第59話

「なんで連れていってくれなかったの……?」


 肉食蝿の調査に関する簡易かんいレポートを渡したとき、マルコの口から突いて出た言葉がそれであった。


 丸子製作所の所長執務室。マルコに頼まれての調査ではなかったが、蝿蛙の生態せいたいについて一応の報告はしようとディアスは簡易レポートを作成しておとずれれたのであった。


 ディアスは読み書きくらいはできるし、ハンターの職務しょくむ真摯しんしでもある。しかし、研究者としての正規教育を受けたわけでもないのでレポートとしてのていしていない。本当にただの箇条書かじょうがきと感想文に近いものであった。


 これが部下の研究員であればマルコも説教せっきょうのひとつふたつや、給与査定きゅうよさていの考え直しもしたであろうが、ハンターであるディアスにそこまで求めるのはこくであろう。


 事実じじつ仮定かていとを、わかりやすく。それだけで充分だ。そしてディアスのメモ帳は大いにマルコの興味を引くものであった。


 蝿蛙の意識が肉食蝿に乗っ取られているという発想は、マルコにとって不気味さよりもロマンを感じさせるものであった。前回同行したときに自分が気付くべきであったという、ちょっとしたくやしさもある。


 この発想にいたったのはディアスが相手を倒すためにじっと観察かんさつしていたその結果であり、肉食蝿に囲まれてコンテナ内に閉じ込められていたマルコに気付けというのも無理な話であるが、そうした理屈と悔しさとはまた別物のようだ。


 こんなことを言えば全力で否定されそうだが、蝿蛙の頭を鍋で煮ている写真さえ楽しそうに見える。仲良しグループのピクニックに一人だけさそってもらえなかったような気分だ。


 写真に写った、苦悶くもんの表情を浮かべるアイザックを見れば、楽しい旅とは程遠ほどとおいとわかるのだが。


(それにしても、蝿蛙の頭を煮るという方法の発案者はカーディルくんであると、わざわざ書くところがディアスくんらしいというか……)


 手柄てがらを横取りするつもりはないということか、あるいは俺の女は優秀ゆうしゅうだろうと自慢じまんしたいのか。恐らくは、その両方だろう。


「それと前回大量発生した肉食蝿はほとんど居なくなっていたわけですが、こちらは原因不明のままです」


「ああ、そう。どこかに行っちゃったんじゃないの」


「どこか、って……」


 あまりにも適当な返事に怪訝けげんな顔をするディアスであった。マルコはこの件に関しては興味が無いようで、手をひらひらと振ってみせた。


「別にいい加減なことを言っているわけではないよ、言葉の通りさ。適当に散らばって、またどこかに卵を産み付けたり、犬型やアリ型などの小型ミュータントのえさになったりしたんじゃないの。1万匹の肉食蝿なんて、1ヶ所に集まれば確かに脅威きょういだけど、食物連鎖しょくもつれんさという観点かんてんからすればゴミみたいなもんさ」


「そういうものですか……」


 あまりにもスケールが大きすぎて、いまいちピンとこないディアスであった。


(結局、俺は自分の目を通してしか物を見れない、大局的たいきょくてきな考えができない人間なのだなぁ……)


 とはいえ、ディアスは他人ひと指図さしずする立場ではない。集めた情報はマルコに報告して後の判断は任せればいい。今回、簡易レポートを提出したのは少々お節介せっかいかとも思ったが、間違いではなかったようだ。


(俺はカーディルとの生活が守れればそれで充分だ……)


 それがディアスのいつわらざる本音であり、彼の本質でもあった。


 ふとマルコを見ると、彼はレポートを凝視ぎょうししながらひとりでぶつぶつと何事かを呟いている。


「確かに蝿蛙の腹は大きいが、これだけの量の肉食蝿が詰め込まれるとなると、内臓ないぞうは食い荒らされて空洞化くうどうかして、必要最低限のものしか残っていないとか、そういうパターンもあり得るか……?」


 これ以上ここに残っても邪魔になるだけだろう。蝿蛙の頭蓋骨ずがいこつ換金かんきんやら、今月分のローンの返済やら話したいことはまだあるが、それは後日でよかろうと判断した。


 一礼し、立ち去ろうとするディアスの背中にマルコの楽しげな声がかかる。


「それで、次はいつ蝿蛙の討伐とうばつに行くんだい?」


 マルコの脳内ではすでに、蝿蛙の解剖かいぼうや新兵器のためちなどなど、やりたいことがいくつもき上がっていた。前回あれだけ酷い目にあっておきながら、場合によっては自分が同行してもいいという気にすらなっていた。


 喉元過のどもとすぎれば熱さを忘れる、ということわざがある。彼の場合、過ぎてすらいない。


「え?行きませんよ。邪魔なので火炎放射器も取り外します」


 ディアスにしてみればもうこりごりだ、といったところである。肉食蝿の大群は見たくもないないし、劇臭げきしゅうスープ作りはまっぴら御免ごめんである。


(カーディルの義肢を通常のものに取り替えて手伝わせるようなことをしなくてよかった。自慢の黒髪に臭いが染み付いたりすればそれこそ一大事だ……)


 犬蜘蛛や人馬の件もある。作業中にミュータントが乱入してこないとも限らないので、あの場面で戦車を行動不能にするなどあり得ないことだが、結果として劇臭を避けたか、意識してそうしたかでは違いがある。


 これからも文字通りの汚れ役は自分が、場合によってはアイザックも巻き込んでやろうと、心の中で頷くディアスであった。


 ちなみに遠征から戻った後で水を購入して風呂に入った。とはいえ、水は貴重品であるので本格的な入浴にゅうよくとはいかず、たらいに水を張ってそこに入り、すくって体にかけるという、いわば行水ぎょうすいという形ではあるが。


 残った水で服を洗濯せんたくし、そこまでやってようやく落ち着きを取り戻したのだ。できればもうあのクソ蛙には二度と関わりたくはない。


「僕からの正式な依頼、ということであれば行ってくれるかい?」


「まあ、そういうことであれば……」


 食い下がるマルコに対し、ディアスは気乗りはしないがといった調子で答える。


「しかし、今回の遭遇そうぐうはあくまで偶然ぐうぜんです。調査と討伐が目的ならば目撃情報などを集めてからでないと……」


「いいとも。ハンターオフィスとの連絡をみつにして、情報が揃ったら改めて依頼しよう。それでいいね?」


 あまり良くはないが立場上、絶対に嫌だとは言い切れず、わかりましたと頷く他はなかった。


(こうなったら、こいつも悪臭あくしゅうまみれにしてやるか……)


 暗い楽しみを見いだしながら退室するディアスであった。




 その後、蝿蛙がいた地方にはハンターたちもあまり近寄ちかよりたがらないのか目撃情報はなかなか集まらなかった。


 ようやくそれらしい話が入ったときはマルコ自身、何のことだか忘れていたという有り様であった。

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