第51話

 アイザックの武器内蔵型義肢ぶきないぞうがたぎしを使った逆転勝利に、数百メートル離れた撮影班さつえいはんの装甲トラック内で歓声かんせいき起こる。


 秘密兵器の本領ほんりょう発揮はっきしたことでマルコは満足げであったし、つい先程までアイザックとののしいをしていたベンジャミンも今はしみなく称賛しょうさんを送っていた。


 ヘッドホンを通して伝わる彼らの喜びに、くさいような気分になりながら倒れたバイクを起こした。後方にそなえた収納庫しゅうのうこからチェーンソーを取り出そうとしたところで、異変いへんに気付いた。


 ぶぅぅん、とうなり声のような音が聞こえる。だが、振り返るとそこには蝿蛙はえがえる死骸しがいと数匹の肉食蝿にくしょくばえがいるだけだ。くぐもった音が蝿蛙の腹のなかから聞こえるような気がする。


 いぶかしげに見ていると、蝿蛙の腹が少しずつふくららみ始めた。


 大きくなるどころではない。風船ふうせんに空気を送り込み続けるがごとく、際限さいげんなくふくらみ続けるのだ。同時に奇妙な音も腹のなかでひびいているかのように音量を上げている。


 限界を超えて風船に空気を入れればどうなるか。今、何が起こっているのかよくわからないが、とにかくまずい気がする。


 アイザックは首の切断を中止してチェーンソーを放り出しバイクにまたがった。とどめをすべきかと一瞬迷ったが、蝿蛙はすでに死んだように見えるし、この現象は蝿蛙の生死とは別問題のように思えた。


 迷ったらとにかく離れろ。ハンターのことわざに従い、アクセルを全開に吹かした。


 直後、蝿蛙の腹が破裂はれつした。天に舞った体液と肉片が重力に引かれ、凄惨せいさんなにわか雨のごとく、べちゃべちゃと荒野に叩きつけられる。


 そして、完全に息の根が止まった蝿蛙の死骸から瘴気しょうきのように黒い影が不気味な唸りと共にき出てきた。


 いや、それは影ではない。大量の肉食蝿である。数百か、数千か、次第に増え続け、1万にもたっした。


「次から次へと何だよ畜生ちくしょう!」


 必死に逃げるアイザック。それを追う1万の肉食蝿。本来、肉食蝿は死肉か弱った相手にしかたからない。だが、これほどの数を揃えれば攻撃的になり、追い付かれればアイザックの巨体も数分で食い尽くされるだろう。


 冗談ではない。ハンターの死に様は大抵がろくなものではないが、生きたまま蝿に食われるなど最悪も最悪だ。


  走りながら何度も振り返り、義肢のショットガンを撃ち込んでやった。その度に数十匹の肉食蝿が落ちるが、焼け石に水といったところである。


 装甲トラックに追い付き、バイクを乗り捨ててコンテナ状の荷台の後方扉を激しく叩いた。


「開けろ、開けてくれ!」


 撮影班たちは少し迷っていたようだが、マルコが鋭く


「開けろ!」


 と、叫び、ベンジャミンが有無うむを言わさず扉を解放した。アイザックが転がり込むとすぐに扉を閉める。


「畜生、なんてこった!」


 荒く息をつきながら、一緒に入り込んだ数匹の蝿を叩き潰した。


 ふとモニターを見ると、4台全てに蝿、蝿、蝿。黒い砂嵐におおいくされていた。四方八方しほうはっぽうから伝わる羽音、その不協和音ふきょうわおんで頭がおかしくなりそうだ。


「助けてください!外、ガラス一面、蝿がびっしりで!」


 運転手から悲鳴に近い救援要請きゅうえんようせい。だが、今はどうすることもできない。カメラしではない、ガラス1枚をへだてて肉食蝿の大群たいぐん対峙たいじしているのだ。荷台部分にいる者たちよりも恐怖の度合どあいはずっと大きいだろう。


「落ち着け、やつらに防弾ガラスを突破する力は無い!」


 マルコが一喝いっかつすると、次に撮影班全員に語りかけた。


「さて、これからどうするか、だ……。視界しかいふさがれて身動きが取れない。適当てきとうに走って岩に激突げきとつして、穴でも空いたらそれこそ一大事だ」


実弾じつだんの効果が薄いのは実証済じっしょうずみだ。この車に殺虫剤さっちゅうざい散布機能さんぷきのうとか、火炎放射器かえんほうしゃきとかないのかい?」


「こんなこともあろうかと……って、言えればいいんだけどねぇ」


 荷台のなかに重苦しい空気が流れる。予定外の大男を二人も入れたせいで窮屈きゅうくつでもあった。


「こうなると、たのみのつなはよそで戦っているディアスくんたちだね。彼らが戻るのを待とう」


「あいつらが白猿しろざるに負けている、ってことはないですかね?」


「ない」


 ベンジャミンの不安をマルコは一蹴いっしゅうした。ディアスたちの活躍をずっと見守ってきたマルコである。彼らの強さを誰よりもよく理解しているつもりだ。


「戦車に蝿殺しのできる、いい感じの武器がつんであるのか?」


「そう都合つごうよくもいかないさ。工場に戻って何か取ってきてもらうんだ。全速で飛ばせば、半日で往復おうふくできるだろう」


「このまま半日か……」


「水はある、食料もある。簡易かんいトイレもあるし空調くうちょうも効いている。せまいのとうるさいのとを我慢がまんすればなんとかなるさ」


 こうして話している間にも、ずっと1万匹の羽音が伝わってくる。半日、発狂はっきょうしないでいられるかどうかだ。


 さらに、ここにずっととどまっていれば他のミュータントがやってくるかもしれない。かもしれない、かもしれないと不安だけが積み重なる。


 黙っていると羽音ばかりか聞こえて不快感ふかいかんつのるが、こんなとき何を話せばいいのだろうか。


「えーと、こいバナでもするか?」


 ベンジャミンが顔に似合わぬことをぼそりと呟く。


「この面子めんつを見てからものを言え。どこをどうしたって恋のロマンスにはほど遠いぞ」


「なんだアイザック、お前は結婚とかしていないのか?」


「昔はしていたさ。死に別れたがね」


「そうか、悪いこと聞いたな……」


 言葉に詰まるベンジャミンに、アイザックは吐き捨てるようにいった。


「気にするな。あまりにも金遣かねづかいが荒いもんだから後頭部にショットガンぶちかましてやっただけだ」


「……ああ、本当に気にして損したぜ」


 つつ、とひたいから汗が流れ落ちる。室内の気温が上がっているのか、やけに暑い。


「なあ、やけに暑くねえかい?」


「呼ばれてもねえのに勝手に入ってきた大男がいるからな。暑苦しくもなる」


 自分のことなどたなにあげるベンジャミンに、マルコと撮影班たちは冷ややかな視線を送った。


 確かにこの暑さは異常だ。機材きざい冷却れいきゃく考慮こうりょして、設定温度は20度にしてあるというのに息苦しさを感じる暑さとは何ごとだろうか。


 マルコが部下にシステムチェックを命じるとすぐに答えは返ってきた。それも、悲鳴という形で。


吸気口きゅうきこうに異常発生!は、蝿が……」


「蝿?」


 エアコンの吸気口には高性能の防塵ぼうじんフィルターを使っており、砂粒すなつぶひとつ通さないはずだ。今さら蝿が何だというのか。


「吸気口に蝿がびっしりと詰まっています!エアコンが正常に作動しません!」


「なにぃ……?」


 車内に動揺どうようが走る。この灼熱しゃくねつの荒野で空調の効かない箱の中にいればすぐにきだ。のんびりと助けを待つという前提ぜんていくずり、制限時間までつけられたのだ。


 早急そうきゅうに何か対策たいさくを立てねば全滅ぜんめつする。蝿の看守かんしゅ見張みはられたまま男臭い牢獄ろうごく衰弱死すいじゃくしなど、絶対に遠慮えんりょしたい。


 だが、どうすれば?


 そもそも肉食蝿の目的は何か、何のために集まっているのか。その名の通り肉を食らうことだろう。


 では虎口ここうを逃れる一番確実かつ、手っ取り早い方法は誰か一人を後方の扉から蹴落けおとしておとりにすることだ。そうなると誰がという話になる。


 マルコからすれば、ベンジャミンはまず除外じょがいしたい。腕のいい整備士は兵器工場の財産だ。人材ばかりはラインに乗せて大量生産とはいかない。


 他の部下たちにしても同様であり、社員を犠牲ぎせいにして帰ったとなればマルコと工場の名に大きく傷がつく。信用問題だ。


 やはり犠牲になってもらって後腐れないのはアイザックであろう。特殊義肢を使う協力者の存在は惜しいが、補充ほじゅうがきかない訳ではない。ハンターがミュータントとの戦いで命を落とすのもごく自然なことだ。


 もっとも、これらはあくまでマルコの都合つごうであって、アイザックが自己犠牲じこぎせいの精神を発揮はっきしてくれるとはとうてい思えない。


 戦力や体格差という意味では全員で一斉いっせいおそいかかったところで彼一人に勝てるとは思えない。漆黒の義手が妖しい光を放つ。


(ディアスくんの言っている意味がようやくわかった。いつでも撃てる状態の散弾銃が目の前にあるというのも嫌なものだな。特に今のような緊張状態では、何のはずみでズドンといくかわかったもんじゃない……)


 ふと、アイザックと目があった。彼もまた黙って鋭い視線を向けていた。同じように、誰をにえひつじとして災厄さいやくささげるか考えていたのだろうか。


 よくよく考えれば、マルコだけが安全地帯にいるわけではないのだ。この場の最高責任者を殺し、全員が共犯者きょうはんしゃとして意識を統一とういつし口をつぐむことだって充分に考えられる。


 博士は我々を助けるために一人で外に出ていきました。そんな美談が墓標ぼひょうきざまれるのだ、冗談ではない。


 熱気ねっきと緊張で頭がくらくらとしてきた。みな苛立いらだちも限界げんかいに近い。何かのきっかけひとつで殺し合いでも始まってしまいそうな雰囲気ふんいきだ。


 ザザッ、と通信機に雑音が入る。


「うおわっ!」


 思わず叫んだのはマルコか、ベンジャミンだったか。少なくともここで驚いたのは皆、同じであっただろう。


「どうも、こっちは終わりました。そちらの様子ようすはどうですか?」


 場違ばちがいな、のんびりとした声。ディアスがキラーエイプを仕留しとめたらしい。


 確かに皆の感情は爆発した。ただし、その矛先ほこさきあわれにも何も知らぬディアスに向かってだが。


「何がどうですか、だ!この馬鹿野郎!」


「早く来てくれ、こっちは大変なんだ!」


「いいぞ救世主メシア!ただのムッツリ助平スケベじゃなかったんだなお前は!」


 ヘッドホンから耳に叩きつけられる支離滅裂しりめつれつ轟音ごうおん。誰も彼もが言いたい放題である。


「何これぇ……」


 カーディルがぼそりと呟く。本当に、わけがわからない。

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