第30話

 ディアスは研究チームの装甲トラックへと通信をこころみる。カメラが壊れているのか、モニターに映像は出ないが、なんとか音声だけはつながった。


「博士、奴を始末しました。もう外に出ても大丈夫です」


「奴というと……犬蜘蛛かい?」


 マルコの疲れたような、ふるえをびた声が通信機を通して聞こえる。


 この状況で犬蜘蛛以外の何だというのか、マルコ博士らしくもない。そう思ったが、ディアスは相手に合わせて繰り返した。


「はい、犬蜘蛛です。砲撃ほうげきによって仕留しとめました」


 マルコの後方から、どよめく声が聞こえる。


 彼らにしてみればトラックを体当たりで横転おうてんさせ、足で装甲を軽々とつらぬくパワーを見せつけられ、穴からのぞく赤い瞳が強く印象に残っているのだ。


 そんな化け物を、あっさりと始末しまつしたと言われてもにわかに信じがたいのも道理どうりであろう。


「わかった。今からそっちに行くから案内してくれるかい」


 研究員たちにいくつか指示を出し、工場に回収班かいしゅうはん要請ようせいをしてから、マルコは戦車に乗り込んだ。それなりのスペースは確保しているが、やはり三人乗れば手狭てぜまに感じる。


 その姿に、ディアスは少しだけ驚いた。汗で髪がぐしゃぐしゃに乱れ、ひたいに髪が張り付いている。服も乱れ、ついでに眼鏡もズレている。


 いつも余裕たっぷりで、洒落者しゃれものであるマルコの初めての見る姿だ。


 初動しょどうが遅れたことについて何か文句でも言われるかと思ったが、特にそんなことはなかった。マルコは他の誰かよりもまず、自分自身の甘さをめていたのだ。


 犬蜘蛛に襲われ、ただすみで震えることしかできなかった。天才にあるまじき失態しったいだ、と。


「僕はね、兵器開発に関わっていながら、ミュータントを見るのは初めてだっだんだ。どんな奴に向けるかも知らずに銃だけ作って満足していただなんて、滑稽こっけいだな……」


 ぽつり、ぽつりと語り出すマルコ。そこには自信や余裕、自惚うぬぼれといったものを全て取り払った男の本音があった。


「今日、生き延びたじゃないですか」


 なぐさめてくれているのだろう。本当に地獄の底から生還せいかんした男に言われれば説得力が違う。だが、今のマルコにはそんな気遣きづかいさえもみじめさを増幅ぞうふくさせる材料でしかなかった。


 落ち込んだままのマルコを見て、ディアスは話題を変えることにした。


「そちらの被害はどうです?研究員の皆さんは無事ですか?」


「ああ、人的被害は軽微けいびだよ。ちょっと怪我人が出た程度で命に別状はない。小便漏らして男の尊厳そんげんに傷がついた奴はいるけどね」


 くくっとふくわらいをするマルコ。少しだけ調子ちょうしが戻ってきたようだ。


「トラックの運転手が気絶していたのは不幸中の幸いだね。目をましていたら確実に外に出ようとしていただろう。B級ホラーの脇役みたいな目に会わずに済んで本当に良かった。ああ、実に良かった」


 良かったとは言いつつも、その言葉の中には、肝心かんじんな時に失神しやがってという苛立いらだちが感じられた。あまりにも不甲斐ふがいない。


 対して、ディアスは本心からほっと胸をで下ろしていた。もしも死人が出ていればマルコたちとの関係がどうしようもなく悪化していただろう。


 研究員たちの給与査定きゅうよさていにどう響くかは知らないが、とりあえず命があっただけ良しとしてもらおう。


 装甲トラックのある位置から戦車で数分、そこに犬蜘蛛の死体がある。歩いても行けるような距離だが、炎天下えんてんかで小型のミュータントが現れる危険性のあるなか、非戦闘員を連れて散歩などしたくはない。


 犬蜘蛛の死体、もはや肉塊にくかいとでもいうべきものにはすでに肉食蝿が数匹たかっていた。


 マルコは無惨な死体を見て、息をんだ。


「これはまた随分ずいぶんと、エグい殺し方をしたものだね」


 一目で理解した。これは、口のなかに砲弾を突っ込んだのだと。


「……開いていましたので」


 感情のない声でディアスが答える。彼は義理人情にあつい男だが、それはあくまで戦いの外での話だ。


 チャンスがあったから、撃った。淡々たんたんと答える青年の姿を見て、マルコは


(こいつもどこか壊れているな……)


 と、感じていた。悪い気はしない。それでこそハンターであり、優秀な実験材料だ。


 しばし、二人は犬蜘蛛のれのてを見下ろしていた。やがてマルコの目が熱を帯び、口元に愉悦ゆえつ恍惚こうこつの笑みが浮かんできた。


 その口元を手でおおい隠す。鏡を見なくてもわかる。今、自分はひどく品の無い顔をしているのだろうと。


 それも全て、あることに気がついたからだ。


「これ、君たちがやったんだよね?」


 上ずった声で、またしてもわかりきったことを聞いた。


(ディアスくん、どう答える?いや、わかっているさ。無様ぶざまさらして落ち込む男を、優しい君はきっと慰めにかかってくれるだろう!)


「全て、マルコ博士の与えてくれた戦車の力によるものです」


 よくぞ言ってくれた。感無量かんむりょうといった表情でマルコは頷いた。


 当たり前のことだが、犬蜘蛛は戦車を使って倒したのであり、その戦車を造ったのは自分たちなのだ。


 敵に対応できなかったからといって、それがなんだというのか。ミュータント狩りの専門家であるディアスたちと比べること自体が間違っている。


 ついさきほどまで、研究員たちの来月の給与をどうしてくれようかと考えていたが、それは全て撤回てっかいした。


 むしろ今回、本物のミュータントと対峙たいじしたことでその脅威きょういを実感し、兵器開発に役立てる天才集団と成りうるのではないだろうか。給与を下げるどころか大事に扱うべきだ。


 そして、兵器の力を十全じゅうぜんに引き出すこの若者たちを手放すべきではない。どう囲い込むべきかとマルコは頭を悩ませていた。


 実験は終わった、じゃあ義肢ぎしをもらって帰りますね……などと言われては困る。


 この半年の付き合いでディアスという男のことを少しは理解したつもりだ。無理にしばり付けるよりも、良好な関係をきずいてこそ、よく働いてくれるだろう。


「ディアスくん、あの戦車だが……君にゆずろうじゃないか」


「え?戦車を、ですか?」


 ディアスが驚くのも無理もない。戦車は全てのハンターたちにとってのあこがれであり、どんな戦車に乗っているかが一流のステータスでもある。しかも、最新式だ。


 実験が終わった後も乗ることができるとは思ってもみなかった。


「もちろん、無料でどうぞというわけにはいかない。お金は取るよ、ローンでいいけどね」


 さらに驚きが追加された。ハンターは常に死の危険と隣り合わせであり、今日金を貸した、明日には死んでいるかもしれない、そういった人種だ。


 よほどの信頼と実積がなければ借金などできはしない。社会的信用はそこらの野犬と同じ程度しかないのだ。


 その点を伝えると、マルコは笑っていった。


「君がカーディルくんを残して死ぬとはとても思えないな」


 その点についてだけは、ディアスも自信がある。力強く頷いて、同意した。


「お心遣こころづかい、感謝します。即答そくとうしたいところですが一応、カーディルに相談してもよろしいでしょうか?」


 マルコはその申し出をこころよ了承りょうしょうした。どうせカーディルがディアスの提案ていあんとなえるわけはない。


 許しを与えることでわずかでも恩を売れるならそれでよし、だ。


 これで全ての条件が整った。金を返し終わるまで彼らは必死にミュータントと戦い続け、実戦データを持ち帰ってくれるだろう。メンテナンスができるのも自分しかいない。


 助けた命、助けを求めた相手に、彼は不義理ふぎりを犯しはしないだろう。決して離れられぬ関係の出来上がりだ。


 小走りで戦車に乗りこむディアスの背を、マルコはほくそ笑んで見送っていた。




 それから5年、ミュータントを何十体、何百体と狩り続けた。失敗もあった。何度も死にかけた。戦車は7回ほど大破した。


 信頼と愛情に一片の揺らぎも無く、二人は生き延びた。

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