第43話

 煉獄れんごくの炎のごとき色を宿やど双眸そうぼう射竦いすくめられ、ディアスの動きはふうじられた。


 地獄じごくからもどる時間もしいとばかりに現れた二体目の人馬。丸腰まるごしで中型ミュータントと対峙たいじせねばならないという最悪の場面だが、ディアスの眼から生への執着しゅうちゃく、その光は消えていない。


(この状況でカーディルが何もしないわけがない。敵の一撃いちげきふせぎさえすれば、あとは何となる!)


 腰を落として、どの方向にもすぐに走れる体勢たいせいをとった。しくも先程さきほどの人馬と同じような立場となったのである。


 激しく首を振り、よだれをらしながら、人馬は砂ぼこりをりあげて猛烈もうれつ突進とっしん仕掛しかけてきた。


 ぎりぎりまで引き付けて、よこびにかわした。


 成功だ。そう思った瞬間、足首にするどい痛みが走り、体が浮遊感ふゆうかんに包まれた。


 敵はただのけだものではない。人間の腕はかざりでもない。腕を伸ばしてディアスの足首をつかみ、棒切ぼうきれでも扱うように振り上げたのだ。


(このままたたきつけるつもりか……!?)


 視界が激しく揺れ動く。


 衝撃しょうげきそなえ、とっさに頭をかばう。だが、衝撃はまったく別の所からやってきた。


 人馬の側面そくめんに黒い鉄塊てっかいがぶち当たる。砲身ほうしん邪魔じゃまにならぬよう、砲塔ほうとうを少し旋回せんかいさせた戦車の突撃であった。


 人馬が苦悶くもんうなりをあげるが、倒れない。その場でとどまった。


 空中で放り出され、大地に受け身をとるディアス。足首が痛むが気にしている余裕はない。自分が今やるべきことは何か、視線を左右に走らせライフルを探した。


「このままくたばりやがれぇ!」


 よろめく人馬にカーディルは再度さいど、突撃を仕掛ける。


 人馬は避けようともしなかった。それどころか、正面から受けてたち、両手で正面装甲を掴んで戦車の突撃を押さえ込んだのだった。


「うそぉ!?」


 カーディルが驚愕きょうがくの声をあげる。それは悪夢か現実か。いずれにせよ信じたくはない。


 人馬は巨大な歯をむき出しにして食いしばり、手足に青筋あおすじを浮かび上がらせ、全身全霊ぜんしんぜんれいでカーディルの動きを封じにかかった。


 いや、それどころか徐々じょじょに戦車が持ち上げられていた。30度、40度と角度がつけられていく。


(まさか、このままひっくり返すつもり……?)


 脳裏のうりに、甲羅こうらを下にしてもがく亀のイメージが思い浮かんだ。


 不可解ふかかいな動き、無謀むぼうな行動。そのしん意図いとに気付いたとき、カーディルは息が詰まるほどの焦燥しょうそうおぼえた。汗がにじみ出て、のどが痛いほどにかわく。


「やらせるか、この……ッ!」


 拘束こうそくからのがれるために履帯りたいを高速で回転させるが、接地面せっちめんが少なくなった分、人馬にかかる抵抗ていこうおさえられてしまった。


 慌てて砲塔を旋回させてみたりもしたが当然、何ら意味はない。


 二本足で立ち、今まさに戦車をひっくり返して無力化させんとする人馬に、ライフルを拾い上げたディアスが片膝かたひざを立てて狙いを定めた。


 狙撃そげきには明確めいかくな目的がなければならない。では、今重視するべき点は何か。


 戦車をつぶされることだけはなんとしても阻止そししなければならない。こちらに注意を向けてくれればなお良しだ。


 ディアスの位置からでは、人馬の頭部は戦車を持ち上げる腕にはばまれ狙いがつけられない。また、基本的にミュータントの頭部は弱点であると同時にもっとも硬い部分でもある。いちばちかのけには出られない。


 ならば、とディアスは人馬の右腕に向けて次々と撃ち放った。肉がえぐれ、小指と薬指が弾け飛び、骨が露出ろしゅつし、それでも人馬は止まらない。ディアスを一瞥いちべつするのみで、標的を変えようとはしなかった。


(奴も優先順位ってやつを理解しているということか。今まで倒してきたミュータントどもは、わりとすぐに挑発ちょうはつに乗ってくれたんだが……)


 戦車が倒されるのが先か、人馬の右腕が千切ちぎれるのが先か。ディアスは一心不乱いっしんふらんに撃ち続けた。


 人馬も相当に苦しいのだろう、泡を吹きながら戦車を支えている。だが、倒れない。露出した骨が予想外に硬く、腕を完全に破壊するまでに至らないのだ。


 突然、人馬の左足の肉が弾けた。何事だ、と疑問がける間もなくもう一発、低く唸るような風切り音。左足首に命中し、大きく抉り取った。その威力からして、ディアスのライフルよりもずっと大口径の銃のようだ。


 人馬の巨大がぐらりと揺れる。状況はよくわからないが、とにかく好機チャンスだ。


 腕、足、そして射線しゃせんいた頭部へと、次々に弾丸を撃ち込んだ。人馬を挟んで反対側からも大口径の弾丸が放たれ、その肉体を破壊はかいした。


 手足のみならず、胸や腹も骨がしになった部分があり、人馬は生きながらにしてゾンビのような姿となりその場に崩れ、戦車の下敷したじきとなった。


 闇夜やみよ静寂せいじゃくが戻り、耳の奥に残った銃声がキィィンと音を立て痛み出した。


「終わった、のか……?」


 数多くのミュータントと戦ってきたディアスでさえ、こいつは非常識ひじょうしきだとしか思えなかった無尽蔵むじんぞうの生命力。


 もう戦う力があるはずもない。それでも立ち上がってくるのではないかという不安にとらわれ、ライフルをかまえたままその場を動けずにいた。


 履帯が逆回転し、人馬の皮をけずりながら、その身体の上から降りた。


 そしてまた、前進。


 何をする気だ、とディアスが止める間もなく、戦車が人馬の頭部へと乗り上げた。


(こいつはディアスを殺そうとした!ぶち殺してやる、挽肉ミンチになってくたばりやがれ!)


 その姿は夜叉やしゃ魔人まじんか。鬼気迫ききせまる表情で前進するカーディル。履帯が人馬の頭部をくだき、ウシガエルの鳴き声のような断末魔だんまつまも、駆動音くどうおんにかき消された。


 がくり、と戦車が一段落ちる感覚。頭部が完全に破壊され、履帯が大地に接したようだ。


 ほっと一息つくカーディルの口元くちもとに浮かんだ、ゆがんだ愉悦ゆえつ。血と脳漿のうしょうにおいをらし、今ここに戦いは決着した。


 やるべき後始末あとしまつは色々あるが、まずは確認しなければならないことがある。なぞの協力者の存在だ。


 ディアスはライフルからスコープを取り外し、正面へと向けてのぞきこんだ。


 切り取られた円のなかに、バイクにまたがった男の姿が見えた。かたわらにけた巨大な銃、それが人馬の足を破壊したものの正体だろう。


 右腕のひじから先はなく、白い骨が剥き出しになっている。その傷の様子ようすから、無くしてからそう時間はっていないだろう。上腕部じょうわんぶに巻き付けた止血帯しけつたいが、見ただけでもわかるほど深く食い込んでいる。


 その男もこちらの様子を探っていたようで、左手で双眼鏡を掴んで覗いていた。こちらに気付くと、双眼鏡を持ったまま手を振って見せる。


 どこかで見たような気がするが、思い出せない。そもそも丸子製作所の関係者以外に知り合いらしい知り合いもいないので、記憶きおく辿たどるのにそう時間はかからなかった。


 結果、該当がいとう無しである。


 男は大型ライフルを背に回し、左腕一本で器用にバイクをあやつりこちらに向かって来る。


 できれば到着する前に思い出したい。まだ敵か味方かはっきりしないという意味では死活問題しかつもんだいですらあった。


 顔は思い出せないが、あの特徴とくちょうある銃ならどうか。そこでようやく思いいたった。あの貧民窟で、人馬の足元に倒れていた男だ。


 少し離れた所にバイクを置いて、いかつい顔に精一杯せいいっぱいの笑顔を浮かべて男はあゆってきた。ディアスよりも頭ひとつ分は大きい。ゴリラと人間の合成ミュータントなのではないかと、本気で考えてしまったくらいだ。


「よう、あんたがあの戦車の持ち主かい。さっきは助かったぜ。あんたがいなけりゃ俺は今ごろ馬のクソだ」


 言いながら、男は左手を差し出す。ディアスは一瞬、何のつもりだか理解できなかった。ハンターにとって腕を預けることは自殺行為であり、禁忌タブーでもある。


 それでもなお握手あくしゅを求める者はただの馬鹿バカか、わなを仕掛けたか、あるいは全てを理解したうえでなお、相手に親愛しんあいじょうしめしたいという覚悟かくごの決まった者か。


 しかもこの男には右手が無いのだ。初対面の男に腕を預けようなどと、警戒心けいかいしんが無さすぎるとしか言いようがない。


 ディアスはあきれていたが、同時にこの男に対して悪い感情も持たなかった。


(うーん……よし、三番だな)


 右手を出しかけて、あわてて引っ込め、左手を差し出す。


「あんたがいなけりゃ今ごろ戦車は破壊されて、俺はなぶり殺しにされていたかもしれん。助かったよ」


 男同士が不器用な笑顔を浮かべ、照明弾に照らされた夜空の下で堅い握手を交わした。


 直前ちょくぜんまで思い出せなかったことはだまっていることにした。

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