第29話

 死神のかまのごとき前足が何度も振り下ろされる。その度にトラックの装甲に穴が開き、太陽がそそぐ光の柱が作り出された。


 荷台を改造した研究室のなかに閉じ込められた者たちの行動は様々である。気絶する者、泣きわめく者、なんとか外に出ようとする者。


 マルコは息をひそめてはしっていた。気配を殺したところで犬蜘蛛相手にどうにかなるものでもないだろうが、それしかできることはない。


 甘かった。何があっても装甲トラックの中なら安全だとたかくくってはいなかったか。ミュータントのデータなら集めた、写真もいくらか見た。


 だが、実際に装甲一枚をへだてて対峙たいじすれば、もうどうしてよいのかわからない。


「博士、外には出ないでください!俺が奴をがします!」


 転がり落ちたモニターから聞こえる救世主きゅうせいしゅの声。この場で頼れるのはこの男しかいない。


 だが、どうやって?戦車は先ほどから動いていない。何かトラブルだろうか、それとも犬蜘蛛に何かされたのだろうか。


 恐怖にさらされたなかではこうも頭が回らないのかと、マルコは自分自身に苛立いらだった。


(結局、僕は机上きじょうの天才だったというわけか。現場に出れば役立たず……?ふざけるな、絶対に生き延びてやる!)


 カメラが壊れ、音声を伝えるしかしないモニターを両手でつかんで固定した。


(さあディアス、生き延びるためにお前は何をしてくれる?ライフル一丁で奴に立ち向かった狂人め!)


 一方、ディアスはライフルを掴んで外に飛び出そうとしていた。これも、マルコに用意してもらったものだ。最新式とは言えないが、以前使っていた骨董品こっとうひんとはモノが違う。


 ハッチを開こうとしたところでふと思い立ち、カーディルの肩に手を置いた。びくり、と震えて顔をあげる。そんなカーディルに優しく、そして力強く語りかけた。


「今は俺が一緒にいる。見ていろ、二人一緒ならできないことはなにもないって証明してやるさ」


「待ってディアス、行かないで。危ないことしないで……ッ!」


 カーディルの悲痛ひつうな叫びを振り切って、ハッチを開けておどりた。


 戦車の上に直立し、ライフルを構えスコープに犬蜘蛛の姿をおさめる。


 まさかあのときの小犬ではなかろうか。そんな考えが頭をよぎる。すぐに、馬鹿な考えだと改めた。成長がそれほど早ければ地表はとっくに犬蜘蛛でくされて人類は駆逐くちくされている。


 ディアスの殺気に気づいたのか、犬蜘蛛が振り返る。廃墟はいきょで見た、あの赤いひとみが再びディアスを居抜いぬく。憤怒ふんぬいろどられた色鮮いろあざやかなあか


 ディアスは気圧けおされることもなく、むしろ闘志をてられ引き金に指をえた。


「俺たちだってな、あの時とは違う!」


 対ミュータント用ライフル弾が犬蜘蛛の眉間みけんに向けて放たれた。ディアスの意志が乗り移ったかのごとく、弾丸は真っ直ぐに進み、寸分すんぶんの狂いなく犬蜘蛛の顔面に突き刺さった。


 倒せたか、そんな確認など行わず戦車内にすべんだ。こんなもので奴は死なない、そう確信していた。


 事実、犬蜘蛛がひるんだのは一瞬のことで、怒り狂って戦車に向けて飛びかかってきた。


 眉間はあらゆる生物にとって弱点である。それと同時に、頭蓋骨ずがいこつの最も硬い部分でもある。弾丸は眉間にめり込み、止まっていた。


 ディアスの体が戦車内に収まると同時に急速発進し、犬蜘蛛と距離を取る。


 カーディルは立ち直ったようだ。ディアスは振動しんどうの中で笑みを浮かべ、壁に手をつきよろめきながらなんとか砲手の席についた。


 二人の間に言葉はない。だが、そこには確かな信頼があった。


 走りながら砲塔を旋回させ、照準をピタリと犬蜘蛛に合わせる。流れるような、完璧な動作だ。カーディルの眼に、怯えの色はもう無い。


(絶対にこの人をらせはしない。それが、それだけが私の全てだから!)


 遮蔽物しゃへいぶつは何もない。犬蜘蛛と砲塔は直線で結ばれた。貫通してもトラックに当たるようなこともない。全ての条件が整った。


 ディアスは息を吸い、止め、引き金を引いた。


 空気を引き裂く轟音ごうおん。犬蜘蛛のねばっこいよだれれる半開はんびらきの口に、ライフル弾とは比べ物にならぬほどの暴力的な鉄塊てっかいじ込まれた。


 犬の頭を粉砕ふんさいし、蜘蛛の体をえぐり取り、砲弾は岩壁へと吸い込まれた。


 どす黒い体液をらし、犬蜘蛛は無惨むざん肉片にくへんへとて、崩れ落ちた。断末魔だんまつまの叫びすら無い。


 運命の宿敵しゅくてき、逃れられぬ死神の、あまりにもあっけなく哀れな末路まつろに、二人は言葉がげなかった。


「ざまあみろ、とでも言うべき場面なのかしらね……?」


  誰よりも犬蜘蛛を恨んでいるであろうカーディルも、このときばかりはどうすればよいのかわからなかった。


「とにかく、博士に連絡しよう。あの様子じゃ、こっちの状況なんかわからないだろうし」


「まだ生きてりゃいいけどね」


「あの人が簡単にくたばると思うかい?」


「ないわね。絶対に生きてるわ」


 二人は確信していた。もっともそれはマルコという人物に対する信頼というよりも、ゴキブリの評価に近い感想ではあったが。

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