第58話

 走り続けていると通信機つうしんきにノイズが入り、やがてそれも治まると今度はアイザックの声が聞こえた。どうやら通信可能な位置まで近づいたようだ。


「よう、お二人さん!お前さん方も無事だったか!」


「なんとか、な」


 それから話を聞き出すとアイザックは今、蝿蛙の死骸しがいから少し離れた所にいるらしい。さすがに破裂はれつした体のすぐそばになど居たくはなかったのだろう。


「それでだ。悪いがチェーンソーとクーラーボックスを持ってきちゃくれねぇかい」


首刈くびかり道具も持たずに中型ミュータントを狩りにくるハンターがいるってことがおどろきだわ」


嫌味いやみを言うなカーディル。前回、首を斬ろうとしたところで蝿の大群たいぐんいて出てきたんだ。咄嗟とっさにチェーンソーを捨てて逃げたのはむしろ英断えいだんだと思うぜ。バカはそこで迷って食われちまうんだ」


「そうね。できればケツをくのも自分でやっていればさらに良かったんだけど」


「人生は助け合いだぞ。一人で何でもできるより、素直に誰かに頼れる奴のほうがえらいのさ」


 わかるような、それでいて認めたくないような理論に、カーディルはあきれていった。


「……長生きするわよ、あなた」


「ハンターにとって最高のめ言葉だな!」


 がはは、と豪快ごうかいに笑うアイザックであった。


 話が一段落ひとだんらくしたところで、ディアスは蝿蛙の死骸の前で会おうと提案し、アイザックもこれを承諾しょうだくした。


 指定位置していいちに着き、ディアスはチェーンソーを持ち出すべきかいなかとしばし考え、とりあえずライフルだけをかついでハッチを開けた。


 アイザックはすでに到着しており、何匹か残った肉食蝿を手で追い払っていた。


「なんだって虫けらってやつは人間が攻撃してもその都度つどけるだけで本格的に逃げようとしないんだろうな。さっさといなくなってくれりゃおたがいのためじゃねえか」


 その愚痴ぐちに、ディアスは飛び回るや走り回るゴキブリを思い浮かべ、わかると呟きながら頷いた。


「で、頼んでおいたもんはどうした?ライフルで首は落とせないだろ」


「ああ、そのことなんだが……」


 ちらと横目で蝿蛙を見る。四散したとはいえ、首が綺麗きれいに取れているわけではない。頭と胸の一部はくっついたままであり、切り離さなければ持ち運ぶことなど到底とうていできはしないだろう。


「この首、たして持ち帰っていいものだろうか……?」


 アイザックの表情からさっと笑みが消え、固い無感情むかんじょうのものになった。敵対とまではいかないものの、これから何を言い出すのかと警戒けいかいしているようだ。


 ミュータントを狩り、その首を落として賞金に換えるのがハンターだ。そう何度もおあずけを食わされたのではたまったものではないし、プロとしての矜持きょうじにも傷がつく。


 前回は蠅蛙もキラーエイプもその首を持ち帰ることはできなかった。マルコにある程度の補償ほしょうはしてもらったが、やはり釈然しゃくぜんとしないものは残った。


「どういうことだ……?」


 と、低くうなった。普段の明るく豪快な印象とは程遠い、ドスのきいた声であった。


 視線だけを動かして周囲を見回す。場合によってはこのままディアスたちと一戦交いっせんまじえることになるかもしれない。無論むろん、それは考えすぎであろうが、ハンターとしての経験が自然とそうさせた。


 そんなアイザックの態度に、ディアスは腹をたてたりはしなかった。相手を不快ふかいにさせてしまうかもしれない、それは承知しょうちの上で言わねばならないことだった。


 二人は手を伸ばせば届くような距離にいる。ディアスが担いでいるのは狙撃用のライフルであり、アイザックの義手にはショットガンが仕込まれている。体格差も歴然れきぜんであり、アイザックはディアスよりも一回り大きい。今すぐ撃ち合いともなれば勝負にすらならないだろう。


 剣呑けんのん雰囲気ふんいきただよい始めてなお、ディアスは沈思ちんしする学者のような顔をして真っすぐに見据みすえていた。


 こうなるとアイザックも話くらいは最後まで聞かねばなるまい、という気になってきた。


 むしろ二人の様子を戦車のカメラでうかがっているカーディルが今にもみつかんばかりの顔をしており、暴発の危険があるとすればこちらだろう。


 やがてディアスは、これも仮定かていの話だが、と前置まえおきをしていった。


「蝿蛙が肉食蝿に乗っ取られているという説を採用した場合、この頭には寄生虫が住み着くか、肉食蝿の卵がびっしりと植え付けられている可能性がある」


 アイザックは、ウッと言葉につまり顔色がまたしても変わる。怒りの赤から、驚愕きょうがくの青へと。


 肉食蝿のコロニーと化した生首を街へ持ち帰ればどうなるか、歴戦のハンターである彼には考えるまでもないことだった。巻き起こる混乱こんらん追及ついきゅうされる責任。


 ミュータントではなく、人の手によって命を断たれるところまでが容易よういに想像できた。


 通信機を通して話を聞いていたカーディルも、なるほどと頷いていた。もっとも、こちらはどこか余裕というか他人事である。こんなことにまで考えがおよぶとはさすがはディアスだと満足げに笑っているのだった。


「さて、こいつをどうする?」


 ディアスは蝿蛙とアイザックを交互こうごに見ながら質問した。今回の遠征えんせいはアイザックの要請ようせいによるものであり、自分たちはあくまでサポートにてっする。律義りちぎといえば律義だが、アイザックにしてみれば


(この場面で俺に判断を丸投げするかぁ……?)


 と、恨み言のひとつも言いたい気分であった。


 未練がましく、蝿蛙の顔をじっと眺める。


 今回の遠征の目的はバイクの回収と肉食蝿の調査であって、中型ミュータントを討伐したことは副次的ふくじてきな出来事に過ぎない。


 かといって、せっかく倒したものを打ち捨てて行ける余裕などありはしなかった。中型ミュータントの賞金は高額である。


 まず、ディアスたちと山分けして、その上で回収に付き合ってくれた謝礼しゃれいを払う。戦車の改造費用、装甲車のレンタル代、義肢の今月分のローン。これだけ支払ってなお、遊び金が少しだけ手元に残るといった具合である。


 一気に支払わなければならないようなものでもない。生き残ることこそハンターの勝利であり名誉めいよと、それはわかっている。わかってはいるが、あっさりと納得できるような話でもない。


 支払わなければその分マルコやディアスらに借りを作ることになり、後々のちのちの生活は苦しくなり、丸子製作所内での立場も悪くなる。


 心配事を全回収できる方法が目の前に転がっているのだ。問題は蜘蛛の糸をらした相手が仏か鬼か、だ。


 ディアス自身が何度も念を押したように、蝿蛙が肉食蝿に操られているとか、卵がびっしり植え付けられているのではないかというのは全て彼の仮説である。


 後になって調べてみればまったくの的外れ、杞憂きゆうであったというパターンも充分じゅうぶんにあり得るのだ。


 いや、とアイザックは考え直した。こういった考え方は危険だ。借金に対するあせりに目がくらんで自分の都合のいい解釈かいしゃくばかりをしようとしているのではないか。


 今まで生き残ってこれたのもその慎重しんちょうさ、あるいは臆病おくびょうさにしたがってきたからだ。これで大損おおぞんしたこともある。後ろ指さされて笑われたこともある。だが、彼は生き残り、笑っていた奴は皆死んだ。


 助け船は、意外な所から流れてきた。


「ちょっといいかな?ひとつ思い付いたんだけど……」


 と、通信機からカーディルの声が聞こえた。


 顔がいいだけの、いつもディアスのケツにくっついているアーパー女が何の用だと、アイザックは警戒していた。


れば?」


「……どういうことでぇ?」


「でかい鍋にぶちこんで、強火でグッツグツ煮込んでさ、柔らかくなったら肉をナイフとかでぎ落として頭蓋骨ずがいこつだけ持って行けばいいんでない?」


 迂闊うかつであった。言われてみれば確かにそうである。持って帰るかあきらめるかという二択にとらわれて、加工するという手段に思いいたらなかった。


 ミュータントの頭部を鍋で煮るとは奇抜きばつな考えではあるが、換金かんきんできるのであれば手段などどうでもよかった。


 また何か面倒めんどうなことでも言い出しやしないかと、ディアスの顔をちらと見やる。その意図いとに気付いたか彼は大きく頷いて、いいと思う、とだけいった。


「俺は別に、あんたの邪魔じゃまがしたかったわけではないぞ」


「いや、そんなつもりは……少ししかないが。お前さんが口を開く度に、見たくもない現実ってやつがボロボロ出てくるんだ。身構みがまえたくもなるぜ」


「ついでに言えば、作業前と作業中、作業後の写真を撮って、なぜ肉を削ぎ落とすに至ったか簡易的かんいてきなレポートもえれば、最悪でも賞金の8割くらいは出るんじゃないか。ハンターオフィスとの交渉こうしょうはマルコ博士にお願いした方がいいかもしれない」


 方針が決まると、その実現の為の具体策がすらすらと出てくるディアスであった。


「ついで、ってレベルじゃねぇぞ」


「頭蓋骨が綺麗に取れたら、博士が買い取りたいって言い出すかもねぇ」


「ありる……ああ、ありるな、あの人なら」


 通信機を通して、三人で笑いあったものである。つい先程、殺気を交えた空気をかもし出していたことなどすっかりなかったかのようだ。


「結果として皆で協力し、知恵ちえを出しあい、うれいなく無事に持ち帰る算段さんだんがついたのだ。めでたしめでたし、と言うべきだろう」


「おう、ハッピーエンドってやつだな」


 ところが、全然めでたくもなければハッピーでもなかった。


 炎天下えんてんかのなか数匹の肉食蝿にまとわりつかれながら、悪臭あくしゅう立ち上るミュータントのスープを煮込むという作業が待っていたのだ。


 野営道具は一応揃っているが、蝿蛙の頭部がすっぽり入るほどの鍋など用意いているはずもなく、装甲車から圧搾あっさく空気のボンベを外して改造し、鍋代わりにすることとした。ボンベの支払いは当然、アイザック持ちである。


「ひでえ臭いだ」


「ミートサンドを思い出す」


「……なんでぇ、そりゃあ?」


 ディアスとアイザックは鍋から数メートル離れて、火が弱くなれば息を止めて近づいて燃料をぎ足すということを繰り返していた。それでも悪臭は耐え難いものであった。


「なぁ、別に肉を全部削ぎ落とさなくても、火を通せば蝿は全滅するんじゃねえの?」


「肉食蝿の卵が何℃で死ぬか知っているか?俺は知らん。知らない以上は確実な方法を取るしかあるまい」


「これで寄生虫だの卵だのが、全部ただの妄想もうそうだったら笑えるな」


「リスクを考慮こうりょし、それを避けるために動いた。大事なのはその一点だ」


 愚痴と弱音は吐き出すはしからばっさりと正論で斬り捨てられていく。アイザックのなかでディアスの評価が


(とてもたよれる嫌な奴)


 と、いったところで固まりつつあった。


 だらだらと大量に汗が流れ落ちる。何度も水を飲むが、その水にも悪臭が染み込んでいるような気がして、顔をしかめながら飲んでいた。


 煮崩れた肉を鉄パイプで突いて大まかに落とし、鍋から出して残った肉をナイフで削ぎ落とし、標本のような頭蓋骨ずがいこつを取り出せたのは作業開始から3時間後のことであった。


 すっかり疲れ果て


(やっぱり捨てていったほうがよかったんじゃないか……?)


 と、途中で何度も考えたほどだった。


 余談よだんではあるが、蝿の卵は熱に弱いと知ったのはそれから数日後のことである。

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