第57話

 荒野に叩きつけられた漆黒の太陽ははじけ、大きく広がった。形を変えた肉食蝿のむれ円錐形えんすいけい、命を刈り取る死神の槍となってディアスたちの戦車へと襲いかかる。


 数千の羽音はおとにぶうなりをあげてせまってきた。


「カーディル、急速後退きゅうそくこうたい!」


「了解!」


 履帯りたいが高速で逆回転し、地面をけず砂塵さじんを巻き上げながら走り出した。戦車の周囲に取り付けたカメラとセンサーを頼りに操縦するカーディルにとって、後ろ向きであろうが普段と変わらず動くことができる。


 岩や地割れをバック走のまま器用に避ける。しかしそうして蛇行だこうした分、空を飛んで一直線に迫る肉食蝿と距離を詰められるのも道理であった。


 ディアスとカーディルの表情に焦りはない。これこそ作戦通りであった。


 肉食蝿にも個体差、あるいは個性とでも呼ぶべきものがあるのか。


 長く飛べる者、速く飛べる者、そうでない者。


 集団に従って戦車に取り付こうとする者、集団から離れてアイザックの装甲車へ向かう者、あるいはどこかへ気ままに飛び去る者と、様々であった。


 走り続け、飛び続けとしているうちに呪いの羽音を響かせる黒いきりはバラけ始め、今では細い線のように隊列が伸びきっていた。


「10、9、8……」


 照準器をのぞきこみ、ディアスが呟く。肉食蝿との距離を計っているのだ。今回用意した火炎放射器の有効射程はせいぜい10メートル。慎重しんちょうに使わねばならない。


「7、6……5……ッ!」


 ディアスの目がカッと見開かれ、業火ごうかが放たれた。火竜が食らいついたかのように肉食蝿の行列に襲いかかる。


 炎をびせるのではない。火の点いた燃料をぶちまけるのだ。極端きょくたんな話、鉄にだって火が点く。肉食蝿が燃えやすいかそうでないかなど、決して消えぬ煉獄れんごくの炎の前では些細ささいな問題だ。


 その火力の前に、先頭集団は一瞬で消え去った。灰すらのこさず、生きた証もそこにはない。


(存在そのものを許さない、なんて無慈悲むじひな武器だ……)


 ディアスが感傷かんしょうひたる間もなく、残った肉食蝿はひるまず突撃を続ける。


「脳みそが1グラムにもたないクソ蝿どもが!」


 対して、カーディルはそのような感傷とはまったくの無縁であった。その激情げきじょう呼応こおうするように、カーディルの身体と戦車を結ぶチューブに光球が浮かび上がり、激しく流れ出した。


 罵倒ばとうしつつもその動きは冷徹れいてつそのもの、肉食蝿を燃やしやすい距離をたもっていた。ディアスにしてみれば、早く撃てと急かされているような気分でもあった。


 二度、三度と業火を放つ。そのたびに射程内に入った肉食蝿は跡形あとかたもなく消え去り、熱気ねっきに当てられた蠅はそのままポタリと落ちるか、焼けた大地の上でじたばたともがいていた。


 火炎放射器が発する熱ともなれば、その温風おんぷうに触れただけでも人は火傷やけどする。当然、肉食蝿たちもただでは済まなかった。


 集団の半数以上が削られたところで、好戦的な肉食蝿たちもようやく己の不利をさとったか、戦車を追うことを止めて散り散りに飛去とびさろうとしていた。


「ディアス、追撃ついげきするわ!」


「いやぁ……ここらが潮時しおどきさ」


 カーディルが激情に任せて叫ぶが、ディアスはそれをやんわりと受け流した。すでに照準器から目を離し、両手を後頭部に当てて、椅子に深く背を預けていた。もはや戦意せんい欠片かけらもない。


「奴らの方から向かって来るならともかく、空に散らばった虫など、どうにもならんさ。火炎放射器の燃料もあと1分使えば切れそうだ」


「1分もあれば、あと3千匹は焼き殺してやれるわ!」


「カーディル、残弾数ざんだんすう把握はあく確保かくほはハンターの鉄則だよ」


 例えば今、散らばって行った肉食蝿たちとアイザックの方へと向かっていた蠅どもが合流して再び襲いかかってくればどうなるか。そのとき、火炎放射器の燃料が尽きていたら?


 どのような形で襲ってくるかも分からぬ理不尽りふじん、もしもという奴に対応するためにも弾は残しておかねばならない。


 そのために追撃のチャンスを見逃したとしてもだ。


 カーディルは不満であった。散々、己を苦しめ夢にまで出てくるような奴らを焼き払うせっかくの機会をここで仕舞いにしなければならないのかと。


 そして不安でもあった。カーディルがミュータントにどのような目にあわされたか、ディアスが知らぬわけではあるまい。


 自分が抱いているミュータントへの憎悪や嫌悪感、そうしたものをまったく無視してただ正論を並べ立てているのではないかと。


 しかし、彼女とて歴戦のハンターである。道理どうりがわからぬわけではない。しばし唸り、ため息をつき、興奮状態から落ち着きを取り戻すのに連動するようにスピードをゆるめ、停止した。チューブも徐々にかがやきを失っていく。


「オーライ、今日はこのくらいにしておいてやるわ」


「すまないな、俺のわがままを聞いてもらって……」


 と、ディアスは振り向き、背もたれの横から顔を出してぺこりと頭を下げた。


 カーディルをめることもしかることもせず、意見を取り入れてもらったという形でおさめたのだ。


 パートナーの気持ちを理解していないわけではない。理解した上で、ほこを収めて欲しいと願ったからこそ、ディアスはおのれのわがままだと言ったのだ。


 長い付き合いである。不器用で言葉少ないディアスの考えを、カーディルは正しく理解した。


(仕方ない、ようするにれた弱みってやつよね……)


 と、どこか楽しげに笑うカーディルであった。


「さて、これからどうしよっか?」


「とりあえずアイザックと合流だな」


「食われてなけりゃあいいけど」


 悪趣味な冗談を吐きながら戦車は再び前進した。意図的にそうしたコースをとったのか、カーディルはひどく冷めた顔つきで堕ちた蝿の死骸を履帯で蹂躙じゅうりんし、蠅の乾いた体は粉微塵こなみじんになり、砂粒と混じって風に流された。


 ディアスはそのことに対して苦言くげんていしたりはしなかった。ただ、彼女の心が未だに暗い復讐心ふくしゅうしんとらわれていることだけが気がかりではあった。


(結局、俺は彼女にどうして欲しいのだろうな。ミュータントへの憎悪を全て捨て去って平穏へいおんに暮らして欲しいのか、あるいはその復讐心を満足させるまで共に戦い続けるべきなのか……?)


 前者についてはまず不可能だろう。忘れろと言われて、はいそうですかと答えられるほど生易なまやさしいものではない。共に歩んできた身であるからこそ、ディアスはそれをよく理解していた。


 復讐は何も産まない、とはよくある台詞せりふだが、実際に面と向かって言われたならば鼻で笑う以外の何ができようか。そんな言葉に感激し身を震わせ、私が間違っていました……などということには、絶対にならないだろう。


 いくら考えても戦い続けるより他はないのだが、誰を倒せば終わり、何匹殺せば終了といったゴールが見えないことが一番辛い。


 言うべき言葉も見つからず、とりあえず今は話題を変えることで妥協だきょうすることにした。


「こいつは博士から聞いた話なんだが……」


「なに?」


「旧世紀の大戦中に、火炎放射戦車というものがあったらしいんだ」


「名前からさっするに、主砲やら何やら全部とっぱらって、火炎放射専門にした戦車ってこと?」


「ご名答。火炎放射のみに専念せんねんするなら、燃料タンクも大容量のものを積めるだろうし、稼働時間かどうじかんが短いという課題もある程度クリアできる。つい先程証明したように、火炎放射器は汎用性はんようせいこそ低いが、効果的に使える場面は確かにある」


「便利とは思うけど、使っている奴は見たことないわね」


「大戦中も、なんだかんだですたれたらしい」


「ふぅん……何で?」


「何でって、そりゃあ……」


 ディアスは振り返らずに手だけを上げてひらひらと振ってみせた。カーディルの位置から顔は見えないが、苦笑いのひとつも浮かべていることだろう。


「射程が10メートル前後しかなくて敵の攻撃に反撃できない、燃料満載の戦車って、どう思う?」


「……火葬かそうまでやってくれる便利な棺桶かんおけ


 その的確かつ無慈悲な評価にディアスは、違いない、と呟き笑いだした。釣られてカーディルもくすくすと笑いだす。


 ひとしきり笑った後、カーディルはひどく神妙しんみょうな顔をしていった。


「ねえ、ディアス……」


「ん、なんだい?」


「……ありがとう」


「ああ……」


 何が、とは言わなかったし、聞きもしなかった。


 車内に流れる親密しんみつで、安らかな空気。それだけが二人の全てであった。

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