第34話

 砂塵さじんの町の市場を、一人の女がややぎこちない動きで歩く。


 砂避すなよけのマントで体をすっぽりとおおい黒髪をなびかせ歩く気品きひんあるその姿は、どこかの姫様がおしのびでやってきたのかと、見るものを振り返らせずにはいられない。


 彼女のりんとした美しさは生まれや育ちによってつちかわれたものではない。何よりも深い愛情と、刃物のごとく鋭利えいりな、戦う覚悟かくご昇華しょうかしたものだ。


 美しさをたたえる無数の視線は、ひとによっては快楽であり誇りであろう。だが、今のカーディルにとっては不快なものでしかなかった。


 5年前、手足を失いディアスにかかえられてこの道を通ったときは、あわれみと嘲笑ちょうしょうの視線に囲まれた。


 街の連中は、ひとをそんな目で見ていたことすら覚えていないだろう。問い詰められたって答えられないだろう。やられた方だけが覚えている。


 一人で街に出歩けるようになったのはつい最近のことだ。義肢によって歩けるようにはなったが、街に出たいとも思わなかった。


 リハビリがてらの散歩は工場の敷地内しきちないで行い、ちょっとした買い物も工場内の小さな売店で済ませた。


 赤の他人から、もっと積極的に社会に関わらねばいけないと言われたことは何度かある。


 だが、親しい人間、特にディアスとマルコからそのようなことを言われたことは一度もない。ディアスはカーディルの心情しんじょうを誰よりも理解するがゆえに。マルコは他人の人間関係に興味がないからだ。


 こうして一人で出歩こうと思い立ったのも、別に何かやりたいことがあったわけではない。


 狩りが終わった後、工場での整備依頼やハンターオフィスでの賞金の受取りなどはディアスに任せきりであり、カーディルはいつも先に部屋に戻って休んでいた。


 この待ち時間が、長い。


「君は戦車との神経接続で負担が大きいのだから、休むのも仕事だ。先に休むことにを感じる必要はない」


 ディアスはそう言ってくれたが、狩りの後で疲れているのは彼とて同じだろう。せめて食糧しょくりょうの買い出しくらいは、と考えたのだ。


 市場に来て数分で、すでにめげそうだった。吐き気がする、頭がくらくらする。それは直射日光のせいではなく、義肢の接続がうまくいっていないわけでもない。


 他人の存在、視線が彼女の心を乱しているのだ。もう限界だ。このままでは吐くか倒れるかしてしまいそうだ。


 左右を見回して、手近な店の中年女性の店員に声をかけた。ただの買い物だが、男性店員に声をかける気にはならなかった。


「はい、いらっしゃい」


 返事をされて、さてどうしたものかと戸惑とまどってしまった。なんとなく食い物の店だろうと思って声をかけたのだが、それが何なのかよくわからない。


 粗末そまつな長テーブルに、使い込まれたテーブルクロスがかけられ、その上に小さな箱が並んでいる。


 マジックペンで書いた、手書きの太文字が視界に入る。

 おいしいミートサンド。


 しまった、とカーディルは心のなかで舌打ちした。こういう所で売っている合成肉の軽食はだいたい不味まずい。


 だが、今さら店を代えて歩き回る気にもなれず、ふところから小クレジットを二つ取り出した。


「これ、二つください」


 マントの隙間すきまから出てくる三本爪のロボットアーム。それを見た店員の表情に変化が表れた。


 それは不審ふしんに思ったのではなく、哀れみでも気味悪がったのでもない。

 安堵あんどだった。


 非の打ち所がない、誰もが目を見張る美女がこんなにもみじめな境遇きょうぐうだった。嫉妬心しっとしんやわらぎ、むしろ見下す立場になったという安心感。


 店員が何か言おうとしている。この先何を言われるのか手に取るようにわかった。


 あら、大変ねえ。でもくじけちゃだめよ。生きていればきっといいことがあるから……等々だろう。


 本人は親切だと思い込んでいる自己満足に付き合わされるなど、冗談ではない。


 そんな空気に耐えられず、クレジットを長テーブルに叩きつけて、箱を二つ取ってその場を立ち去った。


「あ、ちょっと……」


 後ろから声をかけられるが、それは無視した。金はぴったりだ、文句を言われる筋合いはない。


 あまりにも惨めな気分だった。涙があふれぬよう、ぎゅっと強く目をつぶる。ガシャガシャと音をたてる鉄の足が今日は一段とうるさく聞こえた。


 別れてから一時間も経っていないが、今はただ、ディアスに会いたい。


 弁当を抱えて鉄の足音を立てて小走りに去る美女は、やはり注目の的であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る