第33話

 ディアスが出ていった後、入れ替わるようにとなりの部屋につながる小さなドアが開き、部屋に入ってきた者がある。


 工場の警備員けいびいん制服せいふくを着た、小柄こがらな女性だ。


「あれがうわさの、博士の恋人ですわね」


「クラリッサくん、気色悪きしょくわるいことを言わないでもらえるかな」


 笑えない冗談にマルコはまゆをひそめる。


 その女、クラリッサは肩まで伸びた金髪をかきあげ楽しげに微笑ほほえんでいた。


 目にはぼんやりと赤く光るゴーグルが装着されており、単眼たんがんのカメラ、モノアイが左右に動く。


「いつもたよりにして、逢瀬おうせを楽しみにして、それでいて思い通りにはならない。だけど決して嫌いになったりはしない。ふふ、これが愛と呼ばずしてなんだというのでしょうか」


「上司でざんするために出てきた訳じゃないだろう。さっきの彼、どういう印象いんしょうを持ったか聞かせてもらえるかい?」


 マルコは先ほどまで壁の向こうにいたクラリッサにそんなことを聞く。監視かんしカメラのようなものが付いていたわけではない。彼女にはえるのだ。


 クラリッサのゴーグルは高性能こうせいのうのサーモグラフィーになっており、周囲しゅういの温度が色分けされて視覚情報として直接脳内に投影とうえいされているのだ。


 これも神経接続式義肢しんけいせつぞくしきぎしの応用である。彼女は生来せいらい、目が見えない。


 人を視て評価し、それを伝えるのはマルコとのコミュニケーションであり、クラリッサの目にはどう映るかというデータ収集の一環いっかんでもあった。


「力強い体躯たいく、優しげな雰囲気。恋人について語るときだけほんの少し上がる体温。一言で表現するならば……」


「うん、一言でいうと?」


荒野こうやの恋するゴリラ」


 マルコは思わず吹き出した。ひどい言いぐさだが間違ってはいない。黒塗りの机に飛んだつばそでき取って、笑いをこらえている。


「あの、博士。何かおかしかったでしょうか……?」


 クラリッサの声に少しだけ不安の色が混じる。ただの日常会話とはいえ、実験の意味合いもあるのだから、いきなり笑い出されては不安にもなる。


 言葉をかざらず、感じたままに言えと指示されているのだが、さすがに突拍子とっぴょうしもなかっただろうか。


「おかしいよ。いや、すごく面白いという意味でね。答えとしては満点だ」


 それから息をととのえるのに十数秒をようした。


 クラリッサはディアスという男の顔も、過去も知らない。おぼろげな輪郭りんかくと体温、壁越かべごしにいた声を知っているだけである。


 博士の反応からすると、よほど雰囲気が恋するゴリラなのだろう。自分で言っておきながらよくわからなくなってきた。


「顔がゴリラってわけじゃないよ、雰囲気、雰囲気がね……ぶふっ」


 笑いながらフォローを入れるマルコ。ますます意味がわからない。


「それにしてもその目は本当にいいな。会話中、相手の体温の変化が分かるのか。会話パターンのデータ収集を進めていけば、うその発見から始まって、相手の感情をこと細かく読み取ることもできそうだ」


 本当に楽しそうに語っている。それは熱を読み取らなくてもクラリッサにハッキリと伝わった。


「その目は……」


 急にマルコはトーンを落として真面目な声を出す。クラリッサは耳も敏感びんかんだ。こちらは神経接続式ゴーグルに頼らぬ、彼女が19年間生きてきたなかでつちかったものである。


「今言ったように、その目の能力は他の人間にはない特殊なものだ。他人にできないことが、君にはできるんだ。それはほこっていいと思う」


 ゴーグルを付けたのは2年ほど前である。それまではずっと、己に自信を持てずふさんでいた。


 両親がたまたま、丸子製作所で働く研究員であったから生きてこられ、優先的に治療ちりょうを受けることができた。


 そうでなければ目の見えぬ子供など荒野に捨てられるか、産まれた途端とたんに製薬会社に売られるのがオチだ。


 博士は目を与えてくれた。そしてそれは代用品として他人におとっているのではなく、クラリッサ自身の強みなのだとはげましてくれた。


 普段は軽口ばかり叩いている彼女も、この時ばかりはむねまって何も言えず、頭を下げることしかできなかった。


めて悪かったね。この先、何か予定はあったかい?」


「射撃訓練でもしようかと……まだ、まとに当たりもしませんが」


 温度を感じる目は暗闇くらやみでも使える。ならば夜間警備やかんけいびに役立てるのではないかと銃の扱いを学び始めた。警備員の格好かっこうをしているのもそのためである。


 マルコはそれについて賛成さんせい反対はんたいもしなかった。自分で考えて、色々やってみるといい。そう言っただけである。


 一礼し、今度は正面のドアから出ていこうとするクラリッサの背に、少し悩んだような声がかかった。


「あのさ、義手が変形して武器になるのって、どう思う?」


 なんと答えたものだろう。どう考えても重くなるし、無駄むだに大きくなるし、故障こしょう暴発ぼうはつのリスクをかかえることになる。義肢を日常生活の為のものと考えれば、これほど矛盾むじゅんしたものはない。


 クラリッサは考えた。自分に求められているのは、正確なデータとして率直そっちょくな意見を述べることである。


 恩義おんぎある相手といえど。いや、なればこそ、ここで遠慮えんりょはするべきではない。


 彼女は振り向き、魅力的な微笑みをたたえていった。


「犬のクソですわ」

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