第56話

 距離きょり、1キロメートル。


 照準器しょうじゅんきいっぱいにうつる、うすい羽を背負せおった巨大なかえる。大きくふくらんだ腹はさながら蝿爆弾はえばくだんといったところか。


 もう少し近づきたいところだが、このミュータントは倒してからが本番だ。


 無尽蔵むじんぞうあふれ出る肉食蝿にくしょくばえにまとわりつかれてはかなわない。どのような展開となっても落ち着いて対処できるよう、距離はとっておきたい。


 蛙の食事は続いている。ディアスは主砲の発射装置に手をかけたまま、蝿蛙をじっと観察していた。最も食事に意識が集中する瞬間しゅんかん見計みはからっているのだ。


(蛙のツラをこんなにじっくりながめるなんてのは人生初だな……)


 大きく息を吐き、止めた。適度てきど緊張感きんちょうかんを抱いて、突き刺すような視線を投げかける。


 蛙の舌が伸びて、肉食蝿をからめ取った瞬間、砲弾は放たれた。


 轟音ごうおん硝煙しょうえんを置き去りにして、熱い空気を切り裂いて一直線に突き進む。


 ミュータントの鋭い感覚が、砲弾を視界のはしとらえた。しかし、他のミュータントに比べて反応がほんの一呼吸ひとこきゅう遅い。


 び上がってけるつもりだったのだろう。身を沈め、大地をりあげた。その瞬間を切り取れば両手をあげて万歳ばんざいをしているようにも見えた。


 砲弾はその無防備むぼうび脇腹わきばらを大きくえぐり、蛙ののどからしぼり出すような、聞くものを不快にさせる奇声が漏れる。


 体液と肉片をらし、そのまま倒れるかと思いきや、器用に身をよじって着地した。


 抉れた腹から黒煙のごときものが漏れ出していた。肉食蝿だ。やはり体内に溜め込んでいるらしい。


もろそうに見えてこの耐久力たいきゅうりょく。さすがは中型ミュータントといったところか……)


 一撃で倒せるなどと都合つごうのいいことは考えていない。ディアスは動揺どうようを見せず、自動装填装置じどうそうてんそうちを起動して次弾の発射準備にかかった。


 ミュータント特有とくゆうあか双眸そうぼう怒気どきを含んでこちらを見据みすえている。あれだけの傷を負いながら戦意せんいいささかもおとろえていないようだ。


 一瞬だけ身を沈め、今度こそ大きく跳び上がる。


「うおっ!?」


 思わずディアスの口から驚愕きょうがくの声が漏れだした。


 速い、そして高い。事前に映像で見てはいたが、実際に対峙たいじすればそのダイナミックな動きは目で追うのが精一杯だ。


 一度の跳躍ちょうやくで200メートルほど距離を詰めてくる。それでいて土ぼこりを少ししか巻き上げない柔らかな着地をして、また跳躍する。


 アイザックが苦戦したのもよくわかる。多少、距離を取ったところで大したアドバンテージにはならないのだろう。


(初見でこいつを倒せたのは、やるもんだなぁ……)


 戦友の活躍に、心中で素直に賞賛しょうさんを送りつつ、頭の隅でこの先の展開を冷静に予測していた。


 砲弾の装填が完了したことを確かめると、通信機のマイクをまんで静かに語りかける。


「アイザック、次で仕留しとめるぞ」


「了解、決めてくれよ!」


 戦車から少し離れて、装甲車から降りたアイザックは大口径ライフルを構えた。あの日、一度も蝿蛙に当てることのできなかった銃だ。


 蝿蛙が跳び、巨大な放物線ほうぶつせんえがいた。頂点から下り始めた瞬間を狙い、放つ。必殺、必中のコースだ。相手が蝿蛙でなければ確実に撃ち落としていたことだろう。


 蝿蛙の体をかさのようにおおうほどの大きな、そして薄い蝿の羽が展開し、空中でその体は斜めに滑る。弾丸は目標の脇をすりぬけむなしく消えた。


 ここまでは想定内である。予定通りではあるが、アイザックの顔には眉間みけんにシワが寄って残念そうにしていた。


 避けられてもいいのだが、当てるつもりで撃った。


 あれれぇ?当たっちゃったなぁ……などと言いながらへらへらと笑ってやりたかったのだが。


(まぁいい。見せ場はゆずってやるぜ)


 数匹の肉食蝿が近づいてきた。それをあわてて手で振り払い、装甲車に乗り込んだ。


 蝿蛙は空中で方向転換ができる。それは記録映像によってあらかじめわかっていたことだ。いくら早くとも、どう動くかがわかっていれば対処たいしょのしようはある。


 数秒後に相手がどこに来るか、それを予測した見越みこし射撃。


 言うまでもなく戦車砲は飛び道具である。銃でも、矢でも、不思議なことに手応えを感じることがある。ディアスは撃った瞬間、命中と撃破を確信した。


 砲弾のコースに、蝿蛙は吸い寄せられるように重なった。対ミュータント用徹甲弾はその身体に突き刺さり、空中で四散させた。


 頭が、手足が手足が別々に大地へと叩きつけられた。だが、ディアスたちの視線はそこにはない。ちゅうとどめられたままである。


 空に形作られた黒い太陽。蠅蛙の無残むざん死骸しがいからも黒い霧が立ち昇り吸収される。まるで一つの意志によって導かれたような、禍々まがまがしい肉食蠅のコロニー。


「あれが蛙を操っていたっていう説も、今なら信じられるわ……」


 カーディルが呆れたように呟き、ディアスも黙って頷いた。寄生虫がどうとか、神経に干渉かんしょうしてどうのと言われるよりも、悪しきものがりついたと言われた方がよほどわかりやすい。


 そして、肥大化ひだいかした黒い太陽はちた。

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