で、亡者の群れのようであった。


 砲塔を進行方向とは真逆に旋回させ、左右2丁の機関銃がうなりをあげる。発射光マズルフラッシュかれる度にトカゲの人面はたやすく砕かれた。その光はまるで、魂を地獄じごくみちびく鬼火のごとく。


 強酸を吐き出す体長1メートル越えの人面トカゲ。生身で相対すれば強敵であるが、戦車に搭載された重機関銃の前ではただの血袋、肉袋であった。


 それでも状況はディアスたちに絶対有利かといえばそんなことはなかった。


 敵が後方で固まっていてくれたうちはよかった。一度の機銃掃射きじゅうそうしゃで敵の群れをぎ払い、十数体を仕留めることができた。


 だが、やがて敵が散らばり始めると効率が悪くなりだした。大量の弾丸をばらいて2、3体しか倒せないのでは割に合わない。


 弾丸たまは多めに積んでいるが、そもそもここでの戦いは完全にイレギュラーであり、本来の目的は救助対象の元へとたどり着きトラブルの原因を潰すことだ。合流しました、弾丸はありませんでは話にならない。


 無論、途中でミュータントと遭遇そうぐうすることくらいは想定していたが、100体以上の人面トカゲに追われることなど、どうして予測できようか。


(経験不足がひびいてきたな。夜は危険だと口先では言いながら、まだ認識が甘かった……)


 反省も後悔もしている暇はない。迫り来るミュータントの群れに弾丸を叩き込みながら、ディアスは横目でちらちらとモニターに表示される残弾数を確めては、苦い顔をしていた。


 突如、カーディルが叫び出す。


「ディアス、やばい!トカゲにとりつかれたわ!」


 ディアスは素早くコンソールを操作し、カメラを切り替えた。モニターに映る人面トカゲは3体。うつろな眼をした亡者の口から大量のよだれがあふれだし戦車の装甲に落ちると、じゅわっと焼ける音を立てる。


 強酸を一度かけられたくらいで装甲に穴が空いたりはしない。だがこれが10体、20体にとりつかれて一斉に酸を吐かれたらどうなるか?


 ディアスの背筋に戦慄せんりつが走る。最強の戦車、重厚な装甲の中は決して安全地帯ではなくなった。数々の中型ミュータントを葬り去ってきた彼らを倒す力がこの群れにはあった。しかも、かなり現実的な方法で。


「カーディル、振り落とせるか!?」


「無理!相手はトカゲよ!」


「むぅ……」


 トカゲだから、という強烈な説得力の前にディアスは何もいえなかった。


 どうするべきか、と素早く車内を見回した。迷ったのはほんの一瞬であった。ディアスはライフルを掴むと背に回していった。


「直接ぶち殺す」


「えぇ?」


 カーディルの理解が追い付くよりも早く、ディアスはハッチを開けて上半身のみを外に出した。吹き付ける風に身体ごと持っていかれそうになるが、なんとか耐えた。酸を吐き出す人面トカゲが、ほんの30センチ前にいる。


 目があった。ディアスは流れるような動きで腰から拳銃を抜き払い、人面トカゲのひたいを撃ち抜いた。


 人面トカゲは目を見開いたまま、まるで自分が死んだことにすら気付いていないかのようにその場でじっとしていた。やがてずるりと滑り落ち、視界から消えた。


 続いて2体目のトカゲの頭を撃ち貫く。


 3体目がよだれを撒き散らしながらディアスに襲いかかるが、ディアスはその脳天に拳銃のグリップを叩き込み、ひるんだところに弾丸を数発撃ち込んだ。


 唾液だえきそでにかかると、刺激臭とともに小さく白煙があがり穴が空いた。


 顔面を破壊された人面トカゲは高速で走る戦車から振り落とされ、腹を見せながら地面に叩きつけられた。


 これで戦車にとりついていたミュータントは排除した。だがディアスは車内に戻らず、背に回していたライフルを構えた。


「カーディル、敵の残り、正確な数を教えてくれ」


「え、戻ってこないの?」


 少しだけ寂しげにいうカーディルに、ディアスは鉄のごとき堂々とした声で答えた。


「このまま全員、仕留める」


「えぇと……後方に36、いや、37!」


 やれないことはない。そう決意してディアスはスコープを覗きこむ。


 迫り来る人面トカゲ。その頭は老若男女さまざまであり、中には明らかに幼子おさなごと見えるものもあった。


 なぜ子供が荒野で命を落として、ミュータントに利用されることになったか。悪趣味な想像がいくつも脳内を駆け巡る。ディアスは少しだけ目をつぶってその考えを中断した。人として決して許されることではなく、そして珍しいことでもない。


(今は俺のやるべきことをやるだけだ……)


 スコープに人面をおさめて、撃つ。男も女も、大人も子供も区別なく、ただ無心で撃ち続けた。


 走っている戦車の上から、高速で這いずり迫る相手への狙撃である。一撃必中とはいかないが、それでも1体を仕留めるのに平均して3発程度しか使っていない。機関銃の弾丸をばら蒔くよりはよほど効率がいいはずだ。


 死神の手をすり抜けて迫り来る人面トカゲもいたが、それはカーディルの巧みな操縦により履帯りたいに巻き込まれた踏み潰された。跡に残るものはただ、肉と皮の切れ端のみである。車輪に絡みつく髪の毛もすぐにばらばらになって舞い散った。


 ディアスは人面トカゲを撃ち続けているうちに、自分がミュータントを撃っているのか、それとも人間を殺しているのか、その境界きょうかい曖昧あいまいになってきた。


 やがて、人面トカゲの顔に今まで出会ってきてた人間、殺してきた相手の顔が重なるようになった。


 6年前、犬蜘蛛にかどわかされたカーディルを助けに行く際、邪魔しようとした奴をライフルの銃床じゅうしょうで殴り倒したことがある。頭から血を流していたが、その後どうなったかは知らない。興味もなかった。名は忘れた。


 何もかも終わった後で仲間ヅラをして病院にやって来て、未来に絶望するカーディルを地下娼館に売ろうとした女がいた。荒野で見かけたので2キロメートル先からおどかすつもりで撃ったらみごとに当たってしまった。そのときは、まぁいいか、くらいにしか思わなかった。名は、失念しつねんした。


 他にも、倒した獲物を横取りされそうになって撃ち殺した奴らがいた。カーディルをさらおうとして丸子製作所の敷地内しきちないに忍び込んだ奴らをチェーンソーで切り刻んでやったこともある。


 どれもこれも、どうでもいいことだ。


 浮かび上がった幻覚げんかくはディアスに何の影響も与えなかった。過去の亡霊が沸き上がってきた、地獄から亡者が這い出てきた。それがどうした、と。


 淡々たんたんと撃ち殺し、弾倉マガジンを交換した。弾丸が足りなくなれば車内に戻り、収納庫から弾倉を掴み取ってまた外に出た。


 気がつくと、人面トカゲの影は消え去っていた。全滅である。一匹たりとも不利をさとって逃げ出す者はいなかった。


 何故なぜだろうか、とディアスは疑問に思う。


 それがミュータントの本能なのか、死ぬほど腹が減っていたのか。あるいは、人間に対する憎悪に突き動かされていたのか。


 人面トカゲの死骸しがいから遠ざかり何も見えなくなっても、ディアスはじっと視線を闇のなかへ投げ掛けていた。


「どうしたの?もう敵の反応はないけど」


 戻らぬディアスを案じてか、カーディルが声をかける。その透き通った声を聞くだけで、ディアスは己の身体に絡み付いた呪縛じゅばくのようなものが解かれていくような気分であった。


「いや、なんでもない。風が気持ちよくてね、すぐに戻るよ」


「ふぅん……?」


 そういってまた、じっと暗闇を眺め続けた。


 ライフルを真っ直ぐ天に向けて、三度撃ち放った。


 それは死者への弔砲ちょうほうか、あるいは目に見えぬ運命かみへの挑戦か。ディアス自身にもうまく言葉にできぬ感情であった。

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