機動要塞

第60話

 白熱灯はくねつとうに照らされ、ベッドの上でうごめくく白い裸身。手は無く、足は無く、神秘的しんぴてき白蛇はくじゃを思わせる一種の美しさがあった。


 5年前は白髪混じりだった髪も、今ではつやのある真っ直ぐな黒髪に戻っている。


 静かな寝息をたてる恋人の腕に頭を乗せて、カーディルは穏やかな笑みを浮かべていた。


 犬蜘蛛の巣穴で恐怖トラウマを植え付けられ、病室で先の見えない暗い未来におびえていたときはこんな生活が待っているとは予想だにしなかった。全てはいかなる困難にも、絶望的な状況でも歩みを止めなかったディアスのおかげだ。


 カーディルは身をよじってディアスの体の上におおい被さるようにして、その厚い胸板むないたに赤い舌をわせ始めた。次いで首へ、頬へと舌で愛撫しながら這い上がってゆく。


(この人をもっと喜ばせたい。喜ぶことなら何でもしてあげたい……)


 熱くうるんだひとみでディアスを見つめな、熱い吐息を吹きながら、舌とうすれた肌身で求め続ける。


 やがてディアスは無言で、ゆっくりと眼を開いた。


(しまった、やりすぎたかな……?)


 ここまでやっておいて起きないはずもない。つい夢中になってしまった。


「ぐ、グッドモーニング」


 起こしてしまったことに若干じゃっかんの気まずさを感じながら、間の抜けた発言をするカーディルであった。


 しかしディアスは怒ったり文句を言うどころか、カーディルを抱き寄せてその豊かな胸に顔を埋め、その体臭を大きく胸一杯に吸い込んだ。


「もう、止まれないぞ。こうなっては……」


 優しげな声でおどし文句のようなことを言う。背に回された手が、そのまま背骨をなぞりながら下へと向かった。


 ディアスに求められている。それがカーディルを大いに喜ばせ、幸せな気分が広がった。


(彼に抱かれているときと、ミュータントをブッ殺したときだけ、生きているっていう実感があるわ……)


 淫靡いんびかつ神聖しんせい儀式ぎしきの初めに、カーディルはあごを上げて唇を前に出した。ディアスもその意図を理解し、肩を掴んで抱き寄せる。


 と、そのとき出入り口のドアが激しく叩かれた。よほど慌てているのか、ノックというよりも乱打らんだに近い。


「ディアスさん、カーディルさん、緊急事態です!マルコ博士の召集ですよ!」


 丸子製作所の研究員、クラリッサの声だ。鈴の鳴るような可愛らしい声だが、今のディアスとカーディルにとっては亡者もうじゃのうめき声と同じように聞こえる。


「無視よ、無視……ッ」


 カーディルはディアスの胸に額を当ててぼそりと呪詛じゅそのごとき声で呟いた。ディアスもまた、無言をもってそれに対する同意とした。


 だが、クラリッサの激しいノックは確信をもって続けられた。


「開けてください、中にいるのはわかっているんですよ!」


 そういえば、とディアスはクラリッサの義眼の性能を思い出した。彼女の眼は高性能のサーモグラフィになってあり、体温を感知できるのだ。薄い壁一枚をへだてただけの居留守いるすなど通じるはずもなかった。


 こうなっては仕方がないとディアスは観念かんねんし、カーディルの背をぽんぽんと軽く叩いて離れさせた。


 納得こそしていないが不平は言わず、ベッドの上を転がって枕に顔を埋めるカーディルの姿を横目で見つつ


(こういう所が可愛いなぁ……)


 などと考えつつ、全裸のまま立ち上がるディアス。不本意ふほんいながらその楽しい時間を中断してくれた奴と話をしなければならない。


 ドアの前に立ち、こちらからもドンと1回、強く叩いた。話す準備ができたぞ、という合図である。


「一体、何事だろうか。正直なところ今は取り込み中なので後にしてもらいたいのだが」


 取り込み中、その意味をクラリッサはハッキリと理解していた。折り重なっていた体、下腹部に集まる熱。初心うぶなクラリッサとて、赤ちゃんがキャベツ畑で収穫するようなものではないことくらいは知っている。


 ただ、知り合いがそういうことをしている現場に踏み込むのは生々しく、気まずいものであった。


 これがプライベートであれば顔を真っ赤にして


「失礼しましたぁ!」


 と、叫びながら逃げ出すところであろうが、今回はマルコからの厳命げんめいである。いつになく険しい声で、首に縄をかけてでも引っ張ってこいと命じられているのだ。


 丸子製作所内でのクラリッサの立場は微妙びみょうである。研究員としても警備員としても中途半端といっていい。義眼に関するデータは報告しているし、短いながらも夜間の見回りに出てもいる。だが、はっきりと自分の仕事はこれだと言えるものがないのだ。


 このような状態で、あいつはお使いひとつもまともにできない、などという烙印らくいんを押されるわけにはいかないのだ。


 逆に、義眼の能力で居留守を見破って連れてきたという話をすれば、マルコはきっと


(面白い奴だ)


 と、思ってくれるだろう。愛し合う恋人たちの時間に乱入するという野暮やぼきわみを犯してでも引き下がるわけにはいかないのだ。


(それにしても、いつも射撃訓練でお世話になっている男の人がドア一枚隔てて全裸で勃起ぼっきして不機嫌のオーラを叩きつけてくるってどういう状況なのよ!?しかも今はまだ6時よ、夕方の!人をたずねて失礼な時間じゃないでしょうがこのセックスモンスターども!)


 運命の不思議と理不尽を噛み締めながら、ここが気合いの入れどころだと、ぐっと腹に力を込めていつた。


「人の命がかかっています。時間が経てばそれだけ状況が悪くなります。どうか、お急ぎを」


 時間を指定しての要求は我ながら良かったのではないかとほくそ笑むクラリッサ。ディアスは軽くため息をつき、諦めたようにいった。


「着替える時間くらいはくれるのだろう?」


 フルヌードの若い男女が工場の敷地内しきちないを歩き回った挙げ句に所長執務室に入るところを見られたら、別の意味で丸子製作所は一大事である。クラリッサは、もちろんですと答える他はなかった。


「マルコ博士と打ち合わせをしたら、すぐに戦車に乗ることになると思いますので、義肢は着けずに抱き抱えて行ってください。執務室までは私がご案内します」


 この倉庫を改造した家からマルコの執務室まで、数えきれぬほど往復している。やろうと思えば目をつぶっても行けるかもしれない。案内など今さら必要性は皆無かいむであり、それはクラリッサだってわかっているはずだ。


(要するに、監視かんしということか……)


 と、ディアスは少し白けたような気分になった。


 しかし、この場でクラリッサを責めたところでどうにもならないし、そうまでして自分たちを連れていきたいのだという本気の度合いの表れだと考えることにして


「わかった、すぐに準備する」


 と、だけ答えた。扉の向こうからクラリッサのほっと安心したような雰囲気が伝わってくる。


 ディアスはベッドの下に脱ぎ散らされた服の中から桃色ピンクのショーツを拾い上げてカーディルの前で開いて見せた。


「残念ながらお仕事だ」


 そう言いながら、慣れた手つきでカーディルに下着をかせる。次いでそでのない上着、膝上までしかない短いスカート。体を起こしてやって、テーブルからくしを取って髪を軽く整える。


「よし、今日も綺麗きれいだ。それじゃあ行こうか」


「……私の準備はいいとして、あなたスッポンポンじゃないの」


 と、カーディルは呆れたようにいった。全裸である。


 ディアスはカーディルのことに掛かりきりで自分のことは後回しにすることは多々あるが、ここまで間の抜けたことをしたのは初めてだ。表情こそ変わらないが中断させられたこと、それは彼をよほど大きく動揺どうようさせたらしい。


「その格好で行って、博士に対する抗議こうぎってことにする?」


「……止めておこう、自爆じばくテロは趣味じゃない」


 こうして、足元に散らばった服を素早く身につけた。壁に掛けたライフルを背負い、カーディルをその胸に抱き上げ、背筋をまっすぐに伸ばし堂々と外に出た。


 待ちくたびれた、というほどの時間も経っていないはずだが、どこか少し疲れた様子のクラリッサに頷いてみせる。


「待たせたな」


 戦いを前にした二人には歴戦の兵士としての風格が漂い、先ほどまでの色ボケカップルの印象はまるでない。


 四肢のない女が、男に抱き上げられているという光景も、どこか幻想的な美しさを感じさせる。人間が色の塊にしか見えないクラリッサの眼にも、どこか特別なものとして映ったほどだ。


 クラリッサは一瞬、息を飲んでから、早足で歩き出すディアスの背中を慌てて追いかけた。

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