第41話

 一面にすみを流したかのような漆黒しっこくの夜。太陽の加護かごなき夢魔むま領域りょういき


 廃材はいざいを組み合わせたバリケードとかがり火に、人々はか細い祈りをたくして眠りにつく。どうせ食われるならとなりの奴にしてくれ、と。


 おびえて眠る貧民窟ひんみんくつから少し離れて、やみのなかで闇よりもい戦車が一両、エンジンをかけたまままっていた。


ひまねぇ……」


「ああ、そうだな」


 何度目になるかわからぬほど繰り返してきたやり取り。ディアスとカーディルが深夜の張り込みを始めてから今夜で一週間。異常なし、としか表現できぬ夜が続いていた。


 一度、まったく別のところにミュータントが現れたこともあった。


「博士の立てた予測よそく、本当に正しいわけ?」


「予測は、あくまで予測さ。そうあせるな、待つのもハンターの仕事だよ」


 獲物えものが来るのをじっと待つ。あるいは脅威きょういが去るのを耐えて待つ。それはハンターにとってよくあることであり、待つための忍耐にんたい必須ひっすスキルである。


 しかし、いつまでも空振りが続けばれてくるのも当然のことではある。


 たとえ戦闘が起こらなくとも警備けいびに付いた分はマルコから日当にっとうが支払われるが、ミュータントを討伐とうばつしたときのがくとは比べ物にならない。


「待つのハンターの仕事、それは正しいわ。待つのハンターの仕事ではないけどね!」


 率直そっちょくなカーディルに対して、不平不満グチを口にはしないものの、この状況にきているのはディアスも同様であった。


 緊張感きんちょうかんを持って一晩中警戒し、徒労とろうに終わって帰って寝るだけ。こんなことが続けばいい加減かげん、嫌になる。無駄むだや徒労が与えるストレスは大きい。


「明日にでも、博士を訪ねてみようか。このままではらちかないと」


「そうね、対策を立て直すか、予測の精度せいどをあげてもらわないと……」


 やるべきことが決まって少し安心したのか、カーディルはそれ以上の文句は言わなかった。


「あいつを倒さないと、また犠牲者ぎせいしゃが増えちゃうからね……」


 カーディルが、どこか複雑な表情で呟く。


「……知っていたのか」


「私、臆病おくびょうだから。周囲の物音とか、話し声とか全部気になっちゃうのよね。馬鹿話ばかばなししながらだって聞こえるわ」


 今でこそ随分ずいぶんと明るくなったが、5年前の事件の恐怖はぬぐいきれず、彼女の本質は臆病なままである。電気をつけたままでなければ眠れないし、ディアスが一緒でなければやはり眠れない。


 ただ、あの頃とは違う成長した部分も確かにあった。


 少し前まで、ディアス以外の人間に興味など示さなかったカーディルである。


 今は美しい義肢を得て自信を取り戻したのか、他人の心配をする余裕もできたのだろうか。誰かがミュータントに食われるというのであれば、できれば助けてやりたかった。


 カーディルが精神的にも強くなったこと、それはディアスにとってたのもしいような、さびしいような複雑な気分であった。


凄惨せいさんな光景から遠ざけようというのは、余計よけい真似まねだったかな……)


 と、己を恥じるばかりである。


 今夜もまた空振りだろうか。眠気覚ましだけを目的としたどろのようなコーヒーの入った魔法瓶に手を伸ばしたところで、突如とつじょカーディルが叫び出した。


「銃声、3時方向に5キロメートル!」


 言い終わらぬうちに戦車は急発進した。


 あちこちに体をぶつけ、壁に手をついてなんとかバランスを取り戻した後、ディアスは端末コンソールを操作して照明弾しょうめいだんの発射にとりかかった。


 ウィィンとうなりをあげて上部装甲の一部が開き、左右に三門ずつの迫撃砲はくげきほうがる。


 垂直すいちょくからななまえへとかたむき、炸裂音さくれつおんを置いてきぼりにするような高速の流星が闇夜を切り裂いた。


 光輝ひかりかがや落下傘らっかさんが照らし出す、異形の化け物。マグネシウムと硝酸しょうさんナトリウムの混合剤こんごうざい、科学があばき出したファンタジックなモンスター。


 赤い眼をした巨大な馬だ。足の付け根から伸びるものは、人間の手足。


 馬の足元、いや手元に男が一人倒れていた。隆々りゅうりゅうとした筋肉、そばに転がる大砲と見紛みまがうばかりの銃器。彼もミュータント討伐に来たハンターだったのだろう。


 踏み潰されたのか、右腕が奇妙な方向にねじ曲がり、自らの血だまりに沈んでいる。


(手足の無い戦車女と、人の手足をもった馬の化け物。対決の絵面えづらとしては悪趣味すぎるじゃない!?)


 さらに加速して、ミュータントに迫る。


 この距離ならば走りながらの狙撃、いわゆる行進間射撃こうしんかんしゃげきでもディアスの腕ならば当てられるはずだ。しかし、彼は動かない。


「ディアス、どうしたの!?」


「ダメだ、奴の後ろに民家がある!」


 外れれば当然、粗末そまつなテントを中の住人ごと粉砕ふんさいしてしまうだろう。ミュータントに当たっても、それが貫通かんつうすれば同じことだ。側に倒れている男にだってどういった影響えいきょうがあるかわかったものではない。


「え、ちょっ、どうしよう?」


「ぬぅ……」


 二人に戦車に乗ったままの市街戦の経験などない。予想外の展開にしばし固まってしまった。


 倒れた男はまだ息があるかもしれない。照明弾はいつか地に落ちる。時間制限という思考のくさり雁字搦がんじがらめにされ、急ぐべき場面に動けない。


 ディアスは視線が、後頭部に突き刺さるのを感じた。カーディルが不安げな目で見ているのだろう。


(こんなときこそ、俺がなんとかしなければ……)


 ふと、壁にけた愛用のライフルが視界に入った。戦車で狩りをするようになってから使用する機会はずっと減ったものだが、訓練は欠かしていないので腕はび付いていないはずだ。


(なんだ、こういう場面は一度経験があるじゃないか)


 力強くライフルを掴む。その眼に、もう迷いはない。


「奴の100メートル先で止まってくれ!それと、いつでも逃げ出せるよう準備を!」


「え?逃げるの、戦うの?」


「両方だ!」


 ハッチを開けて上半身を出し、ライフルを構える。スコープのなかに、今にも食事を始めようとするミュータントの姿をとらえた。


「意中の相手をスマートに振り向かせる方法なんか知らないが、とりあえずブン殴っておけば無視はできんだろう……」


 ライフルを構えた瞬間、ディアスの表情からあらゆる感情が抜け落ちた。冷たい視線が、獲物えもの射貫いぬく。


 ミュータント特有の血の色にかがやひとみに向けて、引き金を引いた。わずか100メートル。ディアスにとっては手を伸ばして物を掴むも同然の距離だ。眼をつぶせればよし、そうでなくとも頭には当たるだろう。


 必殺の弾丸がミュータント馬の頭部にめり込む、はずだった。突如として馬の姿がき消え、弾丸はむなしく闇夜に吸い込まれた。


「馬鹿な、けられた!?」


 衝撃しょうげきを受け、思わずスコープから目を離すディアス。これで倒せるとは思っていなかった。だが、それなりのダメージは与えられるはずだった。


 馬は消えたのではない。手足を折り曲げてその場に身を沈め、つんいになっているのだ。


 殺気に燃える目で、ディアスたちの戦車を睨み付ける。1メートルはあろうかという長い舌を左右に降りながら這い進む。


 どう見ても馬の歩き方ではない。蜘蛛くもを連想させる動きであった。


 あまりにも醜悪しゅうあくな姿に、その口臭が届いて来そうな錯覚さっかくとらわれた。


 狙いをつけてもう一発。これは横っ飛びで避けられた。その一撃を合図に、馬は四つん這いのまますさまじいスピードで突撃してきた。


 これでいい。もっと遠くから狙撃することも可能であったが、視認しにんさせ、追いかけさせるための100メートルという距離だ。


 ディアスは素早く車内に身をすべませた。


「出してくれ、広い所まで引き離すぞ!」


「せめて馬らしくしてよ、もぉ!」


 蜘蛛嫌いのカーディルは背に這い回る悪寒おかんに耐えながら、意地でも捕まってたまるものかと戦車を旋回させ、脱兎だっとのごとく逃げ出した。

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