第52話

 したたる汗を何度もぬぐいながら、マルコは状況を説明した。それをディアスはじっと黙って聞いている。


 ディアスたちがキラーエイプを追いかけて行った後、新手が出現したこと。アイザックが蝿蛙はえがえるを倒したが、肉食蝿にくしょくばえ大群たいぐんが現れたこと。万単位の肉食蝿に囲まれ身動きが取れず、空調くうちょうも機能していないこと、等々。


 あらかた話終えるが反応がない。こいつは本当に聞いているのだろうかと不安になってきたところで、ようやくディアスから通信が返ってきた。


「そういうことでしたら解決策かいけつさくはあります。あまり、気乗きのりはしませんが……」


「え、あるの?」


 助けを求めるために通信をしているのだから、あると言ってもらわねば困る。


 ただ、こうもあっさりと策があるなどと言われれば驚くのも無理からぬことであった。


「すまないが、その解決策とやらを早急そうきゅうに行ってくれないか。こっちはもう暑いわ息苦しいわでまともに頭が働かないんだ」


 ディアスは、ぬぅ、とうなったきり答えない。


 よほど気にくわない策なのだろうか。何だかよくわからないが、マルコとてなりかまっていられる状況ではないのだ。


「ディアスくん、その気がかりとやらは僕らの命より重要なものかい?」


「……そういう言い方は卑怯ひきょうですよ」


不作法ぶさほうであることは自覚している。今は君しか頼る者はいないんだ、それをわかってくれ。それと、本気で暑い」


 はあ、と大きなため息。室内の反響するものから、開放的なものへと音の質が変わった。どうやら外へ出て作業をしているようだ。


「ディアスくん、君は今いったい何をやっているんだい?」


 肉食蝿の羽音と、同乗者たちの、これで助かるのだろうかといった期待と不安の声で聞き取りづらいが、頑張れば話ができないでもない。


「キラーエイプの死骸しがいにワイヤーをくくりつけています。両肩に巻いて、これを戦車で牽引けんいんします」


 そこでようやくディアスのやろうとしていることを理解した。


 肉食蝿たちに新鮮なミュータントの肉を提供してやろうというのだ。キラーエイプの固い肉ならさぞかし噛みごたえがあるだろう。それともこの暑さですぐにぐずぐずに腐るだろうか。


 いいアイデアだ、と言おうとしたところでアイザックが通信に割り込んできた。


「ははっ!なるほど、いいじゃねえか!ミュータントの最後さいごかわすためにミュータントを利用しようってのが最高にクールだ。……で、お前さんは何が気にくわないってんだい?」


「何って……何もかもがだ」


 答えになっていない答えと共にエンジン音が聞こえる。どうやらこちらに向けて出発したようだ。あと少しでこの蝿地獄はえじごくから抜け出せるのだろうかと考えると、身体中から力が抜けて倒れてしまいそうだ。


 生還せいかんの希望に沸き上がる撮影班とは対照的に、ディアスは腕を組んでうなだれていた。


(命を賭けて戦った相手の死をもてあそんでしまった……。俺って奴はいつもそうだ、戦士の尊厳そんげんを大事にしたいと言いつつ、死体の利用法ばかり思い付く。ひょっとして俺は口先だけのクソ野郎なのではなかろうか。少なくとも、今やっていることはそういうことだよなぁ……)


 そんなディアスの様子を見かねて、カーディルがいった。


「いつまで落ち込んでいるのよ。今まで考えてこなかっただけで、首を斬った後の始末は肉食蝿がやっていたんじゃないの?」


「結果として同じだとしても、利用してしまったということがなぁ……」


「どんな理想を並べたところで、人間とミュータントの関係なんてそんなものよ。あなたは生きるために全力を尽くした、それでいいじゃない」


 突如とつじょ、カーディルが


「げぇ……ッ」


 と、唸り速度を緩めた。何事だろうかとディアスも首をかしげながらスコープをのぞく。


 納得した。驚きと不快感がごちゃ混ぜになったような感想しか出てこない。これは確かに、げぇ、としか言いようがないだろう。


 装甲トラックらしきものが、黒い瘴気しょうきおおわれている。そしてそれはよく見れば肉食蝿の集合体であるらしいのだ。


 害虫が大量に集まってうごめく光景は、なぜこうも人間に不快感を抱かせるのか。


 ディアスは何も言えなかった。口を開けば蝿が飛び込んでくるような錯覚さっかくすら覚える。


「このまま放っておいて、逃げるっていうのはどう?」


 カーディルが本気とも冗談ともつかぬ口調でいった。


「そういうわけにはいかないだろう。あくまで最後の手段だ」


「おい、選択肢せんたくしに入れるな!」


 ディアスの答えに、アイザックが叫んで割り込んだ。いざとなったらこいつは本当にやる、ディアスはそういう男だとアイザックにもようやくわかってきた。


 例えばカーディルの身に危険がおよべば、どちらを取るかなどと迷うことすらしないだろう。


「心配するな。全員が助かる方法を考えている」


「だといいんだがなぁ……」


 淡々たんたんとした口調が、頼もしくもあり、不安でもあった。


 装甲トラックに近付くにつれ、肉食蝿が数匹飛んできて戦車に取りついた。カーディルはそれを正確に知覚ちかくした。まるで自分の身体に蝿がまとわりついたような気分だ。高性能のレーダーがこのときばかりはうらめしい。


「ねえ、そろそろワイヤーを切り離してもいい?」


「まだまだ遠い。蝿たちをもっと引き付けるんだ」


「うへぇ……」


 キラーエイプの死骸を引摺ひきずり、肉食蝿の群れへと近づいてゆく。装甲トラックを覆っていた黒いドームがぐにゃりと歪み、空を覆うほど大きな獣のように戦車へと向かってきた。


「うわぁ!来た、来たぁ!」


「よし、ワイヤー切り離し!そのままトラックの脇をすり抜ける!」


 留め具を解放すると、キラーエイプの死骸は砂ぼこりをあげて数度転がり、放置された。そこに肉食蝿の群れが襲いかかり白い毛の一本も見えなくなった。


 まだ未練みれんがましく残っているのが数匹はいるが、戦車、トラック共に肉食蝿の脅威から解放された。とはいえ、キラーエイプが食い尽くされるまでの制限付きであり、あまりのんびりともしてはいられない。


「博士、そちらはどうですか。動けますか?」


「あぁ……クーラーすっごい涼しい」


 マルコの気の抜けた声が返ってきた。ディアスは自然と振り向いて、カーディルと視線を交わす。


「……大丈夫そうね」


「そうだな」


 こほん、とひとつ咳払せきばらいをして話を進める。


魔除まよけのお札もご利益りやくが永遠とはいきません。早急にこの場を離れましょう。自走は可能ですか?」


「ちょっと待ってね。システム的には問題ない。運転席、どうだい?」


 マルコの問いかけに返事はない。どうしたのかと覗き窓から運転席の様子を伺うと、運転手はひどく汗をかいて丸まっていた。


 熱もさることながら、前方の視界に蝿がびっしり取りついた光景を見せつけられながら羽音に囲まれていたのだ。緊張きんちょうの度合いも後部荷台にいた者たちよりもずっと大きなものであっただろう。


 振り返って首を振って見せると、アイザックが


「じゃあ、俺が運転しよう」


 と、いってさっさと後部扉を開けて出て行った。すぐにまた扉を開けて、引きずり出してきたらしい運転手を軽々と中に放り込むと、また運転席へとついた。


 青い顔をして震える運転手を、寝るスペースを用意したり、水を差し出したりと皆が甲斐甲斐かいがいしく世話をする。蝿に囲まれる恐怖をよく知ったからこそであろうか。


(現金なものだ。ついさっきまで水に手を伸ばす者がいれば殺気にあふれた視線を向けていたくせに……)


 だが、それをもって人間の本性だなどと言うつもりはなかった。人助けなんてものは自分に余裕があってこそできるものだ。自己犠牲の精神を発揮はっきしなかったからといって責められてはたまったものではない。


 少なくとも、肉食蝿に囲まれたときに自分が責任者としておとりになって皆を助けようなどという高尚こうしょうな考えは毛ほどもなかった。


 戦車の先導せんどうで街へと向かう。これでもう大丈夫だろう。運転手も衰弱すいじゃくしているが命に別状はなさそうだ。


 マルコは気を取り直して映像を見返すことにした。生き残ることに必死で頭から抜け落ちていたが、本来の目的はこれである。


 戦車とキラーエイプの戦いは途中までしか撮れていない。両者ともに高速で離れていってしまったからだ。序盤じょばんの戦いが迫力満点なだけに、惜しいことをした。


(もっとも、この戦いに付いて行こうとしたら、どんな形で巻き込まれたかわかったもんじゃない。遠目の映像は無いが、後で戦車の車載しゃさいカメラのデータをもらうことで我慢しよう)


 ミュータントに直接襲われればどうなるか、よく知っているだけに切り替えの早いマルコであった。


「やはり、蝿蛙とアイザックの戦いをメインに持ってくるしかなさそうですなぁ」


 いつの間にやら後ろに回り、マルコの肩ごしにモニターを見ていたベンジャミンがいった。


 蝿蛙ならば発見から交戦、撃破までしっかり撮れている。これを編集すればなかなかの映像に仕上がるだろう。


 もっとも、蝿に囲まれてからはカメラにも蝿しか映っておらず、そこからはどうしようもないが。


「車内にもカメラがあればいい感じのパニック映画が撮れていたかもしれませんなぁ!いや、残念!」


「よしてくれ。自ら進んで恥をさらしたいとは思わない」


 喉元過のどもとすぎれば熱さを忘れる、とはこいつのためにある言葉だなとあきれつつも、一方でこの世界で生きていくにはこれくらいのメンタルでちょうどいいのかもしれないとも思うマルコであった。


「すまない、ちょっといいか……?」


 と、アイザックが運転席から通信を入れてきた。彼には珍しく遠慮えんりょがちな声だ。


「今日、明日ってわけじゃなくてもいいから、俺のバイクを回収しちゃあくれないか?もちろん、回収費用は出すからさ」


「街のすぐ近くならともかく、こんな危険地帯に回収車をよこすっていうのもねぇ。いい機会だから買い換えたら?」


「あんなクソデカバイク、そうほいほいと乗り捨てられるか、高いんだよ!なぁ、頼むよ。別にどこか壊れたから置いてきたってわけじゃないしさぁ」


「それなら後日、俺たちが護衛ごえいに付こう。いや、回収車を出すまでもない。バイク一台くらいなら戦車で牽引できる」


 救いの神は前方から現れた。冷たいのか親切なのかよくわからない男、ディアスだ。


 その後ろから


「引っ張るのは私だけどー」


 と、呟く女の声が聞こえるが、これは無視しよう。


(やはり、最後に頼れるのはこいつだなぁ……)


 回収の目処めどが立ったことで満足げにうなずくアイザックであった。


「数日後、ここに来たらまだ肉食蝿がわんさかいたってことにもなりかねないし、何か対策が必要だねぇ。殺虫剤散布装置とか、火炎放射器とか、虫の大群に効果のありそうなやつ」


 ここぞとばかりに営業を始めるマルコ。言っていることは確かに正しい。ディアスは少しだけ考えて、いった。


「改造費用はアイザックにつけておいてください」


「えっ?」


 世の中、何もかもが上手くいくはずもなし。諸行無常しょぎょうむじょう、そんな言葉を心の中で噛みしめるアイザックであった。

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