第50話

 アイザックは巨大なバイクにまたががったまま、ベルトを袈裟懸けさがけに背負った大口径ライフルを掴み、まっすぐに構える。


 新調しんちょうした義肢のおかげか、以前よりもずっと楽に扱うことができた。


(こいつはいい……いけるぞ!)


 義肢のパワーに満足しながら銃床じゅうしょうを右肩に当て、スコープをのぞいた。体が安定してピクリとも動かない。さながら荒野に突き立った固定砲台こていほうだいのごとく。


 スコープとレーダーを交互に見ながらじっと待つ。ひたいから汗がにじみ出しほお鼻筋はなすじつたってあごからしたたり落ちる。だが、そんなことはお構いなしに待ち続けた。


 レーダーの反応はさらに強くなり、やがてスコープにも異形の影をとらえた。


 荒野に似つかわしくない、ぬらぬらと光る巨大なかえるだ。ワゴン車くらいの大きな体、その背にははえのもののようなうすい羽がひらひらと舞っている。


 見たことはない。だが、酒場での噂話うわさばなしに聞いたことがある。羽の生えた巨大蛙、その名を蝿の王、ベルゼブルといった。


神話級しんわきゅうの名前を付けるとは、名付け親はちょいと気取きどりすぎじゃねえか?でかいだけの間抜けヅラの蛙じゃねえか)


 ハンターのなかにはそういった格好かっこうの付け方をするものは意外に多い。命を賭けるからこその現実主義と、命を賭けるからこそのロマンが同居した混沌こんとんの世界だ。


 酒場に行けば自称じしょう魔弾まだん射手しゃしゅが2、3人はいるし、アイザック自身にもあまり他人ひとに言いたくない過去がいくらか思い当たる。


 また、敵の強さを大袈裟おおげさに広めておけば、それを討伐したときの名声も高まるという実利的な部分もあった。


阿呆アホのロマンスになんか付き合っていられるか。あんな奴、蝿蛙はえがえるで十分だ)


 さて、その蝿蛙であるが、まだこちらに気付いていないようだ。たまたま近くに来ただけらしい。


 ここでアイザックは1つの選択を迫られた。先制攻撃をするか、しないかだ。


 今撃ってしまえば頭に当たるかもしれない。一撃で倒すことができなくとも、体のどこかに命中させればその後の戦いはかなり有利になるはずだ。


 一方で、蝿蛙がこちらに気付かずそのままどこかへ去っていく可能性を考えると、わざわざ危険を呼び込むような真似は護衛ごえいとして失格だ。


 プロとしての意識がアイザックに攻撃を躊躇ためらわせた。彼自身が言ったのだ、3体目が出てこないとも限らない、と。危険はできるだけ避けるべきだ。


 本音を言えば撃ちたい。中型ミュータントを討ち取って己の力を証明したい。


 ディアスたちの力量は認めているし、恩もある。まだ短い付き合いではあるが、彼の木訥ぼくとつな人柄には友情のようなものすら感じている。だが、ハンターとして彼らよりおとっているなどと思われることは耐えられない。


(戦車がなんだ、俺はバイクとライフル1丁でやってきたんだ……)


 と、いった矜持きょうじがあった。


 アイザックのよこしまな願いが通じたか、あるいはねばっこい視線がからいたか、蝿蛙が歩みを止めて振り向いた。


(目があった……ッ!)


 考える間もなく鋼鉄の指は引き金を絞り、ライフルから暴力の化身けしんのごとき砲弾が放たれた。


 強力な義肢が反動を抑え込み、弾丸は理想的なコースを突き進む。


 最高の手応えだ。これでもらった。そう確信した瞬間、蝿蛙の姿がスコープから消えた。必殺の弾丸は虚しく後方の岩を粉砕ふんさいしたのみであった。


(どこだ、どこへ消えた!?)


 スコープを覗いたままライフルを左右に振って探すが見つからない。目を離してレーダーを見やると、蝿蛙は右に10メートルほど離れた岩場いわばかげにいるようだ。その巨体は収まりきらず、ちらちらと頭が見え隠れしている。


(一瞬でそこまで移動したのか、だがどうやって?いや、そんなことはどうでもいい。岩に隠れているつもりなら好都合だ。この銃なら岩ごどつらぬいてやれる!)


 次こそはと放った追撃の弾丸だんがん。だが、砕かれた岩の残骸に本来あるべき蠅蛙の姿は無い。


 今度ははっきりと見えた。奴は跳躍ちょうやくしたのだ。フライんだのではない、ジャンプんだのだ。


 太陽に隠れるほどのすさまじい跳躍、そして地響じひびきを上げて着地、さらに跳躍して距離を詰めてくる。


(いや、飛べよ!羽があるんだから!)


 アイザックの疑問ぎもん驚愕きょうがくはもっともではあるが、そもそも昆虫は体重が軽いからこそ薄い羽でも飛べるのであってつんいの状態で高さ2メートルほどもあるミュータント蛙が飛行できようはずもない。


 スコープを使わずともはっきりと見える距離にまで近づいた。数匹の肉食蠅にくしょくばえが蛙の身体からだにたかっている。どうやら蛙のぬめぬめとした体液を吸って生きているようだ。蠅の王、その身体こそが王国だということか。


 敵の姿が見え、危険が迫ったことで逆にアイザックは腹をくくり落ち着きを取り戻した。


 再度の跳躍、これを待っていた。一気に距離を詰めての強襲きょうしゅうは恐ろしいものだ。しかし、空中で体勢たいせいを変えることができないのもまた道理どうりである。落ち着いて対処すればいいまとだ。


「蛙ははらわたぶちけて死ぬのがお似合いだ!」


 太陽を直視する危険があるのでスコープは使わない。だが、この距離ならば命中させる自信があった。


 裂帛れっぱくの気合いと共に三度みたび放たれた弾丸。蝿蛙のでっぷりと丸まった腹を貫く、はずであった。


 空中で蝿蛙の体がすっとスライドし、弾丸はなんの成果もあげず空を切った。


「なんじゃそりゃあ!?」


 ふざけるな、とでも言いたげに歯がみするアイザック。背中の羽は自在じざいに飛べるようなものではなくとも、少し滑空かっくうするくらいはできるらしい。


 酒場でこいつの名前は聞いた、外見の特徴とくちょうも聞いた。だが、注意すべき攻撃方や弱点などといった情報は出回っていない。


 ハンターにとってそうした情報は飯の種であり、ごく限られた上級のハンターにしか狩れない敵として難易度を上げて賞金を吊り上げる意味もあった。


(どう考えたっておかしいだろ……)


 少し前まで、アイザックもそれは当然だと思っていた。最近はミュータントの脅威やハンターのあり方について考えることが多くなり、情報の独占どくせんなどおろかな真似としか思えなくなってきた。ミュータントは本来、人類が一丸となって立ち向かうべき相手ではないのか。


 段々だんだんと腹が立ってきた。プロフェッショナルを気取っているくせに大局たいきょくの見えない同業者たちも、ちょこまかと動き回るクソ蛙にも。


 蝿蛙の跳躍、その巨体で押し潰そうとするのをアイザックは左手一本でハンドルを操り避ける。右手に構えたライフルで反撃するも、軽快けいかいな動きでこれも避けられる。


 残弾数ざんだんが心もとなくなってきた。予備の弾丸はバイクに大量に積んであるが、銃が大きい分、装填そうてんにも時間がかかるため敵の目の前でやるわけにもいかない。


(もっと引き付けなけりゃあな……ッ!)


 あせる心を抑え込み、ハンドルをさばく。蝿蛙の落下地点より2メートルという位置をとった。落下の振動が伝わり、砂ぼこりが汗に貼り付く。


 この距離ならば、と引き金を引くが、同時に蝿蛙の長い舌がぶぉんと重い音を立てて横殴よこなぐりに襲ってきた。


 乾いた空気を引き裂く発射音。しかし、弾丸は蝿蛙の脳天ではなくあらぬ方向へ飛び去った。


 アイザックの右手に舌が絡み付いているのだ。すさまじい力で締め上げられ、ガシャリと大口径ライフルがその場に落ちる。


「う、うおぉぉ!」


 パワー比べにもならなかった。バイクは倒れ、アイザックはそのまま引きずられる。あわれ、地獄じごくから生還せいかんした不死身のハンターも、ついには羽虫のごとく蛙の食事と成り果てるか。


 まずは右手が口の中へ突っ込まれる。


 突如、蝿蛙の後頭部が破裂はれつした。緑とも紫とも名状しがたい体液を撒き散らし、仰向けに崩れ落ちた。


「こいつが奥の手ってやつよ!」


 太陽を背にして堂々と立つ者、アイザック。包帯の取れた漆黒の義手を高々と上げて勝利を宣言した。




 ピクリ、とカエルの腹がうごめく。


 この時はまだ知らなかった。なぜ蠅の王、ベルゼブルなどといった大仰おおぎょうな名前が付けられているのかを……。

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