第55話

 こいつは何を言っているんだ。アイザックはそう思わぬでもなかったが、よくよく考えれば自分だって常に真面目だったかといえばそんなことはない。


 素直に従うのもしゃくだが、ここはカーディルの悪ふざけに付き合うことにした。


「良い方からにしてくれ。俺は気が弱いんだ」


内臓ないぞうにびっしり毛が生えていそうなツラでよく言うわ。うん、良い知らせはね、この先に金属反応。大きさからしてあなたのバイクね」


「おぅっ」


 カーディルの人物評価はともかく、愛用のバイクが盗まれていないという報告ほうこく素直すなおにありがたい。


 荒野でなくしたものに所有権しょゆうけんは無く、落ちているものを誰かに持っていかれても文句の言いようがない。それが荒野のルールだ


「そいつはグッドニュースだ、目的のひとつは達成たっせいだな。それで悪い知らせってのは何だい。ミュータントがバイクにまたがって腰振こしふっているとかでなけりゃあ何でも言ってくれ」


「当たらずとも遠からず、ってところかしらね……」


「遠くないのか!?やめてくれよ!」


「ジョークよ。ただ近くにミュータントの反応があるっていうだけ。何をやっているかは知らないけど」


「お前なぁ……」


 敵に見つからぬよう車両を岩影いわかげに隠し、ディアスとアイザックは外に出て双眼鏡そうがんきょうを構えた。


 あれから数日間もっているというのに、巨大なバイクは立ったままだ。


 まるで相棒あいぼうの帰りを待ち続け、自分はまだ戦える、健在けんざいであるとしめしているかのようだ。そう考えると、アイザックは感動すら覚えた。


 可愛かわいい奴め。やはり迎えに来て良かった。俺はもう一生バイク派だ……と。


 そんなロマンチストの気持ちを知ってか知らずか、ディアスがバイクを見ながらいった。


安定感あんていかんのある、いい機体きたいだな」


「なぁ、そうだろう!?」


 第三者からめられることで、ますます気分を良くするアイザック。ずいぶんと大袈裟おおげさな反応に、ディアスは目を丸くしていた。


「さて、あんたの恋人バイクを取り返すためには、あいつが邪魔じゃまだな……」


 双眼鏡を構えたままゆっくりと首を振る。バイクから10メートルほど右に鎮座ちんざする王、蝿蛙はえがえるだ。


 相変わらず周囲には蝿が飛び交って体液を吸っている。


 蝿蛙は時おり舌を伸ばして蝿を食い、またしばらくして食う、ということを繰り返していた。その動きはひどく緩慢かんまんで、ひどく面倒めんどうくさそうにも見える。


「なんというか、あれだな。休日に寝転ねころがって飯を食う奴みたいな感じだ」


「人間臭いミュータントもいたもんだ……」


 ディアスはふと顔をあげて、周囲を見回した。何を探しているのか、その視線の先には蒼穹そうきゅうが広がるばかりである。


「はて、おかしいな……」


「何が?」


「ここにいる蝿は、あのミュータントにまとわりついている奴だけか?1万近い大群たいぐんはどこへ行った?」


「そういえばそうだな……」


 蝿への対策としてわざわざ重い火炎放射器を引っ張って来たのだ。ここまで静かだと不思議を通り越して不気味である。


「まさかあのカエル野郎が全部食っちまったわけじゃなかろうな」


「どんな吸引力きゅういんりょくだ。あの食事ペースなら1万匹食い終わるのに10年くらいかかるんじゃあないか」


 もう一度、蝿蛙の様子を探る。うつろな目をしながら、一定のペースで肉食蝿を食らい続けていた。ここでディアスはさらに一つの疑問を抱いた。


ハエカエル、どちらがしゅで、どちらがじゅうなんだろうな」


 本当にこのバカ夫婦ふうふ突然訳とつぜんわけのわからないことを言い出すものだと、アイザックは冷めた視線を向けた。だが、ディアスの表情はいたって真剣である。


「どちらがっ、て……食われてんじゃねえか、蝿」


「確かにぱっと見はそうだ。ただ、蛙の表情かおがな……」


「蛙のツラが?あの間抜けヅラがどうした」


美味おいしく食事をしているようには見えない。どこか義務的ぎむてきに口に運んでいるような感じだ。……おかしなことを言っているという自覚じかくはある。だからその、馬鹿を見るような目で見ないでくれ」


 考えをうまく言葉にできない、そんなもどかしさがあった。


たとえば、例えばだ。あの蛙にはすでに自我じががなく、肉食蝿に脳を支配されているとか……」


「生きながらにして蝿どもの苗床なえどこにされているというわけか。だが、そんなことはありえるのか?」


「相手を支配したり卵を産みつけたりなんかは、虫の世界ではよくあることらしいぞ」


「エグいなぁ……」


昆虫こんちゅう習慣しゅうかんを等身大で考えれば、どれも残酷ざんこくなものさ」


 そういったときだけ、ディアスの口調くちょうくら感情かんじょうにじる。その理由わけはアイザックにはわからない。


(どういう人生を歩んできたんだこいつは……?)


 何かがあった。気にはなるが、決して興味本意きょうみほんいれてよいものではない。アイザックはそうした雰囲気を正しく感じ取った。


 自分にだって言いたくないことは山ほどある。長い間戦い続けてきたハンターならば誰だってそうだろう。


 二人はしばらく無言で双眼鏡を構えていた。蝿蛙は未だに食事を続けている。いつから食べているのか、いつになったら終わるのか、それすらわからない。


 ながめているうちにアイザックは複雑な感情をいだいていた。


 蝿蛙のせいで死にそうな目にあった。無様ぶざまに逃げ出して、相棒あいぼうたるバイクも放り捨てていかねばならなかった。憎しみと屈辱くつじょくで眠れぬ夜もあった。


 今はただ、あわれであった。


 蝿に支配されているというのはあくまでディアスの仮説かせつである。哀れみを抱かれるなど当人とうにんにとっては余計なお世話かもしれない。


 わかっている。わかっては、いるのだ。


「手ぇ、貸してくれるかい……?」


 深い考えあってのことではない。自然と呟きがれた。


「ああ、そのために俺たちはここにいる」


 ディアスも当然だとばかりにハッキリと答えた。


 双眼鏡から目を離し、二人は微笑ほほえみあった。


 巨大な義手と、固く握った右こぶしが、グッと打ち合わされる。


 そして二人は背を向けて、お互いの車両に乗り込んだ。

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