第54話

 あの日、荒野にきざみ付けたわだちは砂と風に流され、流した血と散らした命も痕跡こんせきを残さず陽炎かげろうのごとく消え去った。全ては記憶と記録の中にしか残ってはいない。


 あの戦いに、ミュータントの死に何の意味があったのか、それは生き残った彼らにしかわからぬことだ。


 街はなく、道もなく、これといった目印もない、岩山ばかりが並ぶどこまでもわりえのしない風景。


 距離と方角を確かめるためだけの地図を頼りに走る、2台の車両。


 ひとつはディアスとカーディルの乗る漆黒の戦車である。左右に取り付けられた機関銃きかんじゅうのうち、右側のものを火炎放射器に換装かんそうしている。今回の肉食蝿対策の為である。


 もう一台、戦車に並走へいそうする装甲車そうこうしゃ。これも上部に火炎放射器がそなえられている。遠征えんせいについていくためにアイザックがマルコに頼み込んだレンタル車両だ。


 今回の目的は中型ミュータントの討伐ではなく、バイクの回収と、ただ様子を見に行くだけなので無理してついていく必要はなかったのだが、アイザックはそれをよしとはしなかった。


 蝿蛙はえがえるを倒したのは自分だ。その後、知らなかったとはいえ蝿の大群たいぐんせたのも。見に行ったから今さらどうなるという話でもない。その後の様子など、ディアスたちが帰ってきてから聞けばいい。だが、いつのまにか部外者ぶがいしゃにされること、あの戦いを稀薄きはくなものにさせてしまうことだけは許せなかった。


(誰かに何故なぜかと聞かれれば、説明するのは難しい。気取きどった言い方をすれば、俺が俺であるために、といったところか。俺は今、腹の底でくすぶるわけのわからない衝動しょうどうに突き動かされている。これこそがきっと、男の証明だ)


 遠くから何かが聞こえる。しばらくの間、それが何なのかよくわからなかった。


「おい、アイザック。どうした?」


 ディアスからの通信で、沼にはまったような思考が引き戻された。どうやら何度も呼び掛けていたらしい。


「すまんな、ちょっと昼寝してたぜ」


「おいおい……。気が付いたら岩に激突していました、とか止めてくれよ。ちゃんと水分取っているか?塩分タブレットはまだあるか?」


「おふくろみたいなことを言うな。こちとらベテランハンター様だぞ、道具のチョイスにヘマはしねぇよ」


 年代物の車で、冷房がガーガーうるさく、少しカビ臭い。それでも文明の利器によって涼しく過ごせるというのはいいものだ。荷物は沢山たくさん運べるし、手を伸ばせばすぐに水が飲める。


 便利という意味では車の方がずっといいのだろうが、アイザックはもうバイクで向い風を感じながら走ることになつかしさを覚えていた。


(どちらが良いとか悪いとかじゃなくて、あっちのほうが俺のしょうに合っているということかな……)


 どこまで行っても同じ景色。これが愛用のバイクであったら飽きずに走り続けていたのだろうか。


「で、何か用か?」


「用というほどでもない。ただの雑談を振っただけだ」


「言ってくれよ、眠気ざましにもなる」


「そうだなあ……」


 と、少し間を開けてからいった。


「正直なところ、火炎放射器って邪魔じゃまだな」


「それなぁ……」


 通信機ごしで相手の顔も見えないが、お互い苦笑いしているのだろうと思った。


 火炎放射器の、他の武器とは大きくことなる点として単体では成り立たないことがげられる。燃料と、それを噴射ふんしゃさせるための圧搾あっさく空気。最低でもその2つのボンベが必要なのだ。


 アイザックの装甲車は後部座席をボンベに占拠せんきょされ、ディアスの戦車も足の踏み場に困るといった有り様だ。これで連続使用すれば5分ともたないのだがら文句のひとつも言いたくなろう。


「狩りに出る度にこいつをかついでいくのは現実的ではないし、この地方にはなるべく近づかないほうがいいな」


「危険を避けるのは結構だけど、他所で蝿蛙がでたらどうすんのよ?」


 カーディルの疑問に、ディアスは振り返らず手をひらひらと振ってみせた。


「悲鳴をあげて逃げるさ。ところで蝿蛙の速さってどうなんだ?経験者の意見が聞きたいな」


 アイザックが頭のなかで記憶を辿たどる。


「ジャンプ力はすさまじいが、基本的に動きが山なりだからな、直線的な動きで逃げれば追い付かれるってことはないだろ。いや、待て、あいつ滑空かっくうもできるがそれでまっすぐ来られた場合はどうなんだろうな……?」


「で、結局どっちなのよ?」


「わかることしかわからねえよ。俺は一回戦っただけなんだ。それだけで蝿蛙博士になんかなれるものかい」


「ま、そう言われりゃそうよね」


「お前らだって、このミュータントのことなら自信をもって語れる、ってやつはそんなにいないだろう?」


「犬蜘蛛とキラーエイプあたりはお得意様だ。楽勝とは言わないが行動パターンは大体読める。それ以外となると、自信はないな」


 また、アイザックは深く考え込んだ。


 最新鋭の戦車で戦い続けてきたディアスたちでさえ、はっきり知っていると言えるのはたったの二種類だ。


 前回の失敗は結局のところ、ミュータントに対する知識不足が原因だ。ベルゼブルなどという奇妙きみょう異名いみょうを付けた者がいるのだから、少なくともそいつは倒したあとの蝿害はえがいをわかっていたはずだ。


 だが、そうした知識はハンターの間で共有されてはいない。


 荒野で力尽きた命の中には、前もって知識さえあれば助かったものがいくらもあるはずだ。


 情報は独占してこそプロ、プロハンターの世界は厳しい。そんな考え方は果して正しいのだろうか、ミュータントとは人類が一丸となって立ち向かうべき相手ではないのか、と……。


(どうも俺はぞこなってから考え方が変わったみたいだな。以前なら情報の独占に疑問など持たなかったはずだ。それとも、あいつらとの出会いによるものか……?)


 自分の考え方の方がハンターとしては異端いたんであると、それは自覚している。思案しあんのち、口を開いた。


「なあ、ディアス。帰ったらミュータントについての情報を交換しないか?」


「んん?」


 さて、どういった反応がくるか。ハンターに向かって飯の種を公開しろと言ったのだ。彼らとて、自分たちにしか倒せないミュータントがいてくれたほうが市場価値を上げることができるだろう。


 だが、アイザックにとってはある程度の勝算をもっての提案であった。


 ディアスは金や名誉に対する執着しゅうちゃくがほとんどない。ましてや、情報を独占したり他人の足を引っ張ることで優位性を守ろうというのは彼の性格上、どうにも似合わないと思えたからだ。


「ああ、いいよ」


 予想以上にあっさりと了承りょうしょうがもらえた。


(ハンターの本質がどうのこうのと悩んでいた俺が馬鹿みたいじゃねえか……)


 まだ、ディアスという人間を見誤みあやまっていたらしい。彼にとって金とは現在の生活を守るためのものであり、名誉にいたってはカーディルにめてもらえれば後はどうでもいいといった程度の代物しろものだ。


 情報交換によって生き延びる可能性が少しでも高まるのであれば彼に異存いぞんのあるはずもない。


(とにかく第一段階はクリアだ……)


 できればこうしてもっと多くのハンターと情報交換していきたい。最終的にはハンター全体でミュータントの情報を共有し、一人でも多く生還せいかんできるようにしたい。


 さすがにそれは無謀むぼうにすぎるだろうか……?


 アイザックの表情に苦笑いが浮かぶ。本当にがらでもないことを、と。


「レーダーに反応!前方5キロ!」


 カーディルの叫びで甘い思考が中断される。アイザックはすぐに自分の手元のレーダーを見るが反応はない。こうまで性能が違うものかとうらやましくもなった。


「それで、レーダーに映ったのはどこのどいつだ!?」


 ハンドルから右手を離し、火炎放射器の発射装置に触れる。あのときの屈辱くつじょくを晴らしてやる。いつでも来い、と。


「一度、言ってみたかったんだけどさ……」


「なんだ!?」


「良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」


 通信機の向こうであの女がにやにやと笑っている。そんな気がした。

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